本書は、ペリー(Matthew Carlbarith Perry, 1794 -1858)による日本遠征隊の実現に向けて活躍したロビイストであったパーマー(Aaron Haight Palmer, 1785? - ?)によって1855年に刊行された作品で、日本遠征隊を成功に導くにあたって自身が多大な貢献を成したことを証明するために、1840年代半ばから実際に提出していた各種報告書、書簡、提言書などをまとめたものです。日本遠征隊の成功における功労者として、何らかの恩賞を得ることを目的として刊行された作品ですが、パーマーの活動全体がまとめられた内容となっていて、結果的にアメリカの対日交渉史研究に資するところ極めて大きい重要な書物となっています。
ペリーの日本遠征隊は、突如として計画されたものではなく、当然ながらそこに至るまでの複雑な文脈がありました。アメリカ捕鯨業の発展による太平洋進出、カリフォルニアの領土獲得と金鉱発見による西海岸経済の爆発的発展、それに伴う太平洋横断航路への商業的期待、中国を主とする東アジア地域でのイギリスとの経済的覇権をめぐる熾烈な競争、等々といった多くの複雑に入り組んだ経済的、政治的、外交的文脈の微妙なバランスの上で実現したものです。後年から見ると、アメリカが「一貫して」「確固たる意志と目的を持って」日本遠征隊を計画していたと思ってしまいがちですが、実際には、むしろ当時のアメリカ国内におけるミクロ・マクロ双方の様々な条件が織りなす中で、辛うじて実現されたといったほうが正しく、それだけにその背景にあった文脈を一つ一つ丁寧に読み解くことが、日本遠征隊の全貌を理解する上では欠かせません。
パーマーは、ニューヨークで法律事務所を開く一方で、政財界とのコネクションを強め、大陸横断鉄道実現と、太平洋を挟んだ東方アジアの独立国との交易拡大を主張するロビイング活動を活発に展開していました。特に、彼は日本との交易を実現することがアメリカの(そして自身の)利益につながることを熱心に主張し、自ら膨大な調査報告書を作成し、政府関係者に提案していました。また、ペリー自身とも出発前に情報交換を行っているほか、在米オランダ公館を通じて長崎オランダ商館への働きかけも試みていました。彼の提言は、彼自身によって印刷されたものもあれば、議会文書として後に公刊されたものもあり、また作成当時からオランダ語に翻訳されているものもあることから、何らかの形で日本側にその主張が伝わっていた可能性もあります。こうした報告書、提言書の多くは、より多くの賛同者を得るために議会文書、ないしは通常の書籍の形などで公刊されており、それらのうち独立して刊行された作品を(店主の知る限りで)時系列に沿って列挙すると下記のようになります。
[1846年]
Letter to the Hon. Charles J. Ingersoll, chairman of the Committee on Foreign Relations of the House of Representatives, containing some brief notices respecting the present state, productions, trade, commerce, &c. Of the Comoro Islands, Abyssinia, Persia, Burmah, Cochin China, the Indian Archipelago, and Japan; and recommending that a special mission be sent by the government of the United States, to make treaties, and open and extend our commercial intercourse with those countries.
New York, Printed by J.M. Elliott.
16p.
所蔵:日文研(NCID: BA85181100)
1848年
Memoir, geographical, political, and commercial, on the present state, productive resources, and capabilities for commerce, of Siberia, Manchuria, and the Asiatic islands of the Asiatic islands of the northern Pacific Ocean; and on the importance of opening commercial intercourse with those countries, & c. : addressed to his excellency James K. Polk, President of the United States.
[Washington?], Tippin & Streeper, printers.
105, [1], 2p., [2] folded leaves of plates: maps.
所蔵:日文研(NCID: BB2411715X)
1849年
Letter to the Hon. John M. Clayton, secretary of state, enclosing a paper, geographical, political, and commercial, on the independent oriental nations; and submitting a plan for opening, extending, and protecting American commerce in the East, &c.
(respectfully submitted to the president and cabinet, by Aaron Haight Palmer)
Washington, Gideon & Co., printers.
Revised, and now republished with an appendix.
63, [1]p.
所蔵;日文研(NCID: BB20917813)
*上記のオランダ語訳
De handel op de westkust van Amerika, en de oostelijke kunsten en eilanden van Azie.
(In Tijdschrift voor Nederlandsch Indië, 11 de Jrg., Twaalfde Aflevering, 1849)
[Groningen], [Erven C. M. Van bolhuis Hoitsema]
p.[369]-386.
所蔵:日文研(NCID: BB21220301)
1855年
Memorial of Aaron Haight Palmer, praying compensation for services, in collecting valuable information and statistics in relation to the geography, productive resources, trade, commerce &c., of the independent oriental nations.
(33D Congress, 2d Session, Mis. Doc. No. 10)
[Washington]
23p.
所蔵:日文研他3機関(NCID: BB2753923X / BB2411715X)
1857年(本書)
Documents and facts Illustrating the origin of the mission to Japan, authorized by the United States Government, May 10, 1851; and which finally resulted in the treaty concluded by Commodore M. C. Perry, U.S. Navy, with the Japanese commissioners at Kanagawa, bay of Yedo, on the 31st March, 1854. Which is appended a list of P. Kennedy, late Secretary of the Navy, by the order ,on the 26th February, 1853, for the use of the projected U.S. exploring expedition to Behring’s strait, &c., under the command of Commander Cadwallader Ringgold, U.S. Navy.
Washington, Henry Polkinhorn, printer.
22p.
*1973年にScholarly Resources、2002年にRoutledgeより復刻版あるも、原著は国内所蔵無し?
上記を見て分かるように、本書はパーマーの一連の出版活動の中でも最後に刊行されたもので、「日本遠征の起源」に自らが大きな貢献を成したことを具体的に証明するために、パーマーが手がけた報告書や書簡や提言書を多数掲載していることから、アメリカの対日使節派遣の背景事情を理解する上で欠かせない文献として大きな価値を有しています。本書に収録されている内容は下記のとおりです。
A) Copy of the Report presented to the Senate of the United States, February 12th, 1857, by the Hon. Wm. H. Seward, of the Committee on Commerce, in relation to the memorial of Aaron Haight Palmer, together with the remarks of the late Hon. John M. Clayton on presenting the original memorial to the Senate January 18, 1855.
B) Copy of the Report prepared by Mr. Clayton, to present to the Committee of Foreign Relations of the senate in favor of Mr. Palmer’s claim; taken from the original on file in the office of the Secretary of the Senate.
C) Titles of the several printed documents of Mr. Palmer, referred to in Mr. Clayton’s Report;
including his Revised Plan for opening Japan, addressed to Mr. Clayton on the 17th September, 1849;
together with extracts from Mr. Palmer’s letter to President Fillmore, of the 6th January, 1851, soliciting his attention to the subject; which was referred by the President to the Secretary of State.
D) Brief statement of facts in regard to the ultimate adoption of Mr. Palmer’s Revised Plan for opening Japan, with certain modifications in its details, and the performance of the mission by Commodore Perry.
E) List of certain Memoirs, &c., prepared in 1853 by Mr. Palmer by order of the Hon. John P. Kennedy, Secretary of the Navy, for the use of the projected United States Exploring Expedition to Behring’s Strait, &c., under Commander Cadwallader Ringgold, U. S. Navy.
F) Copy of a letter from Commander Cadwallader Ringgold to Mr. Palmer, dated Washington, February 26th, 1857, attesting the preparation and delivery to Hon. John P. Kennedy, late Secretary of the Navy; and by his order, of the Memoirs, &c., mentioned in the preceding list, marked E.
上記のうち、A) とB)は、1855年頃から行われていたパーマーに対する報奨金支給の検討に際して提出されていた資料で、日本遠征派遣計画の段階から大きな役割を果たした一人であるクレイトン元国務長官(当時、John Middleton Clayton, 1796 - 1856)によるパーマーの活動報告書のような内容で、1846年から1851年にかけてパーマーが重要な調査報告や提言をおこなってきたことを具体的な事例を列挙しながら紹介されています。
C) と D) は本書の中心となっている部分で、B)のクレイトン本国務長官の報告書の中で具体的に言及されているパーマーによる提言、報告、書簡を再掲しています。このうち、C)の前半(pp.7-10)ではパーマーによる4つの刊行著作が紹介されていて、ここではそれぞれの著作の書誌情報とその内容の要約が時系列に沿ってまとめられています。
C) の後半(pp.10-)は、特に重要と思われる興味深いパーマーによる2つの提言(書簡)の全文が掲載されています。最初のものは「日本開国計画改訂版」(Revised Plan for opening Japan)と題されたもので、上で見た1849年4月にクレイトン国務長官に提出した報告書の中に含まれていた日本開国計画を、その後に入手した最新情報を反映させてさらに完全なものにするために急いで改訂したもので、1849年9月17日付でクレイトン国務長官に提出されました。この計画書では、日本沿岸に漂着したアメリカ水夫の非人道的扱いに対する補償と再発防止、沿岸での必要物資の補給や、松前や琉球に補給拠点を設立し、それ以外にも通商のための開港を認めることを「最後通牒」(ultimatum)として要求することが提言されています。ここでは、日本は戦闘的な民族ではあるものの、たった1隻のフリゲート艦に対してさえも防御できない脆弱な軍事力しかなく、たとえば江戸近郊の品川をアメリカの艦隊によって封鎖すれば首都への必要物資の供給を停止させることができ(交渉を有利に進められ)るとまで述べており、かなり強硬な主張が展開されているように見受けられます。また、日本との交渉を進めるに際して重要となる日本の統治構造についての解説も含まれていて、世俗の皇帝(secular emperor)である「将軍」(seogoon)は、日本の東部の首都である江戸(Yedo)に在住し、あらゆる政治的な権限を有していること、その一方で「京都」(Myaco)に住む精神的な皇帝(spiritual emperor)である「帝」(mikado)は、基本的に政治に関与しないが、宣戦布告と外国勢力との交渉(in case of a declaration of war, or negotiation with foreign powers)に関してだけは例外であるとして、以下幕府の統治システムなどの解説がなされています。また、江戸に入るための航路や水路情報、日本の防御体制についてもアメリカや他国からの最新情報を踏まえてかなり詳しく報告されており、その結論として、かなり大型の艦隊であっても江戸湾に侵入することは十分可能で、日本の海軍力は問題にならず、首都の眼前に艦隊を迫らせ、「揺るぎない決意」(unwavering decision)を持って交渉に臨めば、アメリカによる日本遠征派遣団は、過去の西洋諸国によるあらゆる試みよりも大きな成功を収める機会を得られるであろうとしています。
C) の後半に収録されているもう一つの記事は、1851年1月付でフィルモア大統領(当時、Millard Fillmore, 1800 - 1874))に宛ててパーマが送った書簡で、「日本開国計画改訂版」を踏まえつつ、アメリカによる中国沿岸への艦隊派遣によって中国のみならず、その近郊のアジア諸国との通商交渉も進められ、サンフランシスコと東アジアとを結ぶ太平洋航路を開くことで大きな貿易利益を得らることを改めて強調し、日本との条約交渉のための艦隊派遣をいち早く実現すべきことを説く内容となっています。また、これに続くD) (pp.20-21)は、先に見た「日本開国計画改訂版」が実際にどのように活用されたかをまとめたもので、フィルモア大統領や彼の主任顧問とも言える存在であったダニエル・ウェブスター(Daniel Webster, 1782 - 1852)、当初日本派遣団の指揮を命じられていたオーリック(John H. Aulick, ? - 1873)、そしてとりわけペリーその人によってパーマの「日本開国計画改訂版」が大いに参照されただけでなく、1849年から1852年にかけてパーマーとペリーが何度も日本遠征に関する会談の機会を設けていたことが報告されていて、日本遠征の成功にパーマーが大きく貢献したことが改めて強調されています。
E) とF)は、いわゆるアメリカ西海岸と東アジアを結ぶ航路としての「大圏航路」開設のための測量調査団として、ペリーによる日本遠征隊とは全く別個に1853年に派遣された、カドワレイダー・リンゴールド(Cadwalader Ringgold, 1802 - 1867)による(のちにジョン・ロジャーズ(John Rodgers, 1812 - 1882)に交代)北太平洋測量艦隊の活動にもパーマーが大きな貢献を成したことを証明するために、1853年2月26日付パーマーのケネディ海軍長官宛書簡と、パーマーによる情報提供が北太平洋測量艦隊の活動に大いに貢献したことを証言するリンゴールドによる1857年2月26日付のパーマー宛書簡が掲載されています(リンゴールドとロジャーズによるいわゆる「北太平洋測量艦隊」については、後藤敦『忘れられた黒船:アメリカ北太平洋戦略と日本開国』講談社、2017年を大いに参照)。このE) と F) は、パーマーの長年にわたる活動が日本遠征だけでなく、西海岸と東アジアとを太平洋を介して結ぶという、当時のアメリカ政府による壮大な構想全体に大きな影響を与えていたことがうかがえるもので、これらも大変興味深い資料と思われます。
本書はその存在については早くから知られていたものと思われ、何度か複製版の刊行がなされていますが、その一方で原著は発行部数が著しく限られていたのか極めて稀少となっていて、店主の知る限りでは国内研究機関には1点も所蔵されていないように見受けられます。「日本開国」を巡る第一級史料でありながら、その原著が国内に1点も所蔵されていないというのは不可解としか言いようがありませんが、いずれにせよ本書は極めて貴重な1冊と言えるでしょう。
「ニューヨークで弁護士をつとめていたパーマーは、世界的な財閥として知られるロスチャイルド家のアメリカにおける代理人をもつとめていた。彼はその政財界の人脈を用いて、アメリカの貿易拡大のあらゆる可能性を調査し、またその実現のためのロビー活動をくりひろげていた。そのロビー活動のなかには、日本開国のための使節派遣の要求も含まれている。そのこともあって、経歴等に関してはまだ不明なところもあるが、パーマーに着目をしてアメリカの対日外交の特質を検証する、という研究も進められている。
そのパーマーが、1848年1月10日付で大統領ポークに送った提言書が議会文書のなかに残されている。かなりの長文であるが、序文のパーマー自身の要旨をもとにまとめると、その最大の目的は、北太平洋諸地域の国々、地域と通商関係を結び、アメリカの商圏を拡大することにある。そして、この提言の背景には、パーマー自身が述べるように、オレゴン、カリフォルニアというアメリカ西部への入植者の急増という状況があった。また、彼は太平洋における捕鯨業の隆盛にも言及し、太平洋を往来する商船も含めて、同海域でのアメリカ人保護のための、「政府による包括的な体制の早期採用」を求めたのである。
その「包括的な体制」としてパーマが求めたのは、まず、大西洋と太平洋を結ぶ鉄道の、その路線となりうる土地の探査・測量、および早期の着工である。これによって、大西洋と太平洋という2つの大海の交流が促進されると主張する。
さらに、太平洋を介して中国にいたる航路を開設することを求め、そのために、ロシアと外交交渉をおこなって、アリューシャン列島やカムチャッカなど、北太平洋海域のロシア領にアメリカ船が入港できるようにすべきだと述べている。また、清朝とも交渉し、アムール川近辺でも貿易がおこなえるようになれば、日本や朝鮮へ通商を求める足がかりにもなることを示唆している。(中略)
「明白な天命:による西漸運動と、東アジアでの貿易拡大という要求が相まって、1840年台のアメリカ国内では、アメリカの太平洋岸と、北太平洋、そして中国を結ぶ環太平洋地域をアメリカが掌握すべきという議論が高まっていた。そして、これらの構想は、イギリスの覇権への挑戦というアメリカの世界戦略と明確に結びついていくことになる。」
(後藤敦『忘れられた黒船:アメリカ北太平洋戦略と日本開国』講談社、2017年、61-63ページ)