書籍目録

『あらゆる人々の現在の民族の姿:実際の姿を元に彫版し彩色した図ならびに各民族の習慣、道徳、宗教等々についての歴史に関する注釈を付して』

マレシャル

『あらゆる人々の現在の民族の姿:実際の姿を元に彫版し彩色した図ならびに各民族の習慣、道徳、宗教等々についての歴史に関する注釈を付して』

第1巻〜第3巻(全4巻中) 1788年 パリ刊

Maréchal, Sylvain.

COSTUMES CIVILS ACTUELS DE TOUS LES PEUPLES CONNUS, DESSINÉS D’APRÉS, Accompagnés d’une Notice Historique sur leurs Coutumes, Moeurs, Religions, & c. &c.

Paris, Pavard, M. DCC. LXXXVIII.(1788). <AB2023151>

Sold

3 vols. only (of 4 vols.)

4to (15.5 cm 21.5 cm), 各巻の詳細な書誌情報は下記解説参照。, Contemporary lether.
装丁の一部に傷みが見られるが概ね良好な状態。

Information

フランス革命期に活躍した無心論者の著者による240枚余りもの彩色図版で彩られた「世界民俗図譜」において描かれた日本の人々

 本書は、世界各地の人々の特徴的な姿を描いた230枚以上もの手彩色図と、それらを解説するテキストとで構成されている作品で、いわば「世界民俗図譜」のような著作と言えるものです。著者のマレシャル(Pierre Sylvain Marécial, 1750 - 1803)は、フランス革命を挟む激動の時代を生きた著述家で、革命以前から無神論的立場から教会批判を繰り返したことで投獄されたこともある人物で、思想家、ジャーナリストとしても多彩な活躍を見せたことが知られています。本書はこうした著者による多くの作品の中でも重要な著作の一つに数えられるもので、全4巻構成で完結した作品のうち、日本を含むアジア各国、地域を対象とする第3巻までが揃ったものです。

 本書が刊行された18世紀後半は、ジェームズ・クック(James Cook, 1728 - 1779)による3度にわたる太平洋探索航海を筆頭に、多くの探検、航海記が出版されており、しかもそれらは前世紀までの著作とは異なり、航海や渡航先各地の情報を「科学的」、かつ「包括的」に調査、分析を行なおうとする傾向が強く見られるようになってきたことに大きな特徴があります。17世紀のいわゆる「科学革命」の諸成果、発展に呼応するこうした傾向は、世界各地の人々や風習、特徴を観察、分析する際の眼差しに大きな影響を与え、さまざまな人々の情報を包括的に集成した上で、それぞれを比較しつつ論ずるという独特の叙述スタイルを生み出すことになりました。こうした著作は、現在の視点から見ると極めて稚拙であったり、西洋中心主義に根付く無数の偏見に彩られていることも少なくありませんが、現在の文化人類学や、民俗学の源流とも見なしうるもので、19世紀以降ますます隆盛を極めていくことになる、「オリエンタリズム」に基づく他者への眼差しを18世紀に準備した作品群として注目すべきところがあります。

 マレシャルによるこの作品もこうした作品群の一つに数えられるもので、著者の自文化圏であるヨーロッパ各地の人々を筆頭に、アジア、アメリカ、アフリカの人々とその文化、歴史を全4巻構成で網羅的に論じようとした作品です。最新かつ精緻な学術性、科学性を重んじるというよりも、より多くの一般読者に届けることを企図したより通俗的な作品と言えるものですが、それだけに18世紀後半の時点における西洋社会での一般的な世界観が反映された作品であるとも言えます。本書は全4巻のうち、アジア各国地域を対象とする第3巻までが揃ったもので、アフリカ、アメリカをを主たる対象とした第4巻は含まれていませんが、第3巻に日本の人々を描いた2枚の彩色図版とテキストは、日本関係欧文図書としても極めて興味深い素材を提供してくれています。

 ヨーロッパだけで全2巻を費やし、164枚もの図版を収録していることからもわかるように、本書は世界各地の人々を対象としつつも、自文化であるヨーロッパに大きなウェイトが置かれています。ただし、マレシャルはあえて国家を分類単位として人々を分類せずに、都市、地域単位で人々を分類しており、本書冒頭は「パリの人々」についての記述から始められています。ヨーロッパとそれ以外の人々について、割かれる紙幅による軽重の差はあれども、いずれか特定の人々を特別視したり、相対的に優劣をつけるような扱いはしておらず、あくまで全ての人々が同一の地平において論じられています。このような自国や自文化を優れた存在として明確に位置付けていないのは、本書の大きな特徴の一つと思われます。先に見たように、著者マレシャルはフランス革命前後の動乱に満ちた時代に活躍した著作家で、啓蒙思想や無神論に傾倒して執筆活動を精力的に行い、革命以前には投獄の憂き目に合い、革命後はジャーナリストとして革命を擁護する新聞を発行するなど啓蒙主義に強い影響を受けた著者であることから、本書における人々の分類方法や叙述のあり方にはこうした著者の思想が反映されているのかもしれません。
 
 本書にはマレシャルによる序文などは見られませんが、各国、地域を独立した章立てで個別に扱い、それぞれに最低1枚の彩色図版を添えるというスタイルは全巻を通じて一貫しています。それぞれの記事には独立したページ付けがなされていて、これは各記事が合冊の形だけではなく、個別にも販売、流布されていた可能性が高いことを示唆しています。本書の大きな特徴はなんといっても美しいて彩色が施された240枚を越える図版で、世界各地の人々の姿を鮮やかに総覧することができるような書物となっています。
 
 本書第3巻は「アジアの人々」と題した彩色口絵が冒頭に置かれていて、日本についての興味深い記述もこの第3巻に見ることができます。日本の男女を描いた彩色図版は、写実的とは言い難いもので大部分が想像に基づいて描かれているものと思われますが、何か特定の既存著作に収録されていた図をそのまま転用しているわけではなく、ある意味で本書独自の図像を生み出しています。テキストでは日本の地理、宗教、歴史、文化、政府のあり方などが論じられていて、全10ページほどのコンパクトな記事でありながらも、よくまとまった日本論となっているように見受けられます。

 本書に収められている日本の人々を描いたユニークな彩色図版や、その解説テキストは、おそらくこれまでほとんど知られていなかったものと思われますが、マレシャルという著名な著述家が手がけた大部の作品において描かれていることに鑑みると、当時それなりに多くの読者に読まれたことが推測されます。また日本研究の専門家でないマレシャルが手掛けているこの日本記事に、大きな発見や新情報が含まれていることは考えにくいですが、かえって当時の標準的な日本観が反映された記事としては、興味深いものではないでしょうか。

 本書は後掲引用文において示されているような、当時隆盛を誇った西洋中心主義に根差した「人類誌」「人間の博物学」とも言える作品群の一つに数えられるであろう作品ですが、その一方で、そこで指摘されているような傾向や思想性から逸脱する、あるいは反するような傾向や思想性を有しているようにも思われるユニークな作品で、そこにはフランス革命期において多彩な活躍を見せた著者マレシャルの独自性が反映されているのではないかと考えられます。こうしたユニークな著作に掲載されたユニークな日本記事と図版を考察することは、他地域を扱った記事の比較も含めて、大変興味深いテーマと言えそうです。

 なお、本書全3巻の詳細な書誌情報は下記のとおりです。

Vol.1: Half Title., Title., colored Front., 2 leaves, pp.[1], 2-28, pp.[1], 2-7 ,pp.[1], 2-7, pp.[1], 2-8, pp.[1], 2-4, 2 leaves, 2 leaves, pp.[1], 2-6, 2 leaves, 6 leaves, 3 leaves, pp.[1], 2-13, pp.[1], 2-8, pp.[1], 2-18, pp.[1], 2-11, pp.[1], 2-16, 4 leaves, 2 leaves, pp.[1], 2-4, pp.[1], 2-5, pp.[1], 2-9, pp.[1], 2-12, 9(i.3.13), 14, pp.[1], 2, pp.[1], 2-5, pp.[1], 2-7, 2(i.e.8), pp.[1], 2-8, pp.[1], 2-9, pp.[1], 2-10, pp.[1, 2], 3-6, pp.[1], 2-6, pp.[1], 2-6, pp.[1], 2-6, pp.[1], 2-5, 2(i.e.6), pp.[1], 2-13, pp.[1], 2-3, pp.[1], 2-3, pp.[1], 2-10, pp.[1], 2-5, pp.[1], 2-11, pp.[1], 2-11, colored plates: [80].

Vol.2: Half Title.,Title., pp.[1], 2-13, pp.[1], 2-14, pp.[1], 2-8, pp.[1], 2-8, pp.[1], 2-5, pp.[1], 2-4, pp.[1], 2-8, pp.[1], 2-10, 5 leaves, pp.[1], 2, pp.[1], 2, 4 leaves, pp.[1], 2-15, 3 leaves, 4 leaves, pp.[1], 2-5, pp.[1], 2-6, pp.[1], 2-3, pp.[1], 2-7, pp.[1], 2-4, pp.[1], 2-5, pp.[1], 2-4, pp.[1], 2-7, pp.[1], 2-4, pp.[1], 2-7, pp.[1], 2-5, pp.[1], 2-8, pp.[1], 2-8, pp.[1], 2-3, pp.[1], 2-17, pp.[1], 2-5, pp.[1], 2-3, pp.[1], 2-7, 6(i.e.8), pp.[1], 2-5, 2 leaves, 2 leaves, pp.[1], 2-9, 2 leaves, pp.[1], 2-8, 2 leaves, pp.[1], 2-8, 4 leaves, pp.[1], 2-10, 4 leaves, 5 leaves, pp.[1], 2-8, colored plates: [84].

Vol.3: Half Title., Title., colored Front., pp.[1], 2-14, 3 leaves, pp.[1], 2-3, pp.[1], 2-4, pp.[1], 2-7, 4 leaves, 8 leaves, pp.[1], 2-4, 7 leaves, pp.[1], 2-4, 4 leaves, pp.[1], 2-6, pp.[1], 2-8, pp.[1], 2-11, pp.[1], 2-16, pp.[1], 2-4, pp.[1], 2-12, pp.[1], 2-8, pp.[1], 2-8, pp.[1], 2-30, pp.[1], 2-10, 5 leaves, pp.[1], 2-6, pp.[1], 2-7, pp.[1], 2-10, pp.[1], 2-16, 5 leaves, 5 leaves, 3 leaves, pp.[1], 2-8, 4 leaves, pp.[1], 2-10, pp.[1], 2-24, pp.[1], 2-11, pp.[1], 2-11, pp.[1], 2-79 colored plates: [70].


「わたしたちがなぜ異民族に関心をもつか、といえば、それは、文化的にも民族的にも遠く離れた人々との対面がもたらす〈新たな啓示〉を期待するからにちがいない。
 言うまでもないが、人間は自惚れる動物であるから、未開人や異民族から学ぶのと同時に、かれらを意識的に差別し軽蔑する。その軽蔑や差別の根拠が、実はかれら異民族自体から教えてもらった叡智に由来する事情を、綺麗さっぱりと忘れて。
 いや、それだからこそ西洋人は、余計に異民族への関心を高めたのだともいえる。そのポイントは〈未知〉であること。なぜならば、人は同類からは学ばず、つねに異類に頼って自らの姿を確認するものだからにほかならない。」

「(前略)15世紀から19世紀までにおよぶ時代は、独り近代文明への歩を踏みだしたと自負する西洋人にさえ、地上はすべてが未知の民族の住む〈未知の領域(テラ・インコグニタ)〉であった。つまり、この500年間は、西洋人と地球各地の原住民とが新たな文脈の下で接触し直す過程であった、と考えてもよいはずだ。
 もちろん、西洋人の他国詮索付きは一種の病気というか〈業〉にすぎない。本当は、ある民族にとって地理的にも遠くへだてられた別の民族のことなどは、知らなくてもよい無駄な情報なのである。(中略)
 にもかかわらず、西洋人はこの500年間に、おせっかいにも世界を旅してあらゆる民族と接触をおこない、宇宙人との遭遇に擬せられるほど興味深い〈異文化ショック〉を体験した。その成果が、ここで話題にしている旅行書だったのである。
 たしかに、西洋人による500年間の世界めぐりには、博物学やら植民地獲得といった具体的目標があった。(中略)
 けれども、どのような目的にせよ、旅人たちに共通する関心の対象が少なくともひとつあった。それが〈民族〉なのである。」

「(前略)18世紀に火がついた次の旅行書ラッシュは過去の楽天的な異国めぐりとは性質を大いに異にしていた。まず、かれらのおこなった異文化へのアプローチ法あるいは研究法の変化である。それまでの視点は、書くまでもなく、〈聖書に記述されたさまざまな地域の民族〉を、聖書研究の立場から検証することに主眼が置かれていた。だからこそ異民族=異教徒の図式も成立し得たのである。こうした視点を支える最大の信念は、世界の人類がただ一度の創造によりこの世に生まれ、文明も人類も元来は起源がひとつである、と言うキリスト教神話に基づいていた。(中略)
 しかし、『野蛮の博物誌』を著したP・J・マーシャル&G・ウィリアムズが記すように、18世紀に始まる次の旅行者たちの世界旅行は、ひとまずキリスト教的世界観を棄てることからスタートしたのである。その代わりに、かれらが採用した物差しは〈博物学〉であった。博物学とは、人間なら人間の全バラエティーをひとまず同じ地平に立たせ、徹底的にその特徴を観察し、その上で各バラエティー間の関連を図式化する作業である。換言すれば、共通点と相違点の総合評価表をつくることであった。これを体系化と呼んでもよい。そしてこの方法は、一見すると、ひどい偏見からの解放を意味するように見えた。ところが−
 「尚古学的研究」に代わる新傾向は、当時一般に「人間の博物学」研究と呼ばれるものであった。「博物学」といえば、まずはベーコンにさかのぼってその概念が説明されるのが通例であった。ベーコンによれば、博物学とは「自然界の全分野にわたって集められた観察と実験結果のもっとも包括的な集大成」を意味する。人間を自然の一部とみなしてこのテクニックを当てはめること、すなわち「人間の博物学」は、次第に定着しはじめていた。なかでも「人間の博物学」ですぐに連想されたのはフランスの大博物学者ビュフォンであり、またこの言葉は、エディンバラとグラスゴウでアダム・スミス、デイヴィド・ヒューム、アダム・ファーガソンの影響下で人間と社会について探究していた人たちの関心を正確に言い当てている。スコットランド啓蒙主義の主導者であったケイムズ卿は、「人間を対象とする博物学が近年成熟の域に達した」経緯について語っている。(中略)

 人間の博物学者にとっては、遠い過去の不確かで信頼性の薄い断片を継ぎ合わせて人類共通の起源を探り出せば、それで人類の多様なありさまが説明でき、順列が定まるというわけにはいかなかった。それには世界中の人類の現在の状態を学ぶ方がはるかに輸液である。(『野蛮の博物誌』大久保桂子訳)

 ポイントは、最後の条(くだり)にある。つまり、新しい異文化への旅行者は、異民族研究を通じて西洋人の原始の姿を発見しようとしたのである。異民族とは、西洋人の各発達段階を暗示するモデルだったのだ。ここに、西洋人の人種的進化−すなわち西洋人優越思想が根づいていく。(中略)したがってこの時代にスタートする異文化への旅は、空間的地域的な人間のバラエティに接するだけでなく、古代人から中世人、近代人に至る過去の自分たち–もっと刺激的に言えば、西洋が経てきた歴史の各段階へのタイム・トリップともなり得た。
 それが、人類誌の旅の特色であった。これら新しい旅の核心だったのである。
 ゆえに、そこから生まれてくる膨大な文献や図譜は、西洋人にとってもすでに〈怪物誌〉や〈諸国物語〉、また〈異教徒史〉ではあり得ない。まったく新たな〈人間の歴史〉にほかならなかったのである。」
(荒俣弘「摩擦と共感の原点:18〜19世紀人類誌の世界」同『民族博覧会』株式会社リブロポート、1990年、4-6、8-12ページより)