書籍目録

『東の国からの詩の挨拶』

フローレンツ / 蕉窓 / 華邨 / 芳宗 / 半古 / 貞彦 / 永濯(絵師)

『東の国からの詩の挨拶』

(ちりめん本)初版?、保存箱付属  1894年 ライプチヒ / 東京刊

Florenz, K(arl). / Shoso / Kwa-son / Yoshumune / Hanko / Sadahiko / Eitaku (illustrator).

DICHTERGRÜSSE AUS DEM OSTEN. JAPANISCHE DICHTUNGEN.

Leipzig / Tokyo, C.F. Amelangs Verlag / T. Hasegawa, 明治廿七年八月十五日印刷同廿日発行(1894). <AB202402>

Reserved

First edition? Crepe paper book.

15.2 cm x 19.3 cm, p.[1(Title.)], 2, Front., pp.[3, 4], 5-97, Printed on folded crepe paper, bound in Japanese style, silk tied. Stored in original pictorial box.
保存箱に破損あり。ちりめん本は極めて良好な状態。

Information

東洋学者フローレンツによって翻訳紹介された日本の詩歌、鈴木華邨らによる優れた絵師の協業による「数ある弘文社の「ちりめん本」の中でも貴重な一冊」と評される銘品

「これは数ある弘文社の「ちりめん本」の中でも貴重な一冊と言えよう。訳者フローレンツの熱意に呼応して武次郎の本造りにかける情熱が最大限に発揮されている。絵師たちの絵にも、活字の印刷の字配りにも、投げやりなところがなく、品格のある詩歌集となっている。
 この50丁ほどの本には20 x 16 x 13 cm の厚さの箱がある。箱の表には桜の花を背景に、開いた舞扇が描かれ、そこに美しい筆書きで八行次のように記してある。「和歌集 婦ろ連む須者可せ ほ舞やく 登以つこく 阿めらむ具 発行 に本とうけふ は勢か者梓」、すなわち「和歌集 フローレンツ博士 翻訳 ドイツ国アメラング発行 日本東京 長谷川刊行」と読める。
 そして箱の裏には、富士をバックに二つの鏡が描かれ、そこに題をドイツ語で Dichtergrüsse aus dem Osten と彫り、しゃれた字体で Japanische Dichtungen von Karl Florenz と書いてあり、背にはライプチッヒ、アーメラング社の名も記されている。
 この宝箱を開くと、表紙は晴れ渡る富士と、その頂を指して昇る龍、海には帆掛け船がなん艘か見られ、その帆にもライプチッヒ、アーメラング社と記されている。本学所蔵の本が明治41年ですでに11版であることも、明記されている。
 中扉もあって、そこには菊の花に飾られて(より初期の版であると思われる本書にはここで言われている菊の花の飾りは見られない;引用者注)訳者とアーメラング社の名が繰り返されている。次のページは献辞で、花をつけた桐が寄り添う石碑があり、そこには「詩巻長留天地間 甲午五月為、 伯廉先生記念,獨逸 傳楽蓮 題」と彫られている。これでこの本の初版が明治27年(1894)ということも分かる。碑の上に Dem Andenken Georg’s von der Gabelentz gewidmet(ゲオルグ・フォン・ガーべレンツを記念して)と書かれていて、訳者フローレンツがこの書を師ガーべレンツを追悼して捧げたと記されている。ガーベレンツ(1840〜1893)はライプチッヒ大学、ベルリン大学の教授を歴任した言語学者、東洋語学者で、この本の出た1894年にはもう没している。
 序文もあり、芳宗の絵と思われる、竹筒に活けた紫陽花と百合の美しい絵が添えられている。序文とそれに続く目次は、地に露を置く秋草が描かれ優美な仕上がりになっている。
 序文では、日本には実に豊かな詩があること、その特徴についてはその多くが短詩型であり、独創的な表現も見出せるが、まず何よりも独特の日本的言語表現に技巧をこらしていることを述べている。詩的内容をもっとも多く盛っているのは、日本最古の歌集である8世紀の『万葉集』に他ならないとも言っている。フローレンツがこの詩歌集に収めたのは大部分が『万葉集』からの歌であり、後世のものはごく僅かしかとっていない。歌の選択に関しては、日本の詩歌の代表例であり、かつまたヨーロッパ人の趣味と理解に適うものとしたと言っている。歌やその作者についてもきちんと注をつけている。絵師たちの挿絵には大いに満足したようで長谷川翁に心からの感謝を捧げるとつけ加えている。
 目次を見ると、選択した歌を次の6つに分けて題をつけている。

 一章 愛するものたちに
 二章 自然の楽しみ
 三章 人生の厳しさ
 四章 宮廷詩
 五章 色とりどりの言の葉
 六章 叙事詩いくつか
 
 先にも述べたように、『万葉集』からとった歌が多く、1章22首のうちには多くの日本人にも親しい山上憶良の「わが子を思う歌」とその反歌「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」などや、坂上女郎の歌がすぐれた訳で紹介されている。天皇の歌は案外とっていない。『古今集』からも素性法師の「忘却」や、「伝導の書」などをとっている。2章12首にはやはり『万葉集』の家持や額田大王の春や秋をうたった歌、吉野の桜や滝をうたったもののほか、『古今集』から忠岑の歌を選んでいる。3章6首には、大伴家持の孤独と憂愁をうたったものと、『古今集』からは紀貫之の歌を選んでいる。4章には、『万葉集』から天皇に捧げる3首をとっている。5章は捨遺集(ミセラニア)で、『古今集』からの叙景の歌もあれば、和泉式部や素性法師の歌もあり、民衆の歌である催馬楽なども入れている。6章は『万葉集』から「水之江浦嶋子」をとっている他、近代の新体詩からも「桶狭間の戦い」や「安政の地震の回想」をとっている。総じて納得のいく選択だが、『万葉集』に関して言えば、柿本人麿、山部赤人、大伴旅人がないのは少し寂しい。
 蕉窓、華邨らの絵は、四季の自然月雪花や、「浦嶋」などはお手のものだからさすがに美しいし、「安静の地震」や「桶狭間の戦い」も手本となる絵があるだろうから、それにのっとって絵本の一部のように描かれ、ヨーロッパで評判になったのもうなづける。明治の絵師たちにとって難しかったのが、『万葉集』の歌の人物かもしれない。蕉窓が描いた憶良の「銀も金も玉も…」の母子の絵などに特徴的に現れているように、これはとても8世紀の情景とも思えない。総じて風景も人物も江戸、明治風に描かれている。奥付けに金子徳次郎の名が記されているが、縮緬の技法も、印刷の技法も見事の出来で、これが版を重ねたのも当然と思われる。
 日本の詩歌がすぐれた東洋語学者フローレンツによってヨーロッパに紹介されたのは喜ぶべきことで、彼の真摯な筆には敬意を表したい。『万葉集』からの歌が多いのは、明治期の風潮に応じたものでもあるだろう。」
(石澤小枝子『ちりめん本のすべて:明治の欧文挿絵本』2004年、三弥井書店、155-159頁より)

「カール・フローレンツ(1865-1939)はいわゆる御雇外国人として1889年から1914年まで東京帝国大学でドイツ文学・ドイツ語を講じ、帰国後はドイツにおける日本学(Japanologie)を創始した人物として知られる。上記『日本文学史』(Geschichte der japanischen Litteratur. 1904.のこと;引用者注)の他に『東方からの詩人の挨拶−日本の詩歌』Dichtergrüsse aus dem Osten: japanische Dichtungen(1894)、落合直文の詩集『孝女白菊の詩』を翻訳した『日本の詩歌−白菊、浪漫的叙事詩およびその他の詩』Japanische Dichtungen: Weissaster, ein romantisches Epos, nebst andern Gedichten (C.F. Amelang. T. Hasegawa. 1894)、『色とりどりの小品』Bunte Blätter: japanischer Poesie (T. Hasegawa, 1896)といった詩歌に関する翻訳の仕事があり、フローレンツのこれらの訳業を起点にして、同時代のドイツ語圏およびその周辺における日本詩歌の翻訳文化が始動していったと考えられる。」
(坪井秀人「モダニズムの中の〈和歌歌曲〉–山田耕筰、ストラヴィンスキーそのほか」池内敏編『JunCture: 町域的日本文化研究』第5号、2014年、名古屋大学大学院文学研究科附属「アジアの中の日本文化」研究センター所収、142頁より