書籍目録

『インドの使徒、イエズス会の聖フランシスコ・ザビエルの使徒としての生涯と事蹟』

トルセリーニ / フーベル(訳)/ (マストリリ)

『インドの使徒、イエズス会の聖フランシスコ・ザビエルの使徒としての生涯と事蹟』

(ドイツ語訳改訂増補第2版) 1674年 ミュンヘン刊

Torsellino, Orazio / Hueber, Martin(tr.).

Apostolisches Leben und Thaten bey heiligen FRANCISCI XAVERII, der Societet Jesu, Indianer Apostels. In Siben Büchen von Horatio Tursellino…Und in die Teutsche Sprach durch Martinum Huber…Anjetzo aber mit Zusätzen und neuen bewährten Miracklien...

München, Sebastian Rauch, 1674. <AB2023149>

¥330,000

(2nd enlarged ed. in German)

4to (15.3 cm x 20.0 cm), Front., Title., 7 leaves(first leaf of DEDICATO misbound), 1 plate leaf, pp.1-284, 28(i.e.285), 286-627, 6 leaves, Contemporary sheep binding.
刊行当時のものと思われる装丁でヒンジの金具も含めて現存しており、良好な状態。タイトルページ上部と献辞文の一部に補修跡あり。タイトルページ後の献辞文( )(4)が順序を誤って綴じられているがテキストは完備。[Laures: JL-1674-KB1-509-354]

Information

ザビエル伝の名著ドイツ語訳初版を底本に、新たな口絵2点とマストリリら後年に与えた影響(奇跡)などを追記した増補改訂版

 本書は、16世紀に刊行されたフランシスコ・ザビエルの伝記として最も完成度が高く、また繰り返し再版されたことにより、類書中その影響力が最も大きかったと言われる伝記作品のドイツ語訳増補改訂第2版です。著者トルセリーニ(Orazio Torsellino, 1545 – 1599、Horatius Torsellinusはラテン語表記)はイエズス会の著作家として多くの書物を著していて、ザビエル没後、ザビエルが成し遂げたアジア宣教の偉大な足跡を含めた彼の詳細な伝記調査と記録の出版を求める声が次第に高まりつつあったことを受けて、本書の執筆に着手し、1594年にローマで初版(ラテン語)を刊行しました。この初版はすぐさま大きな反響を呼び、初版刊行のわずか2年後(1596年)には大幅な増補改訂が施されて、第2版が刊行(ローマとアントワープで2種が刊行)されています。そして、この第2版が決定版として、以降繰り返しヨーロッパ各地で再版、翻訳版の刊行がなされていき、ザビエル伝記の決定版として後年に多大な影響力を及ぼすことになりました。

 トルセリーニによるザビエル伝は、原著ラテン語から各国語へと翻訳され、スペイン語訳(1603年)、イタリア語訳(1605年)、フランス語訳(1608年)、英語訳(1632年)と多くの翻訳版が刊行されました。そして1615年にミュンヘンでドイツ語訳初版が刊行されており、同書は諸本中でもこれまでほとんど知られていなかった大変貴重な翻訳版となっています。このドイツ語訳版を手がけたフーベル(Martin Huber)についての詳しい経歴は、Sommervogel等にも記されておらず不明ですが、彼によるこのドイツ語訳版は一定の評価を得たようで、このドイツ語訳初版を底本として1674年に増補改訂版として刊行されたのが本書です。

 トルセリーニによるザビエル伝は全6部構成となっていますが、本書はそのタイトルに「全7部」(In Siben Büchen)とあり、最後の第7部がトルセリーニによる原著にはない、本書において独自に追加された章であることがわかります。これは、トルセリーニによる原著刊行後、特に17世紀以降における宣教各地においてザビエルに関連する「奇跡」とみなされる出来事が数多く記録されてきたという蓄積を踏まえてのことで、こうしたザビエルにまつわる「奇跡」の記録やザビエルの列聖をはじめとした彼に関するその後の出来事を新たに追記したものが、このドイツ語訳改訂版独自の第7章であると考えられます。

 この独自の第7章を除くと、本書は基本的にトルセリーニによる原著(をドイツ語に翻訳したフーベル版)を忠実に踏襲していますが、本文に入る前に各種検閲許可文や献辞文はもちろんドイツ語訳第2版刊行の文脈に合わせて変更されています。
 本文第1部では、ザビエルの出生から幼少期以降の教育、そしてロヨラとの出会いとイエズス会創設への参加とアジア宣教を志すあたりまでを、第2部(78ページ〜)では、アジア宣教のためにインドへと向かい、ゴアを中心として行った宣教活動の様子までを記しています。続く第3部(157ページ〜)は、マラッカへと移って展開された宣教活動の様子、そして日本から同地に来ていたアンジロウとの出会いをきっかけにして日本への宣教を決意し、彼を伴って鹿児島へと向かうあたりするまでを記しています。
 
 ザビエルの日本での宣教活動は、第4部(228ページ〜)で非常に詳細に論じられていて、最初に到着した鹿児島、そして豊後、山口において君主から宣教活動の許可を得たり、仏僧と議論を交わしたこと、首都である京都へと向かい、再び山口を経て九州に戻るまでと、時系列に沿ってザビエルの日本での活動が細かく記されています。また、この第4部の冒頭には「日本概論」とも言える内容の日本についての説明がなされており、ここでの記述は当時のヨーロッパの読者の日本観形成に大きな影響を与えたことでも知られています。その意味でもカトリックのドイツ語圏の読者に対して有力な日本情報となったであろうこの記事は、大変興味深いものであると言えます。

 第5部(303ページ〜)では、日本での宣教活動をより本格的に展開するために、中国での宣教を志して一旦離日して、中国へと向かおうとしたその矢先に病のために帰天したことまでが記されていて、時系列に沿った彼の伝記としては、この第5部までが本論となっています。第6部(380ページ〜)は、ザビエルの生涯を通じて確認された様々な奇蹟、また彼の死後にその遺骸が腐敗しなかったことなど、死後にも生じた多くの奇蹟についての記述となっていて、これらの記述は、ザビエルが一聖職者を超えたある種の聖性を帯びた人物であったことを強調しています。

 この第6部までがトルセリーニによる原著に基づいたドイツ語訳テキストですが、上述したように本書では独自記事として第7部(512ページ〜)が設けられています。この第7部では、トルセリーニによる原著やドイツ語訳初版が刊行されて以降の17世紀中に報告されたザビエルにまつわる「奇跡」とみなされた出来事や、1622年にイエズス会創立者イグナティウス・ロヨラとともに列聖されたことなど、ザビエルに関するその後の出来事が収録されています。その中でも特に興味深い記事としては、1637年に長崎で殉教したイエズス会士マストリリ(Marcello Fransisco Mastrilli, 1603-1637)に関する記事が挙げられます。マストリリは、ナポリのイエズス会学舎の聖堂工事に従事していた際に不慮の事故で重傷を負い、一時は瀕死の状態にまで陥りましたが、病床でザビエルの幻影を見てから劇的に回復するという体験を契機に、アジア宣教にその生涯を投じることを決意したと言われている人物です。マストリリの殉教は当時のヨーロッパのカトリック世界に大きな与え、数多くの殉教伝が刊行されており、本書に掲載されているマストリリに関する記事はこうした当時の状況を踏まえて盛り込まれたものと思われます。

 また、本書のもう一つの大きな特徴となっているのは、冒頭に置かれている2枚の口絵で、いずれもザビエルの宣教活動とその成果を象徴的に描いたものです。1枚目の口絵は雲上にザビエルとイエスや天使たちが描かれていて、その下には「インド」各地の人々がその教えを崇めて跪く様子が描かれています。また、本文冒頭に置かれたもう1枚の口絵では、イエスからの光線を受けたザビエルを人々が崇めるとともに、ザビエルに続いた宣教師たちが十字架を手に活動する様子が描かれています。本書に収録されているこれらの口絵は、ドイツ語訳初版に見られるザビエルの肖像画と比較すると、その象徴性がいっそう増しているように見受けられますが、それは初版とこの第2版との間の17世紀において日本をはじめとして、各地での宣教状況やイエズス会そのものを取り巻く状況の変化を示しているようにも思われ、非常に興味深いものです。本書はそれほど現存数が多い作品ではなく、しかもこの口絵は欠落してしまっているものが多いことから、この興味深い2枚の口絵を完備している本書は大変貴重であると言えます。

 本書は数あるザビエルの伝記の中で最も著名で重要な作品に挙げられるトルセリーニによる伝記作品でありながら、これまでほとんど知られることのなかった大変希少なドイツ語訳版で、しかも改訂像に際して独自の第7章を加えたという大変興味深い作品で、刊行当時のものと思われる装丁を保持した状態の良い貴重な1冊と言えるでしょう。

刊行当時のものと思われる装丁でヒンジの金具も含めて現存しており、良好な状態。
1枚目の口絵には、雲上にザビエルとイエスや天使たちが描かれていて、その下には「インド」各地の人々がその教えを崇めて跪く様子が描かれている。
タイトルページ。上部の余白に補修跡が見られる。
タイトルページ後の献辞文( )(4)が順序を誤って綴じられているがテキストは完備している。
献辞冒頭箇所。
目次冒頭箇所。
本文冒頭に置かれたもう1枚の口絵では、イエスからの光線を受けたザビエルを人々が崇めるとともに、ザビエルに続いた宣教師たちが十字架を手に活動する様子が描かれている。
本文第1部では、ザビエルの出生から幼少期以降の教育、そしてロヨラとの出会いとイエズス会創設への参加とアジア宣教を志すあたりまでの出来事が論じられている。
第2部(78ページ〜)では、アジア宣教のためにインドへと向かい、ゴアを中心として行った宣教活動の様子までを扱う。
続く第3部(157ページ〜)は、マラッカへと移って展開された宣教活動の様子を記している。
第3部では、日本からマラッカに来ていたアンジロウとの出会いをきっかけにして日本への宣教を決意し、彼を伴って鹿児島へと向かうあたりするまでが論じられている。
第4部(228ページ〜)の冒頭には「日本概論」とも言える内容の日本についての説明がなされており、ここでの記述は当時のヨーロッパの読者の日本観形成に大きな影響を与えたことでも知られている。
第4部では、ザビエルが最初に到着した鹿児島、そして豊後、山口において君主から宣教活動の許可を得たり、仏僧と議論を交わしたこと、首都である京都へと向かい、再び山口を経て九州に戻るまでと、時系列に沿ってザビエルの日本での活動が細かく記されている。
第5部(303ページ〜)では、日本での宣教活動をより本格的に展開するために、中国での宣教を志して一旦離日して、中国へと向かおうとしたその矢先に病のために帰天したことまでが記されていて、時系列に沿った彼の伝記としては、この第5部までが本論となっている。
第6部(380ページ〜)は、ザビエルの生涯を通じて確認された様々な奇蹟、また彼の死後にその遺骸が腐敗しなかったことなど、死後にも生じた多くの奇蹟についての記述となっていて、これらの記述は、ザビエルが一聖職者を超えたある種の聖性を帯びた人物であったことを強調している。
第7部(512ページ〜)では、トルセリーニによる原著やドイツ語訳初版が刊行されて以降の17世紀中に報告されたザビエルにまつわる「奇跡」とみなされた出来事や、1622年にイエズス会創立者イグナティウス・ロヨラとともに列聖されたことなど、ザビエルに関するその後の出来事が収録されている。
第7部は、トルセリーニの原著やドイツ語訳初版には見られない本書だけの独自記事。
その中でも特に興味深い記事としては、ザビエルにまつわる奇跡を体験してアジア宣教を志し、1637年に長崎で殉教したイエズス会士マストリリ(Marcello Fransisco Mastrilli, 1603-1637)に関する記事が挙げられる。
巻末には索引が設けられている。
索引末尾箇所。