書籍目録

『日本写生帖』

オクタヴィヨ(オクタヴィオ)・ピント / 有島生馬(序文)

『日本写生帖』

(500部限定版のうち第385番) 1931年 東京(凸版印刷)刊

Pinto, Octavio / Arishima, Ikuma.

DIBUJOS DEL JAPON.

Tokyo, Toppan Printing Co-Tokio-Japon, 1931. <AB2023194>

¥297,000

No.385 of limited only 500 copies.

22.0 cm x 28.0 cm, Title., 5 leaves(Colophon, Dedication, Introduction, Japanese translation of Introduction, Table of Contents), 51 Illustration leaves, Originally disbound.
一部の用紙の余白等に汚れが見られが、概ね良好な状態。

Information

1930年前後に日本に滞在した異色の経歴を有するアルゼンチン画家による東京をはじめとした市井の人々の生活と風景を描いた作品集

 全51枚の作品で構成されている、この非常にユニークな画集(ポートフォリオ)は、20世紀前半に活躍したアルゼンチンの風景画家であるオクタヴィオ・ピント(Octavio Pinto, 1890 - 1941)が、1930年前後に日本に外交官として滞在した際に作成、刊行したもので、当時の東京や横浜を中心とした市政の人々や風景が描かれた大変興味深いものです。限定500部にて凸版印刷によって刊行されたことが明記されているものの、国内外での所蔵をほとんど確認することができないという非常に希少な作品でもあります。

 1890年にアルゼンチンのコルドバで生まれたピントは、幼い頃から風景画や詩に強い関心を寄せていたものの、父の強い勧めもあって法学を修めることになったと伝えられています。その一方で芸術に対する情熱は止みがたく、自宅の一角を「アトリエ」に仕立てて、学校での級友や従兄弟たちと共に画業の習得に勤しんだと言われています。1911年にコルドバで最初の個展を開催したことを皮切りに、アルゼンチン画壇において徐々に頭角を表すようになり、国立芸術委員会会員への任命や、すでに当時を代表する作家、小説家となっていたたマヌエル・ガルベス(Manuel Gálvez, 1882 - 1962)によってその作品が高く評価されるなど、芸術家としての地位を徐々に確かなものにしていきました。そして、1916年に法学での学位を取得した後、1917年には奨学金を得てヨーロッパへの遊学を果たします。ピントはスペインを中心として数年間をヨーロッパで過ごす中で自身の画業に一層磨きをかけると共に、随筆家であり哲学者であったミゲル・デ・ウムナーノ(Miguel de Unamuno, 1864 - 1936)、詩人アマド・ネルボ(Amado Nervo, 1870 - 1919)、画家サンティアゴ・ルシニョール(Santiago Rusiñol, 1861 - 1931)、哲学者オルテガ・イ・ガセット(José Ortega y Gasset, 1883 - 1955)らといった、絵画芸術にとどまらない錚々たる様々な芸術家たちとの交流を深めました。1921年に帰国してからは郷里コルドバとブエノス・アイレスで個展を開催して成功を収め、1922年にはヴェネツィア・ビエンナーレのアルゼンチン・パビリオンへの招待も受けています。アルゼンチン国内各地を旅しながら各地の風景や人々の素朴な姿を描きだす彼の作品は高い評価を受け、ピントは当時のアルゼンチンを代表する風景画家の一人となりました。その一方で法学での学位を取得していたこともあって、1928年頃からはアルゼンチンの外交官としても活躍しており、ブラジル、ウルグアイ、そして中国、日本に派遣されて滞在したことがわかっていて、この作品はこの外交官としての日本滞在時に製作された画集であると思われます。

 『日本写生帖』と題されたこの作品は、このように当時のアルゼンチンにおいて多彩に活躍した画家でありながらも、外交官としても活動したという異色のキャリアを有するピントによる日本に関するおそらく唯一の作品集で、明治期から20世紀前半にかけて来日した数多の外国人芸術家による作品の中でも、アルゼンチン出身の画家が手がけたという点でも非常にユニークな画集と言えるものです。先に述べたように、この画集は全51枚の作品で構成されており、そのいずれもが東京や横浜近郊の風景や市井の人々を描いたものです。この写生帖の冒頭には収録されている作品の簡単なタイトルが日本語とスペイン語とで併記された一覧があり、これを元にして『日本写生帖』の収録内容をまとめてみますと、下記のようになります。

1. 品川
2. 箱根のお盆
3. 電車内の少女
4. 新橋芸者屋町
5. 包朱博儒
6. (a) 仕丁(b)エスキース(クロッキー)
7. 田舎家
8. 人力車
9. 日光夜祭
10. 木材置場(箱根)
11. (a)コムソー (b)エスキース(クロッキー)
12. 姉妹
13. 屋台(渋谷の祭)
14. 吉原の夜祭
15. 紙屑屋
16. 小僧
17. 丸髷
18. 万燈(祭、青山)
19. エスキース(クロッキー)
20. 万燈(祭)
21. 奥さん
22. 青年
23. 八百屋市
24. エスキース(クロッキー)
25. エスキース(クロッキー)
26. 雨の日光
27. 明治神宮夜祭
28. エスキース(クロッキー、銀座)
29. 小田原
30. 石屋
31. エスキース(クロッキー、銀座)
32. 鳥居
33. 万燈(横浜)
34. エスキース(クロッキー、銀座)
35. 子守
36. 女中
37. 見世物小屋にて
38. 上野風景
39. 朝鮮牛
40. 魚市
41. カフェにて
42. 乞食
43. 子守
44. 石灯籠
45. (a)冠(徳川時代の) (b)エスキース(クロッキー、日光)
46. (a) 支那詩人 (b) 支那夫人
47. (a) スケッチ(熱海) (b) スケッチ(国府津)
48. (a) 髪結 (b) エスキース(クロッキー、浅草)
49. (a) 母と子 (b) エスキース(クロッキー)
50. (a) エスキース(クロッキー) (b) お祭り(品川)
51. 日光夜祭

 こうした作品名からも容易に推測できるように、ピントが『日本写生帖』で描いているのは、特別に風光明媚な場所であったり、著名な観光地、モニュメントなどではなく、あくまで市井の人々が日常生活をおくっている取り留めのない場面ばかりです。いわば「スナップショット」とも言えるような飾らない作風が『日本写生帖』の最も大きな特徴で、こうした日常を生きる人々に対するピントという外国人画家のユニークな眼差しから描かれた作品群は、当時の人々の姿を知ることのできる貴重な史料にもなりうるものです。

 それぞれの作品によってピントの画風にはばらつきが見られるものの、写実的な描写よりも印象派的なその場の空気感を描き出そうとするような描写が特徴的です。アルゼンチンは西洋的近代化推進のために、ピントが生まれた1890年代頃から急速にヨーロッパからの移民と産業移転を進めており、特に首都ブエノスアイレスは多くの外国人が集うコスモポリタン的な都市になっていたと言われ、こうした当時のアルゼンチンの社会情勢がピントの画風にも少なからず影響を与えているのではないかと推測されます。アルゼンチンの近代絵画芸術はフランス印象派の影響を強く受けながらも独自の表現方法を追求することで発展していったことが知られていますが、後述するように日本で墨絵の技法習得にも尽力したことが伝えられているピントの作風は、同時代の他の芸術家には見られない独自の多文化性に基づくある種のハイブリッドな画風を備えているのではないかと思われます。

 また、この作品には、ピントとほぼ同時代を生きた有島生馬による序文が収録されており、ピントが日本においても有島をはじめとした芸術家たちと様々な交流をもったであろうことをうかがわせます。有島生馬はのちの1936年に日本ペンクラブの副会長として、アルゼンチンで開催されたペンクラブ国際大会に出席しており、この背景にはピントとの交流も少なからず影響を与えていたのではないかと思われます。有島生馬はピントの人柄と芸術に対する姿勢を高く評価していたようで、次のように序文で述べています。

「諸君もその名を聞いたことがあるであろうが、わが13世紀に兼好法師という優れた散文家があった。この法師の思うこと言わぬは腹ふくるる業なりという言葉は甚だ有名になっている。実際人間というものは不思議な動物で、その聞き、その見、その感じ、その思うた事を表現するのに特殊な欲望をもっている。この欲望の多量をもった者は遂に芸術家とならねばやまない。
 ピント氏は華やかな外交官の職にあるに拘らず、この法師の所謂欲望のために、画家となり、絶えず努力して今日までに立派な作品を澤山作り、諸任地の美しい自然をもって、更にその故郷の美術館を富ましてきた。今度帰国したなら、更に多くの日本での作品が、そこに追加されることであろう。
 日本へ来る外国の文人画家は常に申し合わせたように、現在ある日本の事物及び現代美術を甚だ好まないで、過去の伝統や、風俗や、かの浮世絵のみを愛好する。日本での美的興味は遂にこのロマンティック、エキゾティックに限られているらしい。
 かくして過去の残物の日本が、外国の芸術家らの手によって画布に記録される事は、好ましいに違いない。しかし吾々自身にとってはそんな古日本の模倣より、将来の日本を目指した創造のために全力が用いられつつあるのである。
 このアルゼンティンの画家が日本へ来て墨絵の習得を試みたことは賢明であった。吾々民族の墨や、毛筆や、紙やに対して持っている特殊な繊細な趣味と涵養とは一朝一夕に出来たものではなく、従ってその真髄を会得することは容易な業ではない。高価な墨、素晴らしい毛筆、良質の紙をもって様々な調子を出すこと、それをピント氏が学んだのは誇りとするに足る。かくして自身これを親しく試みることなく、漫然作品を見ただけではその真相は諒解されないからである。
 私は南米の同好の仲間を一人加えたことを非常に欣び、その帰国に際し、恙なくと、旅立を祝するため、この一文を日本写生帖の巻頭に寄せるのである。(1931年2月5日)」
 
 このようにピント『日本写生帖』は、異色の経歴を持ったアルゼンチン画家が、1930年前後の東京を中心とした市井の人々が営む日々の暮らしや風景を独自の視点と画風で描いた非常にユニークな画集ですが、どういうわけか日本国内での所蔵を確認することができず、また国外においてもほとんど確認することができません。奥付けの記載によるとこの画集は凸版印刷によって500部限定で発行されたことになっていますが、500部もの部数が発行された画集としてはあまりにも少ない現存数と言わざるを得ない奇妙な状況です。ピントが日本滞在中にどのような人々と交流し、影響を受け、またこの画集の出版に至ったのか、という背景事情も含め、解明すべき研究上の課題も多く残されている、非常に興味深いユニークな画集と言えるものでしょう。

表紙。日本語、スペイン語で併記されている。製本はされておらず、それぞれの1枚ずつの厚紙が独立している状態。
奥付けにが移動する箇所には本書が500部限定で凸版印刷によって印刷されたことなどが記されている。
献辞文
有島生馬による序文(スペイン語)
上掲の日本語訳文
本書に収録されている51枚の作品明細
1. 品川
3. 電車内の少女
4. 新橋芸者屋町
5. 包朱博儒
7. 田舎家
8. 人力車
9. 日光夜祭
12. 姉妹
13. 屋台(渋谷の祭)
14. 吉原の夜祭
16. 小僧
17. 丸髷
18. 万燈(祭、青山)
20. 万燈(祭)
21. 奥さん
22. 青年
26. 雨の日光
27. 明治神宮夜祭
30. 石屋
32. 鳥居
34. エスキース(クロッキー、銀座)
36. 女中
37. 見世物小屋にて
38. 上野風景
39. 朝鮮牛
40. 魚市
41. カフェにて
44. 石灯籠
48. (a) 髪結 (b) エスキース(クロッキー、浅草)