書籍目録

『いわゆるイエズス会の年代記 1552年から1763年まで』

(ガゼーニュ)

『いわゆるイエズス会の年代記 1552年から1763年まで』

初版 全四巻(全五巻中) 1764年〜1769年 パリ刊

(Gazaignes, Jean-Antoine)

ANNALES DE LA SOCIÉTÉ DES SOI-DISANS JÉSUITES; OU RECUEIL HISTORIQUE-CHRONOLOGIQUE DE tous les Actes, Ecrits, Dénonciations, Avis Doctrinaux, Requêtes, Ordonnances, Mandemens, Instructions Pastorales, Décrets, Censures, Bulles, Bress, Edits, Arrêts, Sent

Paris, No publisher stated, M. DCC. LXIV.(1764)-M. DCC. LXIX. (1769). <AB201716>

Sold

First edition, 4 vols. (of 5 vols.).

4to, Vol. 1; 1 leaf, Fly title, Front., title page, pp. [i]ii-ccxxij, [1]2-256(i.e.259), 260-209(i.e.273), 274-532, [533]634(i.e.534), 535-854: plate [1], Vol. 2; 1 leaf, Fly title, Front., title page, pp. i-xvi, [1]2-868: plates [2], Vol. 3; 1 leaf, Fly title, Contemporary full calf, marbled edges, with green tassel.

Information

『日本文典』のコリャード、慶長遣欧使節のソテロらの稀覯資料を収録

 本書は匿名の著者による、イエズス会の創設から1763年までの歴史を扱った全5巻からなる大部の書物です。

 匿名の著者は、バルビエ(Antoine-Alexandre Barbier, 1765 – 1825)の『筆名辞典(Dictionnaire des ouvrages anonymes et pseudonyms, 1806)』によって、トゥールーズのジャンセニストであったガゼーニュ(Jean-Antoine Gazaignes, 1717 – 1802)であることが明らかにされています。ガゼーニュは、筆名、匿名で書物を著した神学者で、本書は彼の代表作と言えるものです。年代記の形をとってイエズス会の歴史が論じられる本書の特異な点は、何と言ってもイエズス会と対立する立場にあったジャンセニストによって書かれた点にあります。イエズス会によってまとめられた同種の著作に比べて、フランシスコ会やドミニコ会といった他の修道会との対立や論争をふんだんに収録していますが、イエズス会に対して不当に攻撃であるというよりも、むしろ客観的な叙述を心がけていると評価されており、その資料的価値は大変高いと言えます。無用に論争的、攻撃的であることよりも、イエズス会による資料や文献を可能な限り駆使しながら客観的であろうとするその執筆態度は、むしろ一ジャンセニストの立場から逸脱しているとさえ言えるものです。
 
 本書は、日本関係の記述が散見されることでも大変興味深く、特にドミニコ会士で『日本文典』や『懺悔録』といった作品を著した、コリャード(Diego de Collado, 1589? – 1641)と、慶長遣欧使節を企画したことでも著名なフランシスコ会士のソテロ(Luis Sotelo, 1574 – 1624)については、それぞれ数十ページを費やして論じています。

 彼らが特に取り上げられているのは、イエズス会との論争に深く関与していたからでしょう。コリャードはイエズス会士による日本布教独占を非難したことや、ソテロが日本での殉教直前に認めたとされる「教皇ウルバーノ八世宛書簡」を刊行したことでその真偽を巡ってイエズス会から激しく非難されたことがよく知られています。

 「この日本でのイエズス会との対立をローマにまで持ち込んだのは、ほかならぬコリャードその人であった。イエズス会、ドミニコ会、それぞれの背後にあるポルトガル、スペイン両者の利害の衝突ということもあるが、弾圧を目の当たり見、不況の困難を体験したコリャードには、イエズス会による日本布教独占が最良のものとは思われなかった。ローマに戻ったコリャードは、ローマまたはマドリッドで、ポルトガル布教保護権下にあるイエズス会士の問題、また布教維持のための貿易などを論じ、あるいは在日イエズス会士に対する告訴状を出すなど、その日を訴えたが、イエズス会の反論にあい、大方の賛同を得ることができず、その意図は功を奏しなかった。しかし、日本についての知識の有効性は布教聖省の認めるところとなり、その費用で、(イ)日本文典(ロ)(判例集としての)懺悔録(ハ)羅西日辞書の三書が、1632年の刊記を持って刊行されるのである。」
(コリャード著、大塚光信校注『懺悔録』解説より)

 ソテロも慶長遣欧使節の評価、並びに日本再入国後の殉教の評価についてイエズス会からの攻撃の対象となりました。特に、前述のソテロが殉教直前に、教皇ウルバーノ八世に宛てて1624年に出したとされる書簡は、1628年にコリャードによってマドリッドで印刷に付されてから、その真偽を巡って激しい論争が起きました。本書は、これらの論争についてその背景と意義を整理しながら、双方が提出、刊行した出版物、そしてもちろんソテロの教皇宛書簡をラテン語、仏訳版を併記して再録しています。ソテロの教皇宛書簡そのものや、その論争においては、当時の日本布教のあり方や事実関係をめぐる記述が多く含まれており大変重要な資料ですが、いずれも小冊子であったり、少部数のみの印刷だったため、現在では極めて入手が難しく、それらを整理した上で収録している本書の価値は非常に高いものがあります。
 
 本書は、上智大学のラウレス文庫にも収録されておらず、また主要な日本研究書誌にも掲載されていないため、これまでほとんど研究されていなかったものと思われますが、わずかに野間一正の訳になる『ベアト・ルイス・ソテーロ伝』において言及されていることが確認できます。

「大村の牢にあって、ルイス・ソテーロ師は、1624年1月20日付で教皇に書簡を書き、使節のこと、日本布教の状態、及び師の投獄につき報告した。(中略)
1628年、コリャード神父はこの書簡をマドリッドで出版(ラウレス文庫JL-1628-KB14-390-261のこと:引用者註)し、原文を所持していることを明らかにした。このことを知るや、イエズス会士たちは、聖省並びにインド顧問会議に訴え、偽作であると難癖をつけた。そのため、コリャード神父のみならずフランシスコ会の総代理までも弁護に廻らなければならなかった。(中略)イエズス会士らは、ソテーロ師の書簡が偽作であると決めつけようと懸命になり(中略)マドリッドに於いて1628年3月5日付で、マニラ代司教座聖堂会計係兼同大司教区司教代理をし、緊急入港により1609年9月から1610年3月まで滞日したことのある、ファン・セビーコス博士署名の『論議』(ラウレス文庫JL-1628-KB17-393-261cのこと:引用者註)を出した。(中略)然し、セビーコス自身の告白及びコリャード神父の証言によって、この『論議』はイエズス会士たちにより偽作されたことが明らかなので、この論文に述べられている証拠はすべて、正しく批評すれば無効である。この『論議』の巻末に、日本の宣教師イエズス会の神父12名により書かれたと称するものが二葉印刷されている。(中略)同博士はこれを読むや、偽りの多いのに憤然とし、自分が作者であるとされているものすべてに抗議し、『論議』が偽作であるとさえ言明するに至った。(中略)ソテーロ師書簡の初版は、コリャード神父出版のもので、出版地も印刷年号も記されていないが、1628年、マドリッド出版のことは明らかであり、この版一部がパストゥラーナ文書館に存する。(中略)”Annales de la societé des soi-disans Jesuites”(本書のこと:引用者註)第2巻、766頁−802頁に、フランス語版およびラテン語版が掲載せれている。」
(ロレンソ・ペレス著、野間一正訳『ベアト・ルイス・ソテーロ伝』第10章より各文を適宜抜粋)

 また、本書は中国布教において生じたいわゆる「典例論争」についても詳細に論じており、第3巻の口絵では、マテオ・リッチ(中国名: 利瑪竇Matteo Ricci, 1552 – 1610)やミケーレ・ルッジェーリ(中国名:羅明堅 Michele Ruggieri, 1543 – 1607)アダム・シャール(中国名:湯若望 Johan Adam Schall, 1592 – 1666)らが描かれています。本書が完結するのは1771年ですが、そのわずか2年後の1773年にイエズス会はクレメンス十四世によって禁止されることになるため、本書が果たした役割というのも興味深い点です。
 
 本書は全5巻として刊行されましたが、今回ご案内するものは最終第5巻を欠いております。しかしながら、日本に関して言及のある主要箇所は第4巻までに限られていることや、現在では全巻揃いは言うに及ばず、個別の巻でもほとんど入手できないことに鑑みると、4巻までが揃いで、しかも当時の装丁を保った大変状態のよいもので見つかることは、非常に稀なことと言えます。

  • ソテロに関する記事冒頭
  • コリャードに関する記事冒頭