書籍目録

『日本の知識への寄与(日本風俗備考』

フィッセル

『日本の知識への寄与(日本風俗備考』

(彩色特装版) 1833年 アムステルダム刊

Fisscher, J(ohan). F(rederik). van Overmeer.

BIJDRAGE TOT DE KENNIS VAN HET JAPANSCHE RIJK.

Amsterdam, J. Müller & Comp, MDCCXXXIII(1833). <AB2023144>

Currently on loan.

(Special binding with hand colored plates edition)

4to (22.4 cm x 27.5 cm), Original front cover, pp.[I(Half Title.), II], Front., pp.[III(Title.)-V], VI-VII, 1 leaf, pp.[1], 2-320, colored plates(with tissue guard paper): [14](complete), Original back cover.], Original decorative leather, with original illustrated card covers.
一部にスポット状のやけが見られるが、装丁含め極めて良好な状態。小口は三方とも箔押しが施されている。[NCID: BA05591961]

Information

蘭領インド政策再興の一環としてなされた総合的な日本研究の白眉

 本書は、1820年から1829年にかけて日本に滞在したオランダ出島商館員フィッセル(Johan Frederik van Overmeer Fisscher, 1800-1848)による全12章からなる作品で、各章の冒頭に収録されている美しい彩色図版と、日本の家紋などが意匠に用いられた革装丁が施されている特別版です。シーボルトの同時代人として日本研究に大きな貢献をなした著名な作品として知られ、『日本風俗備考』の名で邦訳(庄司光雄/ 沼田次郎(訳)『日本風俗備考』全2巻平凡社(東洋文庫326巻)、1978年)もなされている非常に重要な日本研究書です。

 フィッセルがこのような著作を認めた背景には、ナポレオン戦争において一時フランス占領下となり、フランスと敵対していたイギリスにより東インド統治の実権が奪取されてしまったオランダが、戦争終結後の1814年に締結されたロンドン条約において統治権を回復したことを契機として、オランダ国王ウィレム一世の主導でオランダ東インド各地の総合的な研究を積極的に展開したことがありました。この前後に活躍した著名なオランダ出島商館員である、ドゥーフ(Hendrik Doeff, 1777-1835)の後任商館長ブロムホフ(Jan Cock Blomhoff, 1779-1853)、メイラン(Germain Felix Meijlan, 1785-1831)、そしてシーボルトは、いずれも帰国後にそれぞれ日本研究書を刊行していますが、フィッセルによる本書もこうした面々による著作に連なる、オランダ政府主導の日本研究推進政策の結果として刊行された作品であると言えます。フィッセルは研究活動の一環として、滞日中に書物、焼き物、絵画、仏像、衣装などを大量に蒐集していて、現在もそれらはライデンの民族学博物館に収蔵されています。

 本書は、10年近くに及んだフィッセルの日本滞在中の見聞や研究成果をまとめた総合的な日本研究で、多岐にわたる主題が論じられています。テキストは全12章構成で、邦訳書を参照しながら確認しますと下記のような構成となっています。

序論(概論)
第1章:日本の地誌と地形
第2章:日本の諸学問(日本語構文法(対話篇)を付記)
第3章:日本の珍しい(Mizerasij)品々や古物
第4章:日本画の画法や図法、日本の人々の一生
第5章:日本における様々な宗教
第6章:日本の軍備と武器、軍事力
第7章;日本の人々による贅沢や豪奢、生花、年中行事
第8章:日本の人々の余暇と娯楽(大衆芸術)
第9章:日本における動植物と農産業
第10章:日本の人々の家事や家具、食事、衣類
第11章:日本の極めて高度な手工業とその品々、度量衡、家屋、海運と船舶
第12章:ジャワから日本への渡航記、出島についての詳述、ブロンホフに同行した1822年の江戸参府記

 このように様々な主題を扱っている作品ですが、特に人々の文化や生活についての記述が充実しており、書物だけからではなく、フィッセルが実際に見聞したことや観察したことに基づいて書かれてるため、当時の日本文化を知ることができる極めて優れた記述であると言えます。本書は、フィッセルが持ち帰ったコレクションから取られた図版が豊富に収録されていることも特徴の一つで、口絵に描かれた神農と伏犧の図は、葛飾北斎の『北斎漫画』に掲載されている同図を参考にしています。本書に収録された他の図版も北斎や川原慶賀ら日本の画を典拠としています。

 前書きでは、日本について調査することは、外国人にとって容易ではないことを強調しており、続く序文では、習慣・宗教・政治についてヨーロッパに劣らない日本という国について正しい像を描き出すことが、本書の意図であるとフィッセルは述べています。序文は日本についての概説にあてられており、日本の歴史、ヨーロッパ人との交流史、統治機構、階級制度、司法制度、税制、交通網、食べ物、人々の気質などについてコンパクトに解説しています。

 第1章(65ページ)は地理情報を解説しており、富士山を背景に描いた印象的な日本図が冒頭に掲載されています。緯度、経度、地形の特徴や気候、産出物、山河の風景、支配領域などがここでは説明されます。冒頭の図に描かれた富士山についても詳しく解説されており、邦訳書では下記のように記されています。

「日本で最も美しい山の一つは有名な富士山である。それは100年以上も昔から、火を噴き続け、1万1千ないし1万2千パリー・フィート[1パリー・フィートは約31.2センチ]の高さがある。緩い傾斜をなしているこの巨像が、素晴らしい風景の中になだらかな裾野を消してゆく姿の美しさは、ご想像にまかせたい。6月まで富士山の頂上は常に雪に覆われている。8月は、人々が信仰にもとづき、ここに巡礼を行い、頂上の石の祠の中に安置されている神々を礼拝するために、登山する唯一の時期である。私がこの目で実際見たところでもあるが、富士の姿を描いた多くの絵や、いろいろな種類の鋳物の類、また富士山を歌い、記した多くの小説や詩が証明しているように、日本人はこの山とその周辺の美しさと肥沃さに飽くことを知らぬくらい心酔しているということも、私には十分に理解することができることなのである。」
(前掲訳書第1巻、113ー114ページ)

 第2章(88ページ)は学問と言語を扱い、かな文字の一覧図が掲載されています。ここでは日本語の考察に特に力が入れられており、ドゥーフ(Hendrik Doeff, 1777-1835)がフランソワ・ハルマ(François Halma, 1653-1722)による蘭仏辞書を基礎として作成した蘭和辞書ドゥーフ・ハルマも賞賛しながら紹介しています(92ページ)。また、100ページからは、オランダ語とアルファベットで表記した日本語とを併記した会話帳も収録しています。

 第3章(116ページ)は、骨董品や古銭、稀覯品についての紹介で、老哲学者を描いた図が掲載されています。ここでは、「珍しい(Mierasji)」とされる日本の品々が紹介されています。第4章(129ページ)は、書画の技法について論じ、絵を描く婦人の図が掲載されています。日本の技術はヨーロッパには及ばないとしながらも、独特の画法を有しているとして紹介されています。

 第5章(137ページ)は、宗教を扱い、寺院の内部を描いたとする図が掲載されています。ここでは、日本人は自身が神の末裔であると信じていると紹介し、神道の解説から始められています。またその関連で内裏(天皇)と公家のしきたりについても紹介しています。続いて仏教についても解説しています。さらに役行者を創始者とする山伏と呼ばれる宗団を神道の一派として紹介しています。

 第6章(158ページ)は、兵器と武器について解説しており、源義経を描いた図が掲載されています。日本は、武力と勇敢さでその独立を確立した国であるとして、軍機構や演習の様す、具体的な武器について紹介しています。第7章(175ページ)は、奢侈と贅沢についてと題されていて、贈答習慣や衣装、豪華な食事、祝祭日などが紹介されています。ここでは女中にかしずかれた礼装の日本人夫妻を描いた図が掲載されています。第8章(197ページ)では、様々な娯楽を紹介しており、旅芸人を描いた図が掲載されています。日本人は娯楽の追求に熱心で、もはや義務であるかのようであると論じています。ここでは音楽や舞台芸術、見世物についての紹介もされています。

 第9章(211ページ)は、動植物についての解説で、特に人々の生活に関係する動植物について説明しています。馬車が利用されておらず、乗馬以外の目的に使われていないことや、羊やロバが全くいないことを報告しています。ここには農業神としての稲荷大明神の図が掲載されています。第10章(223ページ)は、家事と生活を解説しており、日本では家事が極めて簡素に済ますことができるため、余暇に充てる時間が豊富であると述べています。また、日本の清潔さを賞賛する一方で戸締り設備がほとんどない点を欠点としてあげています。後半では衣装や化粧についても説明しています。ここでは5歳の袴着の儀を描いたと思われる図が掲載されています。第11章(240ページ)では、工業、産業全般を論じており、職人による版木掘りの場面を描いた図が掲載されています。職人が道具の手入れに熱心であることや彫刻の人気が高いこと、職人の賃金などの説明のほか、造船技術についての解説もあります。

 最後の第12章(254ページ)は、雑録として、ジャワから日本までの航海や、長崎に到着した際の様子、出島商館についての詳しい解説(264ページ)、そして江戸参府紀行(281ページ)に関する説明がここにはまとめて収録されています。収録されている図版は、野外での宴会を描いた図、礼服を着た男性の図、普段着の女性の図です。

 本書はこのように非常に充実した内容を誇る日本研究の名著で、しかも生前に自らの手で著作を敢行し得なかったティツィングや、20年以上にわたる分冊形式で刊行し遂に生前に完結を見なかったシーボルトの著作とは異なり、フィッセル自身によって帰国後の早い段階(1833年)に刊行されているという点に大きな特徴があります。20代の多感な時期に日本で過ごした貴重な体験をこのように包括的にまとめ上げたフィッセルのこの著作は、同時代のオランダ出島商館関係者による他の作品と比べても、その完成度が極めて高いことは改めて評価されるべきであると言えるでしょう。

 なお、本書は図版に彩色を施して特別の装丁を誂えた特装版と、白黒の図版を収録する通常版との二種類があり、本書はより稀覯とされる前者にあたる特装版で非常に美しい状態を保っている大変貴重な1冊です。この特装版は19世紀半ばにおいて、すでに非常に高額で取引されるほどの高い人気と評価を得ていたこと(Frederik Muller による1854年のカタログ掲載)が知られています。表紙には、五七桐紋と菊花紋(ただし一部改変されています)が箔押しで表現されており、書物そのものとしての美しさと日本研究書の金字塔足らんとする著者の矜持が感じられます。

五七桐紋と菊花紋(ただし一部改変)が箔押しで表現された特装版
仮綴製本時のオリジナルの厚紙表紙も綴じ込まれている。
口絵に描かれた神農と伏犧の図は、葛飾北斎の『北斎漫画』に掲載されている同図を参考にしている。中心に描かれているのは徳川家の三つ葉葵の紋。
タイトルページ
前書き冒頭箇所
目次
日本概論となっている序文冒頭箇所
「第1章:日本の地誌と地形」冒頭の彩色図
第1章:日本の地誌と地形
フィッセルが江戸参府時に実見して称賛した富士山についても詳しく紹介されている。
第2章:日本の諸学問(日本語構文法(対話篇)を付記)
「第2章:日本の諸学問(日本語構文法(対話篇)を付記)」冒頭の彩色図
第2章の後半には対話篇の形式で日本語構文の解説がなされている。
第3章:日本の珍しい(Mizerasij)品々や古物
「第3章:日本の珍しい(Mizerasij)品々や古物」冒頭の彩色図
「第4章:日本画の画法や図法、日本の人々の一生」冒頭の彩色図
第4章:日本画の画法や図法、日本の人々の一生
「第5章:日本における様々な宗教」冒頭の彩色図
第5章:日本における様々な宗教
第6章:日本の軍備と武器、軍事力
「第6章:日本の軍備と武器、軍事力」冒頭の彩色図
「第7章;日本の人々による贅沢や豪奢、生花、年中行事」冒頭の彩色図
第7章;日本の人々による贅沢や豪奢、生花、年中行事
「第8章:日本の人々の余暇と娯楽(大衆芸術)」冒頭の彩色図
第8章:日本の人々の余暇と娯楽(大衆芸術)
「第9章:日本における動植物と農産業」冒頭の彩色図
第9章:日本における動植物と農産業
「第10章:日本の人々の家事や家具、食事、衣類」冒頭の彩色図
第10章:日本の人々の家事や家具、食事、衣類
第11章:日本の極めて高度な手工業とその品々、度量衡、家屋、海運と船舶
「第11章:日本の極めて高度な手工業とその品々、度量衡、家屋、海運と船舶」冒頭の彩色図
第12章:ジャワから日本への渡航記、出島についての詳述、ブロンホフに同行した1822年の江戸参府記
「第12章:ジャワから日本への渡航記、出島についての詳述、ブロンホフに同行した1822年の江戸参府記」冒頭の彩色図
第12章に収録されている日本の男性図
同じく第12章に収録されている日本の女性図
ブロンホフに同行した1822年の江戸参府記
江戸参府の記事中にも富士山への言及が見られる。
仮綴製本時のオリジナルの厚紙裏表紙も綴じ込まれている。
小口は三方とも箔押しが施されており非常に美しい。
背表紙の装丁も凝った意匠