書籍目録

『クラブ・コンコルディアの歴史:設立50周年記念論集』

(クラブ・コンコルディア神戸)/ (在神戸ドイツ人クラブ)

『クラブ・コンコルディアの歴史:設立50周年記念論集』

関係者配布用の私家版? (1929年) 神戸刊

(Club Concordia)

Geschichte des Club Concordia: Festschrift zum 50 jährigen Stiftungsfest.

Kobe, JAPAN CHRONICLE PRESS, (1929). <AB201730>

Donated

(Private edition ?)

26.0 cm x 19.0 cm, pp.91, Original paper wrappers.

Information

神戸居留地の社交場「クラブ・コンコルディア」50年の歴史、関係者による貴重な写真を多数収録

 本書は、神戸居留地の外国人社交場の中心であった、「クラブ・コンコルディア(Club Concordia)」の創立50年を記念して作成された冊子です。

 1868(慶応4)年に当初の予定より5年遅れて開港された神戸では、開港当初から居留地が発展していき、東の横浜と並ぶ国内を代表する居留地を形成していきました。すでに開港していた横浜での経験を踏まえて、神戸に移り住んだ者や、上海から支店を出すべく移ってきた者など、貿易上の利益を追い求めて欧米、並びに中国から居留地民が集まりました。特に、神戸では居留地における自治がその廃止まで維持された(横浜では数年で廃止)こともあって、居留地民による社交クラブを中心とした、貿易外の活動が大変盛んでした。ボーリングや、ゴルフなどのスポーツが日本に最初に導入されたのも神戸居留地でありました。条約改正により居留地は1899年に日本に返還されますが、内地雑居後も神戸、横浜には多くの人がそのまま残り、貿易活動と並んで文化活動も継続されました。

 神戸居留地民の社交クラブは、主に二つあり、アメリカやイギリス出身者を中心とした「インターナショナル・クラブ(Internatinal Club(1869(明治2)年創立、のち1879(明治12)年に「神戸クラブ(Kobe Club)」と改称、現在に至る))」と、ドイツやオランダ、スイス出身者を中心にした、「クラブ・ユニオン(Club Union(1868(慶応3)年創立))」です。このうちの後者が1879(明治12)年に名称を変更して設立されたものが、「クラブ・コンコルディア」です。
 
 クラブ・コンコルディアの前身であったクラブ・ユニオンは神戸開港から僅か半年余で設立された社交クラブで、現在の東遊園地に当たる場所に広大な敷地とクラブ・ハウスを有していました。このクラブ・ハウスは、創立当初からボーリング場を備える(これにより、神戸は日本におけるボーリング発祥の地とされています)など大変立派な施設で、神戸居留地民の社交の中心馬となりました。その後、やや活動が停滞しますが、1879年に先述のインターナショナル・クラブと貸借地を交換する形で、79番地に移動、名称をクラブ・コンコルディアと変更します。これが、クラブ・コンコルディアとしての始まりとなり、本書はここから50年を祝う年となる1929年に作成されたものと思われます。

 本書序文では、関係者の協力に対する謝意が述べられており、そこには神戸クラブの名前が見られることから、両クラブの間で友好関係が継続していたことが伺えます。また、「ジャパン・クロニクル(Japan Chronicle)」や「神戸ヘラルド(Kobe Herald)」といった神戸を代表する英字新聞に対しても資料提供の謝意が述べられています。この冊子自体もジャパン・クロニクルで印刷されており、巻末にはPrinted at the JAPAN CHRONICLE PRESS. KOBE, JAPANとあります。

 本部は、3部構成からなり、最初にクラブの歴史をその代表者や主要メンバーとともに振り返るパートがあります。ここでは、クラブの前身であるクラブ・ユニオンの活動から始まり、現在(1929年)に至るまでのクラブの変遷が、貴重な写真とともに紹介されています。1896年にクラブ・ハウスが火災により焼失したことは大きな痛手でありましたが、当時の新聞記事(神戸クロニクル)を抜粋しながら当時の様子を伝えています。翌1897年には117番にクラブ・ハウスを移転、新築していますが、その際の写真も掲載しています。また、1904年にはクラブ創立25周年を祝う記念式典が開催されたようで、当時の記念写真、並びに各方面から寄せられた祝辞電報の写真を記事とともに紹介しています。その後再び、クラブ・ハウスは山本通2丁目30番地に移転しますが、これについても外観の写真と図書室やボーリング場、ビリヤード場、食堂といった各内部施設の写真を合わせて掲載しています。

 第2部では、主だったクラブの活動を特に文化活動を中心に紹介しており、コンサートや、演劇、レガッタ競技の様子を当時のコンサート演目の写真などを織り交ぜて振り返っています。この第2部に続く付録では、クラブの活動の様子を伝える写真をまとめており、資料として大変興味深いものです。1889年からのクラブ主催のピクニック時に撮影された記念写真では、日本人と思しき楽隊と一緒に写っているものや、自転車でツーリングに行っている様子、家族と一緒に出かけている様子などが見られるほか、キャプションに訪問先を記載しており、舞子、明石、住吉、須磨、打出、香櫨園と行った地名が確認できます。また、演劇やバレエの公演、仮装大会、舞踏会の際に撮影された写真もここには含まれています。

 第3部では、クラブ歴代の代表者や会員数の変遷といった会員情報について紹介されており、クラブの変遷を知る上では欠かせない情報が掲載されています。

 本書は、居留地における社交クラブの実態を調査するための大変貴重な資料と言えるものですが、もともと市販用としてではなく、クラブ関係者様への配布用に特別に作成されたものと思われることから、国会図書館にしかその所蔵が確認できません。

 なお、クラブ・コンコルディアは、手塚治虫の漫画『アドルフに告ぐ』においても登場しており、当時のドイツ帝国諜報機関の一角として描かれていることでも有名です。

 また、弓倉恒男による「(翻訳)『クラブ・コンコルディア・神戸の歴史』創立50周年記念」神戸居留地研究会『居留地の窓から』第2号、第3号、2002年、2003年所収)において、本書の翻訳と詳細な解説がなされています。

「神戸開港の1868年、ドイツ人が他国に先駆けて社交団体、『クラブ・ユニオン』を結成した。翌年、英・米・仏・伊の人達は『インターナショナル・クラブ』を発足させた。前者は11年後の1879年、財政の行き詰まりから後者との財産交換を以て解消し、替わって『クラブ・コンコルディア』が設立され継承し、第二次大戦終結まで存続した。なお、『インターナショナル・クラブ』は『神戸外国倶楽部』となり現在に至っている。
 本書(”Geschichte des Club Concordia 1879ー1929”)は、『クラブ・コンコルディア』創立50周年を記念して1929年に刊行されたものであるが、『前史』を含み叙述は開港以来62年に及ぶ。(中略)『50年史』の最終年次の1929(昭和4)年は、ニューヨークの株式暴落に始まる世界恐慌、ナチスの台頭、第二次世界大戦の前哨にあった。『クラブ・コンコルディア』がその名のとおり和合を旨とする社交団体であるところから、本書も政治や経済のストレートな表現を避け、滞在国である我が国の各方面への配慮も窺える。しかしなお行間に前述の国際関係がにじみ出る。諸賢の明察に期待したい。
 原初は96ページでコンパクトであるが、クラブの組織、運営、遠隔、水位、文化・スポーツ活動に亙り、居留地時代の生活が垣間見られる。また、写真図版も豊富である。原本はワルター・レファート氏の提供によるもので、複製本が神戸市立図書館に配置されている。(後略)」
(前掲論文、91頁より)
 

神戸居留地79番にあった当初のクラブハウス。1896(明治29)の火災により焼失。この火災についても詳しく記載されている。
火災後117番に新たに建築されたクラブハウスとその内部の様子。
1904(明治37)年に行われたクラブ創立25周年を記念して撮影されたもの
1927(昭和2)年に山本通2丁目30番に移転したクラブハウス
移転後のクラブハウス内部の様子
1895年6月26日に神戸ギムナジウムで開催されたコンサート演目の復刻掲載
須磨、打出へのピクニックに行った際に撮影された写真