書籍目録

『(会話のための)佛和小辞典(佛和会話小辞典)』

エ(ミール)、ラゲ

『(会話のための)佛和小辞典(佛和会話小辞典)』

1905(明治38)年 東京 / ブリュッセル / パリ他(三才社)刊(立教学院活版部印刷)

Raguet, E(mile).

PETIT DICTIONNAIRE FRANCAIS- JAPONAIS: pour la conversation.

Tokyo / Bruxelles(Brussels) / Paris, Sansaisha / Société Belge de Librairie / Ernest Leroux, 1905. <AB2023093>

Sold

7.6 cm x 16.4 cm, 1 leaf(blank), Half Title., Title., 3 leaves, pp.[1], 2-150, [151], 152-726, [727], 728-1136, 1 leaf(colophon), 1 leaf(blank), Original green decorative cloth.
装丁の一部に傷みが見られるが、概ね良好な状態。[NCID: BN15544551]

Information

『佛和會話大辭典』と並んで刊行された「小辞典」

ただいま解題準備中です。今しばらくお待ちくださいませ。

「1896年、ラゲ神父は、島田喜蔵神父(1887年卒第2期生、上五島出身)が足掛かりを築いた鹿児島に入る。このキリスト教を見る目が厳しい鹿児島に15年間とどまり、3つの大きな仕事を成し遂げた。
 まず、島田神父が1889年に設置した仮教会を、1908年に聖堂に建て替えた。市内中央部の城山に近い照国に広い土地を購入、地元特産の石材による堂々たる聖堂で、ザビエル初上陸の地を記念して聖フランシスコ・ザベリオ聖堂と名付けられた。石材には鉄心を通したため、度重なる桜島噴火の地震にも耐えたが、1945年に空襲で破壊された。その際に残った石垣がザビエル公園に移され、王子の面影を伝えている。
 第2が旺盛な執筆活動である。抜群の記憶力で日本語を習得し、鹿児島教会在任中に七高(鹿児島大学の前身)の小野藤太教授の協力を得て『仏和会話大辞典』を編纂する。これに専念するために東京築地教会に滞在して1905年に刊行、本格的な仏語辞典として売行きが良く、その収益を教会建築資金にあてている。また教会建築中から『新約聖書』の翻訳にも着手し、1908年から築地教会にこもって1910年に刊行した。この2冊は特に有名で「ラゲといえば仏和辞典と新約聖書」のイメージが形づくられた。
 第3は、修道女の育成である。ラゲ神父は修道院を建て、長崎から愛苦会のシスターを招いて地元女性を育成した。教育費の捻出のために大好きなタバコをやめたという。こうした中、アメリカのカリフォルニアで日本移民の世話をしていたブルトン神父(後の福岡司教)の依頼で、1915年(浦上教会へ転任後)4人の修道女を派遣した。後に聖母訪問会に発展し、福岡教区にも進出している。」
(脇田安大 / カトリック長崎大司教区(監修)『パリ外国宣教会:宣教師たちの軌跡』長崎の教会群情報センター、2018年、70, 71ページより)