書籍目録

『解剖学図表(ターヘルアナトミア)』

クルムス / ディクテン(訳)/(杉田玄白ら『解体新書』)

『解剖学図表(ターヘルアナトミア)』

オランダ語訳版 1734年 アムステルダム刊

Kulmus, Johan Adam / Dicten, Gerardus(trs.).

ONTLEEDKUNDIGE TAFELEN, Benevens de daar toe behoorende AFBEELDINGEN EN AANMERKINGEN, Waarinhet Zaamensteldes Menschelyken Lichaams, en het gebruik van alle des zelfs Deelen afgebeeld en geleerd word…In het Neederduitsch gebragt DOOR GERARDUS DICTEN.

Amsterdam, Janssons van Waesberge, MDCCXXXIV(1734). <AB2022123>

Sold

First edition in Dutch. (TABULÆ ANATOMICÆ, IO. AD. KULMI, Med. Doct. Et P.P.O. atq. A.N.C.S.)

8vo (12.0 cmx 19.2 cm), 1 leaf(blank), Front., Title., 12 leaves, pp.[1], 2-4, [5], 6-249, 5 leaves(Register), folded plates: [25](No.II-XXVIII, complete), Contemporary half leather.
[NCID: BA08653078]

Information

『解体新書』原著『ターヘルアナトミア』として知られる、日本で最も有名な解剖学書

 本書は、杉田玄白らによる『解体新書』(1774年)の原著として、あまりにも有名なドイツの外科医、解剖学者クルムス(Johann Adam Kulmus, 1689 - 1745)による作品で、当時のヨーロッパにおける解剖学書の手頃な入門書としてベストセラーとなった著作のオランダ語訳版です。クルムスの『解剖学図表』は、1722年に初版が刊行されてから何度も版を重ねたことで知られる作品で、本書オランダ語訳版のほかにフランス語訳版やラテン語版といった翻訳版も刊行されるほどの好評を博しました。このうち『解体新書』と最も関係が深いのは言うまでもなくオランダ語訳版で、1734年にアムステルダムで刊行されています。しかしながら、このオランダ語訳版は現在では他の版と比べて著しく入手が困難なことが知られており、またオランダ語訳版に限らず『解剖学図表』はその実用性のゆえに図版の一部が切り取られてしまっているものが少なくないため、図版を完備したオランダ語訳版は非常に稀覯となってしまっています。その意味でも、本書はすべての図版を備え、また刊行当時の装丁を保っていると思われる大変貴重な価値ある1冊です。

 クルムスは現在のポーランドの出身で、ドイツ各地の大学で研鑽を積み25歳になった1719年にバーゼルで学位を取得し、1722年に『解剖学図表』初版を刊行しています。しばらくしてから郷里に戻って医学と物理学の教師として活躍しつつ『解剖学図表』の改訂を行い、同書はクルムス没後の19世紀はじめに至るまで繰り返し再版されるベストセラーとなりました。『解剖学図表』は、その名が示すとおり、人体各部の簡単な解説文と、そのテキストに対応する形で銅版画が組み合わされた作品で、解剖学の基礎を学ぶことができる「図表」として執筆された作品です。現在の新書より少し大きいくらいのハンディなサイズでありながら、25枚(口絵含めて1から28板までの番号が振られている)もの折り込み図版が収録されていることから、当時のヨーロッパにおける解剖学入門書として大いに好評を博しました。

 『解剖学図表』はダンツィヒ(現在のポーランド、グダニスク)で刊行された1725年版において大幅な増補改訂がなされたと言われており(店主は1722年の初版は未見のため確認できず)、この第2版において基本的な形が出来上がったとされています。その後、1732年にはダンツィヒで再版とラテン語版が出版されただけでなく、アムステルダムでヤンソニウス・バースベルへ(Janssonius van Waesberge)社によっても、原著ドイツ語版とラテン語版が出版されました。ヤンソニウス・バースベルへ社は、ヨハネス(Johannes Janssonius van Waesberge, 1616 - 1681)が義父が営んでいた出版業を引き継いで以降、急成長を遂げて17世紀半ば以降にはオランダを代表する出版社となり、18世紀に至るまで数多くの出版物を手がけたことが知られています。その意味では、クルムス『解剖学図表』はこのヤンソニウス・バースベルへ社が手がけることによって、クルムスの故郷ポーランドだけでなく、アムステルダムを中心としてヨーロッパ大陸で広く読まれる作品になることができたと言えます。同社は1734年には本書であるオランダ語訳版とフランス語訳版も刊行し、その後もラテン語訳版を幾度か再販して同書普及に貢献しています。一方で原著ドイツ語版は出版地をライプチッヒへと変えて繰り返し再版がなされましたが、アウグスブルクでも海賊版が何度も版を重ねるなど、19世紀はじめに至るまで読み継がれるベストセラーとなりました。

 同書が日本へと持ち込まれたのは、簡潔で分かりやすいテキストと豊富な図版で構成された優れた解剖学の入門書でありながら、ハンディサイズ(安価で持ち運びやすい)の書物であったという、ヨーロッパで同書がベストセラーになったのと同じ理由によるものであったと考えられます。本書は、ヤンソニウス・バースベルへ社が手がけたオランダ語訳板で、1734年にアムステルダムで刊行されたことがタイトルページに記されています。オランダ語訳を手がけたディクテン(Gerardus Dicten)についての詳細は不明ですが、訳者序文において、一部の医者や学者が解剖学や人体構造についての知識など大して重要でないと吹聴していることに大きな危惧を抱き、医学において必要不可欠である解剖学の知見をオランダの読者にも提供したいと思い、本書のオランダ語訳を行った旨が記されています。こうした訳者ディクテンの志は、『解体新書』を手がけた杉田玄白らのそれに通じるものがあったと言えましょう。

 このオランダ語訳版は、刊行年を1734年にしたままで、字句の綴りや活字、図版の一部といった細かな改訂を施して何度か印刷されていることが知られており、国内に現存する「1734年オランダ語訳板」でも細部に異同が見られるようです。(この点については、Sakai Hisashi. Die Unterschiede zwischen den vier “Ontleedkundige Tafelen”. In Okajimas Folia Anat. Jpn., 55(2-3), 1978. を参照)ただし、いずれのものであってもオランダ語訳版は、ドイツ語版原著や他の翻訳版と比べて著しく稀少で入手が難しい作品となっていることに鑑みると、(たとえ再販がなされていたのだとしても)相対的にその発行部数が少なかったのではないかと推測されます。

 本書に掲載されたドイツ語原著の序文には、「すでに2回にわたってドイツ語で印刷された」とあり、これは1722年版(初版)、1725年(改定増補第2版)のことを指すものと思われます。したがって、このオランダ語訳版が底本としたのは、これらに続いて刊行された1732年のドイツ語版であると推定されます。また、1732年のドイツ語版はダンツィヒ版と、アムステルダム版との2種類が存在していますが、おそらく直接の底本となったのは、本書と同じヤンソニウス・バースベルへ社が手がけたアムステルダム版であると思われます。

 よく知られるように、杉田玄白らが『解体新書』の主な底本として「ターヘル・アナトミア」という作品名をあげているのは、クルムス『解剖学図表』の口絵の台座部分に記されているラテン語タイトル「TABULÆ ANATOMICÆ」を誤って聞き取ったことに由来し、またその刊行年が(実際には1734年であるにもかかわらず)1731年であると紹介しているのも、この口絵右下に記された「1731」に由来しているものと考えられています。また、『解体新書』の扉絵に採用されたのはクルムス『解剖学図表』の口絵ではなく、ワルエルダ(Juan Valverde Amusco, c1525 - c1588)の『銅版画を用いた人体解剖図詳解』(ラテン語プランタン初版1566年、オランダ語訳プランタン初版、1568年)の口絵であること(同書については弊店HP詳解記事を参照)や、それ以外にも17世紀のオランダ語訳された解剖学書の図版が、『解体新書』で参照、採用されていることもよく知られています。

 とはいえ、やはり『解体新書』において最も重要な底本となったのは、杉田玄白と前野良沢が刑場での腑分けに初めて臨んだ際に、奇しくも二人が懐中に忍ばせていたのが同書であったという非常に有名なエピソードからも知られるように、このクルムス『解剖学図表』オランダ語訳板であったことは間違いありません。クルムス『解剖学図表』オランダ語訳版と『解体新書』は、医学の発展と普及を目指すという同じ志が、遠く離れた洋の東西において結びつけられた記念すべき作品として、今後も大きな意味を持ち続ける書物であると言えるでしょう。

刊行当時のものを保っていると思われる装丁で状態は良い。
杉田玄白らが『解体新書』の主な底本として「ターヘル・アナトミア」という作品名をあげているのは、クルムス『解剖学図表』の口絵の台座部分に記されているラテン語タイトル「TABULÆ ANATOMICÆ」を誤って聞き取ったことに由来し、またその刊行年が(実際には1734年であるにもかかわらず)1731年であると紹介しているのも、この口絵右下に記された「1731」に由来しているものと考えられている。ただし、この口絵そのものは『解体新書』には採用されていない。
タイトルページ。同じ1734年の刊行年記載を持つものでも非常に細かな異同が確認されることがわかっており、実際には何度か再版がなされたものと思われる。とはいえ、このオランダ語訳版は他版に比べて著しく入手が困難であることから、当時の発行部数自体が相対的に少なかったものと推察される。
ライデン大学解剖学と外科学教授であったアルビーヌスに捧げられた献辞文冒頭箇所。
訳者ディクテンによる序文冒頭箇所。一部の医者や学者が解剖学や人体構造についての知識など大して重要でないと吹聴していることに大きな危惧を抱き、医学において必要不可欠である解剖学の知見をオランダの読者にも提供したいと思い、本書のオランダ語訳を行った旨が記されている。
原著序文冒頭箇所。「すでに2回にわたってドイツ語で印刷された」とあるのは、1722年版(初版)、1725年(改定増補第2版)のことを指すものと思われる。したがって、このオランダ語訳版が底本としたのは1732年のドイツ語版であると思われる。1732年のドイツ語版はダンツィヒ版と、アムステルダム版との2種類が存在するが、おそらく直接の底本となったのは、本書と同じヤンソニウス・バースベルへ社が手がけたアムステルダム版であろう。
図版一覧。本書は、現在の新書より少し大きいくらいのハンディなサイズでありながら、25枚(口絵含めて1から28板までの番号が振られている)もの折り込み図版が収録されており、当時のヨーロッパにおける解剖学入門書として大いに好評を博すことになった。
上掲続き。
「第1表:解剖学についての概説」冒頭箇所。テキストは、上部の本文(この箇所が『解体新書』では翻訳された)と、左右二段組になった注釈とで構成されている。
巻末には索引も設けられている。
折り込み図版歯全て巻末にまとめて閉じられている。図版の左部分の余白が大きくとられているのは、テキストを読みながら該当図版を同時に参照できるように工夫されているためと思われる。