書籍目録

「サイベリヤ丸とコレヤ丸による横浜ーサンフランシスコ間の12日で結ぶアメリカへの特急航路」 

東洋汽船

「サイベリヤ丸とコレヤ丸による横浜ーサンフランシスコ間の12日で結ぶアメリカへの特急航路」 

(ポスター) 1917年頃 製作、刊行地不明(サンフランシスコ?)

Toyo Kisen Kaisha

EXPRESS SERVICE TO AMERICA: 12 DAYS YOKOHAMA-SAN FRANCISCO. S.S. SIBERIA MARU / S.S. KOREA MARU.

s.l. (San Francisco?), s.n, 1917?. <AB2023193>

Sold

45.0 cm x 62.0 cm, 1 colored poster, Linen backing.
リネンによる裏打ち、旧蔵機関による押韻が裏面と表面右下にあり

Information

東洋汽船が手がけたシンプルさを追求した斬新なポスター

 このやや小ぶりのポスターは1917年頃に東洋汽船によって製作されたもので、サンフランシスコ航線のために当時購入したばかりの「サイベリア丸」(S.S. SIBERIA MARU)と「コレヤ丸」(S.S. KOREA MARU)の就航予定を海外向けに英文で告知、宣伝するためのポスターです。製作者や印刷会社の情報は明記されていませんが、同社の多くの出版物がサンフランシスコで製作されていたことに鑑みると、おそらく同地で製作、刊行されたものではないかと思われます。

 このポスターで告知されている「サイベリア丸」と「コレヤ丸」とは、東洋汽船がアメリカン・インターナショナル汽船会社から、巨額を投じて同時に1916年に買収したもので、同社が最も力を入れていたサンフランシスコ航路に同年10月より就航を開始したことが知られています。このポスターには5月、6月以降の就航予定が告知されていることから、1917年の初め頃に製作されたのではないかと推測されます。

「太平洋郵船会社が、その所有船7隻を太平洋航路より撤退するや、その内の一隻ペルシャ丸は間も無く当社において買い取ったが大正5年5月に入ると、更にコレア号、サイベリア号両船も売物に出ていることが知れた。当時両船はアメリカン・インターナショナル汽船会社の所有となっていて、ニューヨーク方面において航海に従事していたが、売値は1隻につき230万ドルで、2隻を同時に売却したいというのが船主側の希望であった。両船は明治34年米国ニューポート・ニュースにおいて建造せられ、総トン数12,800トンの優秀なる客船であった。当社としては、喪失した地洋丸(1916年3月マニラから香港に向かう途中に香港沖で座礁して喪失;引用者注)の代船として、差し当たり1隻を買い入れ、他1隻買い入れについては、今暫く調査の上決定することとして交渉を進めたが、これに対して先方にては1隻200万ドル、2隻にて400万ドルならば売り渡すべき意向を示してきた。当社は地洋丸喪失より生じたる船腹不足のため、各荷主に対し責任上、非常なる窮地に陥るほか、来る大正5年10月より12月にわたり、現在傭船している他社船の傭船期間満了し、新たに傭船せんとする時は、当時の相場にて重要トン当り1カ月約18円あるいはそれ以上、という高額の傭船料を支払わなければならぬような情勢であったから、両船を同時に400万ドルで買い入れても、両3年間には相当の船価償却をなすことが出来て、決して損失を招くようなことは無い、と認められたから、この際船腹増加のため、両船を同時に買い取ることに決定し、大正5年5月27日に購入契約に調印した。サイベリア号は同年6月12日、コレア号は同年7月15日いずれもニューヨークにて引渡しを受けたが、乗組員の交替は両船ともサンフランシスコで行われた。サイベリア号はウラジオストック行きの鉄条網を満載しサンフランシスコを経てウラジオストックに至り、揚荷終了後長崎に回航、三菱長崎造船所において改造工事を施行、同年11月中旬よりサンフランシスコ線に就航した。コレア号は貨物満載、サンフランシスコを経て横浜に直航、次いで神戸に至り川崎造船所において、改装工事を施行、同年10月初旬よりサンフランシスコ線に就航した。
 両船の購入代金400万ドル(邦貨約800万円)は、地洋丸保険金370万円と、社債400万円計770万円と社内保留金とをもってまかなった。また船名をコレヤ丸、サイベリヤ丸と改称した。」
(中野秀雄『東洋汽船64年の歩み』東洋汽船株式会社(非売品)、1964年、147-149頁より。一部地名等の漢字表現を引用者が変更)

 東洋汽船は日本郵船と並んで豪華な客船ポスターの制作において先駆的な取り組みを行なっていましたが、このポスターは初期の客船ポスターに広く見られたいわゆる「美人画」の意匠を脱却して、自らが誇る客船そのものを中心に据えたデザインとしており、新時代の客船ポスターの先駆けとも言える優れた意匠を採用しています。「サイベリア丸」「コレヤ丸」の就航予定を告知する一方で、より抽象性を高める形で客船が描かれており、眼前を滑空する海鳥達の姿がより強い印象を与えるという、洗練されたデザインとなっています。

 また、東洋汽船が手がけたポスターとしては珍しく同社を象徴する社旗である「日の丸扇」をどこにも描いておらず、華美な装飾を配した非常にシンプルな構成となっている点でも、同社製作のポスターの中でも異色のデザインを採用したポスターであるように見受けられます。1920年代後半以降の客船ポスターに特徴的な、専門のデザイナーによる抽象性の高いデザインを重視した構成のポスターにより近い作品と言えるもので、東洋汽船が手がけたポスターの中でも、最もシンプルで、抽象性の高い作品ではないかと思われます。同時代に製作された客船ポスターは、第一次世界大戦による好景気を背景として、いずれも非常に豪華絢爛なデザインを探求したものが多く、東洋汽船による同時代のポスターにもそうしたどちらかというと派手さを好んだデザインのポスターが数多く見られます。そうした同時代の客船ポスターが採用したデザインの流行に鑑みると、このポスターが採用したシンプルさを追求したようなデザインの作品は、極めて独自性の高いものであると思われます。

 東洋汽船が手がけた数多くのポスターはいずれも非常に手の込んだもので、当時の国内外の顧客に向けて製作されたこれらの美しいポスターは、往時の同社の積極的な活動を垣間見せてくれる貴重な資料となっています。ポスターという資料の性質上、摩耗や劣化が激しいことが避け難いことから、こうしたポスターで現存するものはそれほど多くなく、このポスターのように比較的状態の良いものは特に貴重であると言えるでしょう。