書籍目録

「パリ・イリュストレ『日本特集号(第45・46号)』」ほか収録

林忠正 / ジロー / グラッセ

「パリ・イリュストレ『日本特集号(第45・46号)』」ほか収録

1886年分の全12号を出版社が1冊に合本して販売したもの 1886年 パリ刊

Hayashi, Tadamasa / Gillot, Charles / Grasset, Eugène.

PARIS ILLUSTRÉ: Publication mensuelle. (including NUMEROS 45 et 46: LE JAPON and other all numbers of 1886.)

Paris, A. Lahure (Imprimeur-Éditeur) / L. Baschet (Libraire-Éditeur), 1886. <AB202425>

Sold

All 12 numbers(No.40, 41/42, 43, 44, 45/46, 47, 48/49, 50, 51, 52/53, 54/55, 56/57)of 1886 bound in 1 vol. as issued.

32.0 cm x 43.5 cm, 2 leaves(blank), Half Title., Title., pp.[1-3], 4-230, (LACKING pp.231-234?), pp.235-,238, [239-242], 1 leaf(Table of the volume), 1 leaf(index of the volume), folded colored plates: [1], double colored plates: [2], Contemporary three quarter leather on crocodile patterned dark green boards.
装丁の皮革部分に劣化や傷みが見られるが本文は良好な状態。231-234ページは欠落しているが、もとより該当ページが存在しない可能性もあり。

Information

日本美術と西洋美術の架け橋となった林忠正が手がけた「日本特集号」を含む1886年刊行号を1冊に合本

 本書は、雑誌『パリ・イリュストレ(Paris Illustre)』の1886年1月号から12月号までの全12号を合冊したものです。『パリ・イリュストレ』は、非常に美しい多色リトグラフ 印刷を用いた多くの挿絵で好評を博した雑誌で、世紀末パリを代表するビジュアル雑誌でした。 本書が非常に興味深いのは、1886年5月号(第45、46号)が、「日本特集号」となっていることです。この特集号のテキストと特集号全体の編集に携わったと考えられている林忠正は、パリ在住の優れた美術商として、明治初期のヨーロッパに日本美術を広く、深く伝えると共に、印象派画家たちとも交流を深め黒田清輝ら明治初期の西洋画家を支援しており、東西美術の架け橋として先駆的な役割を果たしたことで知られています。林忠正による流麗なフランス語で書かれたテキストは、日本の文化、歴史、美術を伝える内容で、編集長シャルル・ジロー(Charles Gillot, 1853 - 1903による極めて秀逸な誌面デザインとともに、日本についての正確な基本知識を愉しみながら知ることができる内容となっています。

 林忠正は、1878年に開催されたパリ万博に起立工商会社の社員として渡仏以来、そのままパリに滞在し、自力で日本美術を伝える活動を展開し、自ら美術商社を立ち上げて「ジャポニスム」に沸くパリを中心としたヨーロッパにおいて、一過性の流行に帰さない、日本美術の本格的な紹介を行なった先駆的人物として知られています。ゴンス(Louis Gonse, 1846 - 1921)や、ビング(Samuel Bing, 1838 - 1905)らをはじめとして各界の日本美術愛好家を支援し、当時の日本ではほとんど評価されることなく、散逸、流出が著しかった優れた日本美術品を多方面に渡って蒐集、保護し、それらを投げ売るのではなく、顧客をより深い日本美術理解へと誘いました。優れた審美眼と理解力を持った顧客を厳選して、その顧客に最善と判断する逸品を個別に販売するという独特の販売方式をとっていたことが知られており、それは、林の願いであった欧米おける日本美術の理解と地位を向上させることに大きく貢献しました。

 また林は、印象派画家らとの交流を深め、傑出した印象派コレクションを構築(残念ながら死後散逸)する傍ら、黒田清輝ら明治日本の西洋画の萌芽を担った若手を積極的に支援もしています。1900年のパリ万博において、伊藤博文と西園寺公望らの強い要望を受けて、一民間人でありながら事務官長に就任したことが日本の各界での嫉妬を惹起し、また帰国後まもなく逝去してしまったことも災いして、没後不当な誹謗中傷が寄せられることもしばしばありましたが、近年になって多くの優れた研究成果によって再評価が急速に進んでいます。こうした再評価を象徴するものとして、2019年2月には、研究者にして林忠正の義孫でもある木々康子氏が研究と再評価のために蒐集、整理した膨大な関係史料を中心とした特別展示「林忠正:ジャポニスムを支えたパリの美術商」が国立西洋美術館で開催されています。

 この「日本特集号」については、優れた先行研究がいくつかありますが、先述の木々康子氏の『林忠正:浮世絵を超えて日本美術のすべてを』(ミネルヴァ書房、2009年)では、下記のように解説されています。

「1886年の『パリ・イリュストレ』5月1日号は、「日本特集」として、雑誌のほとんどが、林の執筆したエッセー「日本」で占められている。日本の歴史、気候風土、宗教、ハラキリ、日本人の性格、衣服、習慣、芝居など13項目に分けて書かれ、所々に「日本の諺」の抜粋、歌麿、北斎などの浮世絵、光琳のデッサン、ジョルジュ・ビゴーの「日本のスケッチ」などを加えて、約20頁を「日本」が独占している。といって林が雑誌を編纂したわけではないが、この長いエッセーを掲載するための図版の選定や構成など、編集にも参画したと考えられる。このときは編集長ジロー(Charles Gillot, 1853 - 1903、『パリ・イリュストレ』をはじめとした多色リトグラフ 印刷を用いた出版活動を精力的に行いつつ、浮世絵の熱心なコレクターで林の顧客であった;引用者注)、編集者はA・ラユールとL・バシェと記されているが、主筆のシャルル・ジローの監修のもと、2人の編集者が編集を行い、また、編集者は販売もとりしきっていたと見える。
 華麗な歌麿の浮世絵で飾られた表紙には、英泉の花魁の姿が描かれたカバーがかけられている。日本に憧れ、浮世絵に夢中になって、ビングの店に通っていたファン・ゴッホが、これを模写していることは有名である。」
(前掲書、120頁より)

 また、2007年2月に本書を購入した関西学院大学図書館の図書館報『時計台』第78号(2008年4月)には、加藤哲弘氏による詳細な解説(「『パリ・イリュストレ』45-46号」が掲載されており、下記のように本書のことが紹介されています。

「ジローに依頼された林は、テクストの冒頭で、自分には学識はないけれども美術品に関しては専門家なので、その点で、簡潔かつ性格な記述を求める編集者からの期待になんとか応えたいと述べ、さらに、現在の日本はあまりにも大きな変化を遂げている時期なので、ここで紹介するのは、この新しい文明が侵入する以前の日本の文化であると断っている。以下、日本の歴史から始まり、国土と気候、大名と藩、ハラキリ、日本人の性格、宗教、教育、風俗、習慣、服飾、結婚、食事、芝居と見世物、最後に日本美術について、きわめて具体的で分かりやすい記述が続く。現代のわたしたちから見ても、ちょっと意外で興味深い解説が多い。
 江戸時代の日本人の、とくに庶民たちの生活を記述する、ユーモアも感じられる明快で親しみやすい林の文章を読んでいると、この記事が「日本趣味(ジャポネズリ)」の拡大に大きな役割を果たしたことがよくわかる。しかし、言うまでもなく、強い影響力を行使したのは文章だけではない。読者たちはあちこちに挿入された画像にも深く魅了されたに違いない。カラーでページ全面に掲載されているのは、北川歌麿《江戸及花娘浄瑠璃》、葛飾北斎の《富嶽三十六景甲州三島越》、シャルル・ダウ《日本の幻想:魚とり》と《日本の幻想:ブランコ》。
 歌麿《台所美人》は、見開き2ページに、また勝川春英と歌川豊国の役者絵は2点で1ページ。このほか、風刺画で知られるジョルジュ・ビゴーが描いた薬売りや役人などの典型的な日本人の姿や、フランシス・ステナケルによって1885年にフランスで出版されたばかりの河鍋暁斎の《狂斎百図》(『日本の100のことわざ』)などがプレートの形でページを飾る。また、林のテクストが印刷されているページの左上や右下などには、尾形光琳による花鳥の図案が自由に散らされるとともに、文章の理解を補うために、庶民の日常生活を描いた、春信、歌麿、北斎らによる多くの浮世絵がモノクロームで挿入されている。」
(前掲論文17-20頁より)

 このように非常に高い評価を受けている本書の「日本特集号」ですが、木々康子氏の前掲書で、林自身が実家に送った本の表紙に「たちまち2万5千部を売り尽くした」と記していることが明らかにされていて、本書が各界に与えた影響力の大きさが窺い知れます。『パリ・イリュストレ』は、編集長ジロー自身が熱心な日本美術の愛好家であっただけでなく、書物作りにも相当のこだわりがあったものと見られ、誌面デザインはもちろんのこと、用紙の選択や印刷の品質にもかなりの気を配っていたことが本書からも窺えます。ジローは本書に先立つ1885年に、ジュディット・ゴーティエ(Judith Gautier, 1845 - 1817)が西園寺公望と光明寺三郎の助力を得て、古今和歌集など日本の伝統的な詩を翻訳した『蜻蛉集(Poëmes de la libellule.)』を刊行しており、この書物は山本芳翠による美しい挿絵を配して「画文一体で日本美を伝えた傑作」との高い評価を受けていました。「詩は絵のごとく-Ut pictura poesis」という『蜻蛉集』作成の基調となった考え方は、この「日本特集号」にも存分に応用されているように見受けられます(大森健吾「パリへ飛んだトンボ」『国立国会図書館月報』(673号、2017年5月号)所収を参照)。

 本書は、『蜻蛉集』と違って、あくまで雑誌の特集号であるという媒体の違いがありますが、雑誌ならではのフォリオ判の大型の紙面いっぱいを使って、林のテキストと最も合致する挿絵を効果的に配し、上質な用紙に美しい印刷するという、ジローと林の美学を看取することができます。本書を実際に手に取ってみると、この特集号が、多くの読者に強烈な衝撃を当時与えたであろうことは、非常によく分かりますし、デジタル媒体になじんだ現代の感覚からすると、迫力あるフォリオ判の見開き大に展開される、物質的な表現形態が直接もたらすインパクトが一層大きく感じられます。また、当時は挿絵本や子どもの絵本を中心として、「美しい書物」の復興と実践が欧米各国で実践されていた時期であり、また日本では長谷川武次郎による「ちりめん本」が、それに呼応するかのごとく続々と刊行されていましたので、「画文一体」を追求した書物の理想型を追求する中で、東西文明を合流させた実践例の一つとして、本書を捉えることもできるでしょう。

 「2万5千部を売り尽くした」と言われる「日本特集号」ですが、どれほど上質な誌面づくりがなされていたとしても、やはり新聞という、読み捨てられやすい運命にある媒体が災いしてか、その発行部数に対して、現存している部数は相当少ない印象を受けます。そうした状況にあって、非常に良好な状態で現存している本書は大変価値ある1冊ということができるでしょう。なお、惜しむべきことに本書に収録されている「日本特集号」には、画家ゴッホ(Vincent Willem van Gogh, 1853 - 1890)に衝撃を与え、「日本趣味:花魁」の制作に向かわせたという江戸後期の浮世絵師、渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」を意匠に用いた厚紙のカバーが欠落してしまっています。本書は、出版社によって1886年に刊行された全12号を合冊したものですが、この出版社による合冊本では当初からこの特徴的な厚紙のカバーは収録されていなかったのではないかと推察されます。しかしながらその一方で、「日本特集号」以外の同時代を飾った誌面を読むことができ、当時のこの雑誌における極めて魅力的な誌面づくりを体感できるとともに、どのような文脈で「日本特集号」が読者の元に届けられたのかということを把握することができる、極めて貴重で魅力的な1冊となっています。

刊行当時のものと思われる装丁で皮革部分に傷みが見られるが概ね良好な状態。
見返し部分には旧蔵者の蔵書票がある。
1886年号全体のタイトルページ。基本的に月刊誌として発行しつつ、年末にはその年の前号を合冊した形でも販売していたと考えられる。
No.40(1月号)表紙。
見開き大の美しいフルカラー図版が多数採用されていることが本誌の大きな特徴。
1月号末尾とNo.41/42(2月号)表紙。
テキストと図版の配置にも工夫が凝らされている。
2月号末尾とNo.43(3月号)表紙。
3月号末尾とNo.44(4月号)表紙。
4月号末尾と、No.44/45(日本特集号=5月号)表紙。歌麿を配した印象的な表紙。
テキストとイラストが一体的な効果を持つように工夫が凝らされた誌面づくりがなされている。
右はシャルル・ダウ(Charles-Edmond Daux, 1817 - 1888)による『日本の幻想:魚とり』と題された作品。
随所にテキストを補足するモノクロ挿絵も盛り込まれている。
テキストと組み合わされる挿絵は、尾形光琳からとったものが多い。
喜多川歌麿の「台所美人」は見開き大で再現されている。
ジョルジュ・ビゴーの描く特徴的な日本の人物像(銅版画集『おはよ』からの転載)も掲載している。
挿絵とテキストの最適な配置を考え、テキストの段組みさえも自在に変えてしまう誌面作りは、見る者に強い印象を与える。
シャルル・ダウの同じシリーズ「日本の幻想:ブランコ」とステナケルの『日本のことわざ』からとった河鍋暁斎「狂斎百図」。日本のことわざをイラストで紹介している。
上掲のことわざの丁寧な解説がある。
最終ページ(左)は、春英と豊国。右はNo.47(6月号)表紙。
セーヌ川の情景の特集号。アール・ヌーヴォーの先駆者とも呼ばれるウジェーヌ・グラッセによる美しい彩色画が収録されていて、後年の新版画にも通ずる趣が感じられる。
ウジェーヌ・グラッセは、ジャポニスムから強い影響を受けたことも知られている。
6月号末尾とNo.48/49(7月号)表紙。
7月号末尾と、No.50(8月号)表紙。
8月号末尾と、No.51(9月号)表紙。
9月号末尾とNo.52/53(10月号)表紙。ロンドン特集号
10月号末尾とNo.54/55(11月号)表紙。
11月号末尾とNo.56/57(12月号)表紙。クリスマス特集号
巻末には全体の目次が掲載されている。
索引もあって記事の検索に便利。