本書は、日本がまさに開国に向けて動き出そうとしていた1852年にハーグで刊行された作品で、1845年から1850年にかけてオランダ出島商館長として日本に滞在したレフィスゾーン(Joseph Henry Levyssohn, c.1800 – 1883)が著したものです。レフィスゾーンは、艦隊や難破船などで次々と来航するフランスやアメリカと、その対応に苦慮する江戸幕府の間に立って、当時西洋で唯一の日本との通商国であったオランダの出島商館長として、仲介や助言を行うことに尽力したことが知られている人物です。本書では彼が日本滞在時に生じた出来事だけでなく、日本の開国を求める西洋各国の動向や、外交文書、提言書、雑誌記事などが多数収録されていて、オランダの立場から見た日蘭交渉史と開国直前期の日本の対外交渉史がまとめられています。
本書の冒頭口絵には出島を描いた白黒銅版画折り込み図として収録されており、出島に掲げられていたオランダ国旗のみ目立つようにて彩色が施されています。この出島図は、シーボルトはじめオランダ商館関係者に数多くの作品を提供したことで知られる絵師川原慶賀による作品を原図としているようで、本図に非常によく似た川原慶賀の作品が長崎歴史文化博物館に所蔵されています。この印象的な出島図に続く本書序文において、レフィスゾーンは、オランダが日本との通商を独占しようとして他の西洋諸国を締め出そうと画策しているという誹謗中傷が繰り返しなされてきたことを批判しています。1844年にオランダ国王ウィレム2世が日本に対して開国を勧める書簡を送ったことに示されるように、これらの誹謗中傷が全く事実に反するものであること、本書ではこれまでの日蘭関係の歴史を振り返り、特に近年オランダが日本と西洋諸国との間で尽力してきたことに関連する資料群を紹介するという旨を述べています。
本書は全4部で構成されていて、その第1部(pp.1-38)は、これまでの長きにわたる日蘭関係史の概観となっています。ここでは、歴代の平戸・長崎オランダ商館長名を辿りながら、それぞれの時代の特筆すべき事項をまとめたヒミリウスの論文や、公式の日蘭関係の起点となった1609年にオラニエ公マウリッツが徳川家康に送った国書などが掲載されています。ヒリミウスの論文は、歴代の平戸・長崎オランダ商館長名を辿りながら、それぞれの時代の特筆すべき事項をまとめた内容です。初代商館長スペックス(Jacques Specs, 1589 - 1652)に始まり、当時在任中であったレフィスゾーン(Joseph Henry Levyssohn, 1800?-1883)に至るまでを記録しています。多くの商館長については、1行から数行程度で紹介されていますが、初期の日蘭貿易関係樹立に尽力したカロン(François Caron, 1600 - 1673)や、膨大な日本コレクションを蒐集していたティツィング(Isaak Titsingh, 1745 - 1812)、オランダがフランスに占領された苦難の時期を耐え、フェートン号事件にも対応したドゥーフ(1777 - 1835)など、歴史において重要な役目を果たした商館長については、より詳しく論じています。当時終焉を迎えつつあった出島商館ですが、その時期のバタヴィアにおける日蘭関係の歴史観が垣間見える大変興味深い資料です。
第2部(pp.39-65)はレフィスゾーンが日本滞在時に生じた出来事が時系列に沿って記されています。1846年から1850年に至るまでの出来事が章ごとに解説されていて、関連する文書や書簡なども引用して掲載されています。たとえば、セシーユ(Cécille, Jean Baptiste Thomas Médée, 1787 – 1873)率いるフランス艦隊の来航に際して発せられた書簡などが掲載されていて、彼が幕府との仲介役として尽力した経緯や、当時次々と日本に来航する外国船に対する幕府の対応、その中でレフィスゾーンがとった行動が、多くの外交文書や当時の新聞記事などを交えて解説されています。またレフィスゾーンが牛痘接種の普及に尽力したことなどもここでは記されていて、レフィスゾーンの日本滞在記というべき内容となっています。
第3部(pp.66-124)は、アメリカによる日本遠征団派遣に焦点を当てて、各国から発信された日本の開国に向けた運動に関する史料群がまとめられています。ここでは、アメリカで日本への遠征団派遣をかねてから繰り返し主張していたパーマー(Aaron Haight Palmer, 1785? - ?)がレフィスゾーンに送った書簡や彼の提言書を筆頭に、アメリカやフランス、ドイツ、オランダなどの雑誌に掲載された様々な論説が掲載されていて、ペリー(Matthew Calbraith Perry, 1794 -1858)による日本遠征隊派遣が実現した背景が解説されています。
ここで紹介されているパーマーがレフィスゾーンに送った提言書というのは、主に1849年に彼が時の国務長官クレイトン(John Middleton Clayton, 1796 – 1856)へ提出した『クレイトン国務長官への公開書簡:東洋の独立諸国についての地理、政治、商業報告、ならびに東方において合衆国が通商を新たに開き、拡大し、そして保護するための計画案』 (Aaron Haight Palmer. Letter to the Hon. John. M. Clayton, secretary of state, enclosing a paper, geographical, politial, and commercial, on the independent oriental nations; and containing a plan for opening, extending, and protecting American commerce in the east, &c.:…Wahington: Gideon & Co., 1849)のことです。この書簡はオランダにも大きな影響を与えたようで、レフィスゾーンが言及しているように同年中にオランダ語に翻訳されて刊行されてもいます(De Handel op de Westkust van Amerika, en de Oostelijke kusten en eilanden van Azie. In Tijdschrift voor Nederlandsch Indië. Jaargang 1849 II. Groningen: C.M. Van Bolhuis Hoitsema, 1849.)。パーマーは、ニューヨークで法律事務所を開いていた法曹人で、政財界とのコネクションを強める中で大陸横断鉄道実現や、太平洋を挟んだ東アジアとの交易拡大を主張するロビイング活動を活発に展開していました。彼は特に日本との通商関係を樹立することがアメリカの大きな国益になることをかねてから熱心に主張しており、自ら膨大な調査報告書を作成して、政府関係者に提言を繰り返し、日本に滞在していたレフィスゾーンに対してもこれらの提言書を送ることで、幕府への影響力を行使しようとしていました。レフィスゾーンがパーマからの書簡と報告書を受け取ったのは、彼が離日する寸前のことでしたが、こうしたパーマーの動きに対して冷静に対応したように見受けられ、一説にはパーマーからの書簡等報告書の一部をオランダ語に翻訳し、幕府に提供していたとも言われています。
レフィスゾーンは、ペリーによる日本遠征団派遣の背景として、日本に漂着したアメリカ人の非人道的扱いに対する抗議を根拠の一つとした開国を迫るための遠征団の派遣を求める議論が大いに盛り上がっていたことを紹介しており、このパーマー書簡をはじめとしてアメリカ国内の雑誌や新聞などの関連記事をオランダ語に翻訳して例示しています。また、イギリスやフランスにも同様の動きが少なからず見られたことも紹介していて、各国で刊行された同様の関連記事も併せて紹介されています。こうした西洋諸国による「日本開国要求論」とも言える議論の盛り上がりに対して、レフィスゾーンはその根拠として挙げられている「漂着民の非人道的な扱い」といった事実の存在は十分には証明されておらず、軍事的脅威を背景とした開国要求には正当性が乏しいことや、長期的に日本との関係構築に際して大きな問題となりうることなどを批判的に指摘しています。また、こうした論調とは異なる議論がドイツ語圏では見られるとして、日本が主権国家として歴史的に高い独立性を保っており、他国に対して損害を与えるような侵害行為を行なったわけではないのに、アヘン戦争において典型的に見られたような強制的に通商を要求するようなことには全く正当性がない、という趣旨の議論を展開している記事を引用しています。
この第3部は、日本開国前夜の欧米諸国において展開された議論とその背景を理解するための格好の史料集とも言える内容で、それに加えて、収録されている記事に対するレフィスゾーン自身の批判的解説がなされていることから、当時のオランダの立場の一つを理解する手掛かりにもなるものです。レフィスゾーンがここで引用している記事の中には、現在ではあまり知られていない記事も含まれているのではないかと思われ、またそれらに対する批判的解説もレフィスゾーン独自のものであることから、非常に興味深い内容となっています。なお、この第3部の一部は、幕末の日本で邦訳もなされて「レヒソンヤッパン」などの名で写本が流布しており、勝海舟をはじめとして多くの日本の人々に影響を与えたことが知られています。
第4部(pp.125-176)は、詳細な日欧交渉史文献目録となっていて、各作品に対するレフィスゾーンの解説からは、彼がこうした文献に広く精通していたことがうかがえます。レフィスゾーンは、オランダが日本との交易のみならず、その情報さえも独占することで、他国を妨害しているという批判に対して、こうした批判が全くの見当はずれであることを主張するために、これまで西洋諸言語で書かれた日本について膨大な著作が刊行されてきたことを示すことで、日本に対する情報源がいかに豊富であるかを証明し、そうした批判は単なる無知に基づくに過ぎないとしています。こうした主張をするだけのことはあって、レフィスゾーンが紹介する日欧交渉史に関する文献は膨大なもので、しかもそれぞれの文献にレフィスゾーン自身による簡単な解説や批評、翻訳版や後年の再販の有無などまでもが記されていることは、当時こうした文献目録がほとんど存在していなかったことに鑑みると、驚異的とも言ってよいものです。マルコ・ポーロに始り、直近の時代に至るまでの多くの日本関係文献を、分野や国ごとに分類しつつ、簡潔かつ的確に紹介したこの文献目録は、日本関係欧文文献目録の嚆矢とも言える画期的な内容で、現代においてさえ、なお有用性を失わない充実したものとなっています。
本書は『日本雑纂』という邦題でこれまでよく知られてはいたものの、その具体的な内容や意義についてはあまり踏み込んだ研究や議論がなされてこなかったように見受けられます。発行部数がそれほど多くなかったようで、現在では入手が非常に難しいこともその要因の一つになっているのかもしれませんが、幕末対外交渉史を多角的に読み解くための好素材として改めて注目されるべき作品ではないかと思われます。