書籍目録

『地球:現代の風土と民俗学雑誌 第7巻 アジア』

ヴィットカンプ

『地球:現代の風土と民俗学雑誌 第7巻 アジア』

1850年 アムステルダム刊

Witkamp, P(ieter).H(arme).

HEDENDAAGSCHE LAND- EN VOLKENKUNDE. ZEVENDE DEEL: AZIE. Met Platen en Kaarten. (BESCHRIJVING VAN AZIE)

Amsterdam, J. H. LAARMAN, 1850. <AB2022265>

Currently on loan.

4to (19.0 cm x 29.2 cm), Title., Half Title., 1 map, pp.[1(Illustrated Title.)], 2-340, 1 folded map, pp.[341], 342-500, 1 folded map, pp.501-752, 6 leavers (Register), printed in double column, Contemporary half leather on marbled boards.

Information

シーボルトとも交流のあったオランダ人著者による、開国直前の日本論を含むアジア全書

 本書は、アムステルダムを中心に活躍した地理学者、地図製作者、雑誌編集者だったハルメン・ヴィットカンプ(Pieter Harmen Witkamp, 1816 – 1896)が、1838年から1854年にかけて刊行した全7巻からなる大部の地理叢書『地球:現代の風土と民俗学雑誌(De Aardbol. Magazijn van hedendaagsche land- en volkenkunde.)』の最終巻、第7巻で主に日本を含むアジア地域全般を扱っています。ヴィットカンプは、シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796 – 1866)が1863年にアムステルダムで開いた日本資料展示会の紹介記事を『ネーデルランス・マハザイン(Nedelandsch Magazijn. Nieuwe Serie.)』 1863年巻第48号に書いていることで知られます(弊社ホームページ内にて紹介あり)。
 
 ヴィットカンプの『地球:現代の風土と民俗学雑誌雑誌』は、そのタイトルにあるように、世界各地の自然・文化地理、人々の民俗的風習や歴史、文化に焦点を当てて刊行されたもので、各巻でヨーロッパやアジア、アフリカといった地域を独立して扱い、全7巻によって地球上を網羅するという壮大な企画でした。先行する文献を駆使して書かれたテキストに加えて、多くの小口木版による図版や地図を収録していることが特徴で、ビジュアル資料としても大変興味深いものです。この第7巻では、冒頭に掲載された地図が示すように、現在の中東からインド、中国、朝鮮、ロシア、東南アジア諸国全般、そして日本を扱っています。

 最初に扱われるのは、シベリアを中心としたロシア各地域(AZIATSCH-RUSLAND)で、ここにはカムチャッカを含めた極東ロシアも含まれています。つづいて、「トルキスタンあるいはテュラン(TOERAN OF TURKESTAN, pp.76-)」の記事があり、「中華帝国(HET CHINESCHE KEIZERRIJK, pp.98-)」と続きます。ここには、関連してモンゴルやチベットやバルティスターン、北方タタール、ブータンに関する記事も含まれます。「朝鮮(KOREA, pp.289-)」、「琉球諸島(DE LIOE-KIOE-ARCHIPEL, pp.292-)」の短い記事に続いて、「日本(JAPAN), pp.294-」が登場します。

 本書における日本関係記事は非常に充実したもので、ヴィットカンプはその情報源についても随所に言及しています。一例を挙げると、1826年から1830年の間、長崎出島のオランダ商館長を勤めたメイラン(Germain Felix Meijlan, 1785-1831)の『日本(Japan. 1830)』や、1820年から1829年の間にかけて日本に滞在した出島商館員フィッセル(Johan Frederik van Overmeer Fisscher, 1800-1848)の『日本の知識への寄与(Bijdrage tot de kennis van het japansche rijk. 1833)』、1809年から1812年、1817年から23年までの長きに渡って滞日経験(出島商館長を含む)のあるブロンホフ(Jan Cock Blomhoff, 1779-1853)への聞き取りをもとに書いたラウツ(Ulrich Gerard Lauts, 1787-1865)の『日本論(Japan. 1847)』などを参照したことを彼は記しています。ここから、ヴィットカンプが、当時最新の、しかも実際に来日経験のある人物からの信頼できると思われる情報源から日本についての記述をまとめようとしたことがうかがえます。

 日本についての記事は、まず地理的な概論にはじまり、その人口、日本人起源論、日本の文化や生活様式、風習などが、先に述べた文献を頼りに紹介されています。また、対外交渉史としてヨーロッパとの交流の歴史がポルトガル人の来航から論じられ、特にオランダが日本において交易関係を維持するに至った経緯や、その歴史などが詳しく紹介されています。ここには、執筆当時の19世紀半ばにいたるまでの貿易の状況や、相次いでいた外国船(特にアメリカ)の日本への来航についても触れられています。日本の統治機構や階級制度、68の国があること(蝦夷と琉球を含む)など、政治制度全般についても説明があります。その後、本州(Het Eiland Nippon)、九州(Het Eiland Kioe-sioe)、四国(Het Eiland Sikokf)、蝦夷(Het Eiland Jesso)、千島列島 (De Japansche of Zuidelijke Koerilen)、樺太(Het Eiland Karafta)が項目を分けてそれぞれ論じられています。

 日本についての記事に収録される図版は、先に挙げた文献のほか、シーボルト(Philipp Franz von Siebold, 1796-1866)の『日本(Nippon. 1832-1869)』や、モンタヌス(Arnoldus Montanus, 1625 – 1683)が1669年に刊行した『東インド会社遣日使節紀行(Gedenkwaerdige Gesantschappen der Oost-Indische Maetschappy aen de Kaiseren van Japan)』、あるいはそれを参照した当時の図版をもとにしていると思われます。

 日本の記事に続いては、東インド(OOST-INDIE, pp.341-)の章があり、ここには英領インドやベンガル地方やネパール、ポルトガル領インド、フランス領インドネパール、ポルトガル領インド、フランス領インド、セイロン、ビルマ、シャム、安南、安南、マラッカなどが扱われています。
 続く章では、蘭領インドを中心とした東インド諸島(DE OOST-INDISCHE-ARCHIPEL, pp.479-)が論じられ、蘭領インド全体とジャワの地図があります。この章については、特に当時のオランダにとって重要な地域だったこともあってか、貿易統計などの数量データも含め、かなり記事が充実している印象があります。
 以降は中東各地域の記述が続き、ヨルダン、アフガニスタン、ペルシャ(イラン)、アラビア、トルコが扱われ、750ページを超える大部の本書を終えています。

 開国直前のオランダにおける日本情報を知ることができることはもちろん、蘭領インド政策や、東アジア、東南アジア、中東全域を扱っている本書は、アジア、中東史研究全般においても貴重な資料になると思われます。

冒頭にある、本書で扱われる地域を描いた地図。
日本の章冒頭、右にある図は江戸参府を描いた図(シーボルト『日本』由来か)
いずれの図もフィッセルの著作を参考にしている。
下関
都(京都)モンタヌスの描いた京都図は19世紀半ばになっても多くの書籍に転載されている。
長崎と出島
「無人島」と呼ばれていた小笠原諸島についても紹介している。
蘭領インドの章では貿易に関する記述が多い
巻末には索引が設けられている。