本書は、1667年から1671年にかけて全4巻(本書では全2冊構成)で刊行された作品で、ローマ・カトリック教会とヨーロッパ内外における異端、ないしは異教との接点(戦い)の歴史を主題とした「世界教会史」です。日本、中国をはじめとして、広範なアジア各地の宣教史が収録されており、カトリックの視点から見た16世紀、17世紀のアジア各地の様子を知ることができる大変興味深い作品です。本書は多くの銅版画を収録していることもその特徴の一つで、特に日本と中国については、大村純忠や、大友宗麟、高山右近、天正遣欧使節といった著名な現地の信徒らの姿が描かれており、そのほとんどが想像で描かれたものとはいえ、ページ全面を用いた迫力のある銅版画は、当時の読者に大きなインパクトを与えたであろうことが推察されます。
また、著者はイエズス会士であるにもかかわらず、修道会間の対立にはあまり固執せず、イエズス会以外の修道会の活躍も本書において積極的に記載しており、同時代の作品と比べると女性信徒に対する記述が相対的に豊富であるとも指摘されているなど、異端(オランダ)との最前線でもあったアントワープで刊行されたという背景にも鑑みると、大変ユニークな作品であるといえます。さらに、参考文献リストを掲載し、多くの文献を明示していることも本書の大きな特徴で、「このリストが本書で使用される文献の全てではなく、むしろその一部といった方がよく、本文に姿を表す文献の多様性には眩暈を覚えるほどである」(後掲論文203-204ページ)とされるほどの博覧強記ぶりに基づいて執筆された作品でもあります。
ハザルトによるこの作品は、その存在についてはこれまで比較的よく知られていたものの、その膨大な分量のゆえにか、本格的に内容にまで踏み込んだ研究はほとんどなく、作品全体の構成や特徴、意義についてはあまりよくわかっていませんでしたが、ごく最近(2023年)に画期的な研究論文(中砂明徳「17世紀のグローカルなキリスト教会史:コルネリウス・ハザルト『世界教会史』の射程」『京都大学文学部研究紀要』第62号、2023年所収)が発表されたことで、その全貌と意義が初めて明らかにされました。同論文は、全4巻で構成された膨大な分量に上るこの作品を通読するという途方も無い文献調査に基づいて執筆されており、この作品を理解する上で極めて重要な必読論文で、店主もこの論文に大いに助けられています。この作品の内容とその意義については基本的にこの論文を読むことで把握することができますので、ここでは同論文によって本書全体の構成を提示します。同論文では、この作品全体にの基本情報については、下記のようにまとめられています。
「…当時の洋書によくある長大なタイトルである。長いだけに本書の性格をよく説明していて、扱う時期(「前世紀と今世紀」)、テーマ(世界各地の地誌、住民の風習、儀礼、宗教、そしてとくに布教、殉教者、その他のローマ・カトリックの勇敢な行為)、銅版画による装飾という基本情報が得られる。1667年に刊行された第1巻は海外布教を扱い、68年刊行の第2巻にはアフリカ・ドイツ・フランスが収録され、69年の第3巻はネーデルランドとイングランド、そして71年刊行の第4巻はトルコ、モスクワ、ペルシア、モロッコ、タルタリアをカバーする。これを見てもわかるように、世界を広く覆っている一方で、カトリックのコアである南欧がない。南欧でも当時「もう一つのインド」と呼ばれた農村地帯への布教が行われていたが、本書は「外なる異端・異教」とその臨界地域しか扱わないということである。」(同論文、202ページ)
また、著者のハザルト(Cornelius Hazart, 1617 - 1690)の経歴については、下記のようにまとめられています。
「ハザルトは1617年にフランドル東部のアウデナールに生れた。アウデナール、ドルニク(トゥルネー)のイエズス会の学校で学び、33年にドゥエーで哲学課程に進んだが、翌年父の死により帰郷しそのままアウデナールに残り、35年に入会した。37年にルーヴァンに移って後進を教育しつつ、神学課程を修了し、47年にアントワープの聖母大聖堂で司祭に叙任され、ブリュッセルで教鞭を取った後、50年からダンケルクに移って最終養成期間を過ごした。52年にプリュっセルに戻り、54年にアントワープに移ると、以後90年に亡くなるまで同地で活躍した。
1648年のミュンスターの和約により、ネーデルラント南北の往来が盛んになり、アントワープにも多くのプロテスタントが訪れるようになった。ハザルトが説教師・著作家として語り掛けたのはオランダの「異端」だけではなく、こうした帰郷者に対してでもあった。」(同論文201ページ)
「ファン・へニップは彼の著作を、①オランダに住むカルヴァン派牧師に対する応答、書簡、②聖体の実体変化などの特定のテーマをめぐる論文、③説教、④歴史叙述に分類する。彼の著作の大半はアントワープの出版業者クノバート(Cnobbaert)家によって出版された。同家はアントワープのボランディストによって編集された『聖人伝』(Acta Sanctorum)を刊行するなど、イエズス会御用達の業者であった。」(同上)
本書は、大型の四つ折り判で全4巻(本書では全2冊)にも上る巨大な作品で、日本や中国、アジア各地に関する記述は、基本的に第1巻に集中していますが、韃靼(タルタリア)の記述と、本文執筆後に到着した最新情報に基づく追記が第4巻にも掲載されています。前掲論文ではこの膨大なテキストを読み込んだ上でその概要や意義が詳しく論じられていますが、同論文に基づいて、本書全体の構成をまとめると下記のようになります。
[第1巻](1667年刊)
「本文はまず日本から始まる。分量では他を圧している。前述したように、本編に入る前に日本の信者のハザルトへの賛歌がおかれる。日本人信者が当時ネーデルランドにいたということではなく、仮構である。海を越えたザビエルとその後に続いた宣教師の死を恐れぬ勇気をハザルトが著述したために日本人は陸にいながらにしてそれを知ることができることに謝辞を述べたものだが、本書を当時の日本人信者が手に取ることは無論ありえない」(同論文207ページ)
日本島史(pp.1-164)
・第1部「日本の短い叙述」(pp.1-16)
・第2部「キリスト教の始まり」(pp.16-30)
・第3部「キリスト教の普及」(pp.30-61)
・第4部「日本使節のローマ派遣」(pp.63-73)
・第5部「迫害とその原因」(pp.74-119)
・第6部「数々の見事な死について」(pp.119-183)
・「太閤様下の信者たち」
・「内府様下の信者たち」
・「将軍様(秀忠)下の信者たち」
・「当将軍様の(家光)下の信者たち」
・「付録」
強国シナの歴史(pp.185-244)
・第1部「シナ略説」(pp.185-194)
・第2部「カトリックの導入への下準備」(pp.194-198)
・第3部「キリスト教の宣教師のシナ入国」(pp.199-205)
・第4部「シナにおける宣教師の定住」(pp.205-210)
・第5部「カトリック信仰の開始」(pp.210-218)
・第6部「カトリック信仰の伸展」(pp.218-232)
・第7部「信仰の確立」(pp.232-244)
・「付録」
・「結論」
モゴル(ムガル)大王国史(pp.245-278)
ビスナガルまたはナルシンガ王国史(pp.279-310)
ペルー史(pp.311-352)
メキシコ史(pp.353-374)
ブラジル史(pp.375-398)
フロリダ・カナダ史(pp.399-432)
パラグアイ史(pp.433-448)
マラニャン史(pp.449-457)
シナ王国の付録、彼の国から寄せられたイエズス会士のアダム・シャールの最新書簡より(pp.458-482)
結語(pp.483-484)
[第2巻](1668年刊)
モール人の歴史(pp.1-110)
・第1部「アビシニアまたはプレテ・ヤンの王国史」(pp.1-62)
・第2部「ギニア史」(pp.63-75)
・第3部「コンゴ史」(pp.78-90)
・第4部「上ギニア史」(pp.91-102)
・第5部「モノモタパ王国史」(pp.103-110)
ドイツ史(p.111-279)
・第1部「異端の始まり」(pp.111-117)
・第2部「異端の進行」(pp.117-126)
・第3部「異端の強化」(pp.126-132)
・第4部「異端の諸派への分裂」(pp.132-152)
・第5部「登場した異端が更なる分裂を生む」(pp.152-162)
・第6部「あらゆる異端の間に見られる神慮について」(pp.163-180)
・第7部
・第8部「ドイツの戦争」(pp.191-201)
・第9部「ドイツのカトリックの闘士」(pp.202-213)
・第10部「イエズス会士がドイツで異端阻止のためにしたこと」(pp.214-227)
・第11部「ドイツにおけるカルヴィニズムの普及」(pp.227-259)
・第12部「スウェーデン、デンマーク、ノルウェー」(pp.259-279)
フランス王国史(pp.280-406)
[第3巻](1669年刊)
ネーデルラント史(pp.1-246)
・第1部「ネーデルラントの初めての改宗」(pp.7-16)
・第2部「騒乱、異端の出現」(pp.17-33)
・第3部「ネーデルラントの公然たる騒乱」(pp.33-84)
・第4部「アルバ公の統治」(pp.85-117)
・第5部「司令官ドン・ルイス・デ・レケセンスの統治」(pp.117-131)
・第6部「ドン・フアン・デ・アウストリアの統治」(pp.131-158)
・第7部「パルマ公の統治」(pp.158-219)
・第8部「アルベルトとイサベルの統治」(pp.219-246)
イングランド史(pp.249-453)
・第1部「ヘンリー8世下での分裂の開始」(pp.252-265)
・第2部「イングランドの分裂の進行」(pp.265-290)
・第3部「イングランドが若いエドワードのもとで異端と化す」(pp.290-299)
・第4部「イングランドが女王メアリのもとでカトリックに戻る」(pp.299-308)
・第5部「イングランドが女王エリザベスのもとで再び異端となる」(pp.308-334)
・第6部「イングランドの残忍さの激化」(pp.334-367)
・第7部「エリザベスの前代未聞の残忍」(pp.367-379)
・第8部「ジェームズ6世王の統治」(pp.380-408)
・第9部「チャールズ1世の統治」(pp.408-443)
・第10部「チャールズ2世の統治」(pp.443-453)
[第4巻](1671年刊)
トルコ人の歴史(pp.1-264)
・第1部「マホメットの登場と生涯」(pp.1-9)
・第2部「現代のトルコ人の宗教」(pp.9-24)
・第3部「トルコの皇帝とその統治」(pp.24-36)
・第4部「キリスト教徒の皇帝の治下でのトルコとその周辺地域での信仰の繁栄(pp.36-47)
・第5部「トルコのキリスト教徒の現況」(pp.48-64)
・第6部「トルコにおけるローマ・カトリックの状況」(pp.65-83)
・第7部「キリスト教諸侯の聖地への遠征」(pp.84-108)
・第8部「エルサレムのキリスト教徒の王」(pp.108-121)
・第9部「キリスト教諸侯の新たな遠征」(pp.121-139)
・第10部〜第13部:コンスタンティヌス大帝以下東方の皇帝たちの列伝
・第14部:「トルコの皇帝」(pp.204-264)
モスクワ史(pp.265-285)
ペルシア史(pp.286-307)
フェズ・モロッコ王国史(pp.308-318)
タルタリア史(pp.319-390)
・第1部「タルタリアの記述とキリスト教の普及」(pp.319-322)
・第2部「タルタル人への教皇使節の派遣」(pp.323-327)
・第3部「シナにおけるタルタル人の戦争」(pp.328-335)
・第4部「シナにおけるタルタル戦争の詳述とその続き、1668年10月5日にそこから送られてきた手紙」(pp.336-369)
・第5部「シナのイエズス会士に対するタルタル人の迫害、驚くべき神の御業」(pp.370-390)
付録「東インド諸地方におけるカトリック信仰の状況についての直近の情報」(pp.391-412)
・第1・2章;暦獄によるマカオの窮状と希望
・第3章:日本
・第4章〜第8章:コーチシナ
・第9章:マサッカル
・第10章:シャム
・第11章:カンボジア
・第12章:トンキン
・第13章・第14章:コーチシナ
・コーチシナの殉教者の略述
まさに、「世界教会史」の名に恥じない構成となっていることが非常によくわかります。前掲論文によりますと、本書はローマで刊行される「正史」と目されるような普遍性を強く志向する「教会史」作品とは異なって、厳密な意味での年代記的な叙述スタイルを採用せずに執筆されています。このことは、イエズス会「正史」の筆頭に挙げられる、同時代の非常に有名なバルトリ(Daniello Bartolli, 1608 - 1685)による作品である『イエズス会史』(Dell’historia della Compagnia di Giesu)とはかなり異なる構成、内容となっていると言われています。
「バルトリが会の史官として当然イエズス会を中心として記述したのに対し、ハザルトは「贔屓している」と批判されてはいるものの、イエズス会の単純な顕彰史書では決してない。そして、バルトリはカトリックの中心ローマにいながら結局「世界」を描くことはなく、個々の地域を扱うにとどまったが、ハザルトは曲がりなりにも世界を相手取っている。」(同論文302ページ)
「(前略)ダッペルもモンタヌスも(そしてバルトリも)一つの作品で世界を表象することはできなかった。本書がまがりなりにもそれを達成した力業であったことは確かである。そして、それを実現させたのは、近くにいる異端、オランダ人の存在ではなかったか。」(同論文303ページ)
「その当否はさておくとしても、カトリックのために戦い、あるいはそれに抗った人々の奏でる不協和音の壮観を作り上げたハザルトの力業には深い敬意を覚える。」(同論文304ページ)
本書は、冒頭に述べたようにこれまでその存在については比較的よく知られていましたが、その具体的な構成や内容、意義や特徴についての本格的な研究は、前掲論文において初めて開始されたばかりです。同論文を手掛かりにして、本書における各地域や出来事についての個別記述について、より詳細な研究が待たれています。
また本書は、刊行当時のものと思われる重厚な装丁が非常に良い状態で保たれている貴重なものです。この見応えのある装丁や豊富な銅版画を活かすことで、展示での活用などでも大いに役立つことが期待できるのでないかと思われます。
なお、本書には再販版存在するほか、ウィーンで刊行されたドイツ語版(こちらも何度か再版された。ドイツ語訳版については弊店HP記事参照)があることがわかっています。
*各巻の詳細な書誌情報は下記の通りです。
Vol.1: Half Title., Front., Title., 5 leaves, 1 plate leaf, 1 leaf, 1 plate leaf, pp.1-185, [186], 185-212, 113(i.e.213), 214-245, [246], 245-279, [280, 279-311, [312], 311-353, [354], 353-375, [376], 375-399, [400], 399-433, [434], 433- 449, [450], 449-484, 18 leaves, Plates: [40].
[Bound with]
Vol.2: Half Title., Front., Title., 10 leaves, 6 portraits leaves, pp.[1], 2-279, 1 leaf, pp.280-406, 13 leaves, Plates: [11].
Vol.3: Half Title., Front., Title., 1 portrait leaf, 5 leaves, pp.1-248, Half Title., 1 leaf, pp.249-455, 9 leaves, Plates: [38].
[Bound with]
Vol.4: Half Title., Front., Title., 1 plate leaf, 8 leaves, pp.1-411, 9 leaves, Plates: [18].