書籍目録

『旅の雑誌:世界各地の陸海冒険雑誌』第766号、783号、840号

ドートルメール / ビゴー

『旅の雑誌:世界各地の陸海冒険雑誌』第766号、783号、840号

(3号セット) 1911年(第766号、783号)、1913年(第840号) パリ刊

Dautremer, Joseph / Bigot, Gorges.

Journal des Voyages & des Aventures de terre et de Mer. No. 766(6 Aout 1911) / No.783(3 Décembre 1911) / No.840(5 Janvier 1913).

Paris, Journal Hebdomadaire, 1911(No.766, 783), 1913(No.840). <AB202428>

Reserved

A set of 3 issues.

22.2 cm x 31.0 cm, No.766: pp.[161(Title.), 162], 163-178 / No.783: pp.[1(Title.), 2], 3-18 / NO.840: pp.[97(Title.), 98], 99-114, Disbound
いずれも未製本だが良好な状態。

Information

『トバエ』で知られるビゴーが、ちりめん本『日本昔噺』の仏訳を手がけたドートルメールらの記事に合わせて描いたカラー表紙を採用した雑誌3点

ただいま解題準備中です。今しばらくお待ちくださいませ。

「ジョゼフ・ドートルメールは大使館の書記官、翻訳官として1884年に来日している。1886年に結婚のため一旦フランスに帰国し、1887年に妻をともなって再来日。1890年には香港の大使館に任ぜられて中国に赴く。しかし1894年にはまた日本に戻っている。これらの動向を見ると、1886年にフランス語版「日本昔噺」が出なかったことの理由も、No.11が出るまでに日にちがかかったことの理由も納得できる。(後略)
 ドートルメールは来日と同時に日本アジア協会に入会しており、熱心に日本の文化を吸収したようだ。同志に日本におけるワイン産業について発表しているが、これが機縁でワインを輸入していた長谷川商店と関係を持ったと思われる。武次郎にとっても願ってもない「日本昔噺」の仏訳者を得たわけである。
 帰国後はおそらくジュール・アダンに後を託したのだろう。ドートルメールは、帰国後も日本への関心を持ち続けたようで、1910年にフランス語と英語で The Japanese Empire and Economic Condition という本を出版している。
 たまたま古書店で、彼がパリのガルニエ書店(Garnier Fféres)から1919年に出した『日仏辞書(Dictionnaire Japonais-Français des Caractères chinois)』を見つけた時は旧知に出会ったように嬉しかった。この辞書で見ると、帰国後パリ東洋語学校の教授になりフランスの青年に日本語を教えていたことが分かる。(後略)」
(石澤小枝子『ちりめん本のすべて:明治の欧文挿絵本』三弥井書店、100, 101ページより)