書籍目録

『写真で見る日本(ジャパン・ピクトリアル)』

国際観光局 / 鉄道省 / (原弘 / 木村伊兵衛ほか)

『写真で見る日本(ジャパン・ピクトリアル)』

(英仏独3ヶ国語併記) 1930年代  東京刊

Board of Tourist Industry / Japanese Government Railways.

JAPAN PICTORIAL / LE JAPON ILLUSTRÉ / JAPAN IN BILDERN.

Tokyo, Kyodo Printing Co, 1930s. <AB2023192>

¥55,000

22.2 cm x 25.5 cm, 36 leaves, Original pictorial card boards.
表紙にスポットの状の焼けが見られるが本文は概ね良好な状態。[NCID: BA18294175]

Information

1937年パリ万博に出展した巨大モンタージュ写真を表紙に用いた「日本写真集」

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「1930年、国際観光局が設置される。外国人旅客誘致を通じた経済振興を目的に新設された、鉄道省の外局である。この機関から海外向けの定期刊行物として1934年に小冊子『ツーリスト・ライブラリー』が、翌年にはグラフ雑誌『トラベル・イン・ジャパン』も創刊され、外客の誘致が外貨獲得のために官民を挙げて推進される。また、1933年の国際連盟脱退によって低落した日本のイメージの回復を図るべく、その翌年には外務省の外郭団体として国際文化振興会(国際交流基金の前身)が発足する。国際的国立が深まる中、日本文化を海外へと発信する諸機関がこの時期に相次いで立ち上がる。
 (中略)万国博覧会(1937年のパリ万博のこと:引用者注)出品の写真壁画としては日本初・日本最大となった《日本観光》の制作は、国際報道写真協会が請け負った。中央工房内に1934年に組織されたこの機関は木村伊兵衛や渡辺義雄、伊奈信男、原弘といった面々が名を連ねる写真エージェンシーとして、主に海外向けの写真を配信しており、国際観光局はこうしたフリーランスの集団に前述のようなグラフ雑誌の撮影をはじめとした事業・業務を発注していた。」
(小原真史ほか『富士幻影:近代日本と富士の病』IZU PHOTO MUSEUM、2011年、29ページより)

「『Japan Pictorial』
 1937(昭和12)年に国際観光局が発行した『Japan Pictorial』の表紙には同年にフランスで開催されたパリ万博の日本館の2階の壁面に展示された高さ2.35メートル、幅18メートルの巨大な《日本観光写真壁画》が掲載された。この写真壁画の制作を受託したのは国際観光協会であり、同協会の原浩がレイアウトデザインを担当、国際観光局が所蔵する写真と、木村伊兵衛、小石清、渡辺義雄らによる写真54点を素材に、フォトモンタージュによって、富士山、桜、鯉のぼり、芸者、鎌倉大仏、厳島神社、錦帯橋、奈良公園、国会議事堂、東京の夜景、日劇、歌舞伎座などを絵巻物のようにちりばめて日本の観光イメージを構成した。それまでの国際観光局による観光ポスターと大きく違う点は、関東大震災後新しくモダン都市として生まれ変わった東京の新しい姿を象徴する有楽町の日劇(1933年)や帝国議事堂(1936年)が描かれていることであり、オリンピックと万博という2つの国際イベントの開催を見据え、モダン都市としての東京の姿を含めた観光イメージを形成しようとしていたことがうかがえる。」
(東京国立近代美術館 / 木田拓也『ようこそ日本へ:1920-30年代のツーリズムとデザイン』2016年、82ページより)