書籍目録

『イエズス会創設者、聖イグナティウス・ロヨラ、ならびにインドと日本の使徒、聖フランシスコ・ザビエルを讃える三十の説教集』

レモンド

『イエズス会創設者、聖イグナティウス・ロヨラ、ならびにインドと日本の使徒、聖フランシスコ・ザビエルを讃える三十の説教集』

1627年 アントワープ刊

Remondi(Remond), Francisci(François).

FRANCISCI REMONDI DIVIONENSIS è SOCIETATE IESV Panegyricæ Orationes XXX. IGNATII LOYOLÆ Soc. IESV Fundatoris, & FRANCISCI XAVERII eiusdem Societatis, Indiæ & Iaponiæ Apostoli.

Antverpiæ(Antwerpen), Officina Martini Nutii, M. DC. XXVII.(1627). <AB2022258>

Sold

8vo (9.2 cm x 14.9 cm), pp.[1(Title.)-9], 10- 359, 60(i.e.360), 361-371, 2 leaves(index), Later decorative card boards.
タイトルページに旧蔵機関による押印がり、装丁に擦れや傷みが見られるものの、概ね良好な状態で、小口は三方とも箔押し。[Sommervogel, Vol.VI, pp.1656(14-2)]

Information

1622年の列聖を受けて刊行された、当代随一の名手による称賛演説(説教)集

レモンド(François Remond, 1558 or 1562 - 1631)は、フランスのディジョン生まれのイエズス会の聖職者で、修辞学や神学をローマやボルドーなど各地の大学で長年にわたって教鞭をとり、イタリアのマントヴァに招聘されていた1630年に勃発したマントヴァ継承戦争によってペストが市中に蔓延する中、罹患した兵士の看病に積極的に従事して、自らもペストに罹患して1631年に亡くなったことが知られています。生涯にわたって修辞学の教鞭をとっていたことからも分かるように、説経者として優れた文才を備えていた人物のようで、本書以外にも10点以上の説教集を刊行しています。本書はレモンドの最晩年の著作にあたるもので、1626年にマントヴァに程近いピアチェンツァで刊行された初版に続いて、1627年にアントワープで刊行されたものです。

 本書の内容は、そのタイトルページが示しているように、イエズス会の創設者であるイグナティウス・ロヨラと、日本をはじめとしたアジア各地へのイエズス会による宣教の礎を築いたフランシスコ・ザビエルを讃えるラテン語の説教を30篇あつめたものです。「説教(Oratio)」という言葉には、やや馴染みがないかもしれませんが、これは古代に遡る伝統を有するもので、その内容が優れていることはもちろん、そのレトリック、引用される言葉に現れる深く広い教養、読み上げる際の音韻にまで配慮することが求められるもので、「説教」という言葉から今日連想しがちな、いわゆる「話上手」とは全く異なる極めて高度な知性を要求するものでした。レモンドは当時のイエズス会においても屈指の優れた説教師であったことから、当時の第6代イエズス会総長ヴィテレスキ(Mutio Vitelleschi, 1563 - 1645)に命じられて本書の執筆を命じられたようです。

 イエズス会がレモンドに本書の執筆を命じた背景には、ロヨラとザビエルというイエズス会にとって最も重要な二人の創始者がローマ教皇によって、1622年に列聖されたという大きな出来事があります。この列聖によって、イエズス会がヨーロッパのみならず、宣教師を派遣していた世界各地においてロヨラとザビエルを公に讃える行事を行うことができるようになったことは、イエズス会の威信を高めるために非常に大きな影響を与えることになりました。それと同時に、そうした公式行事を行う際に必要となる、聖人となったロヨラとザビエルを讃える説教の模範となるテキストの製作が求められたであろうことは容易に推察されます。本書は、おそらくそのようなロヨラとザビエルを讃えるラテン語の模範的な説教集として、当時屈指の説教師として名高かったレモンドに執筆が命じられて刊行されたものであろうと思われます。

 本書は、第1篇から第14篇までと、第25篇(274ページ〜)から第28篇までがロヨラを称賛する演説で、第15篇(141ページ〜)から第24篇までと、第29篇(319ページ〜)と第30篇がザビエルを賞賛する演説という構成になっています。それぞれの説教は、ロヨラとザビエルの伝記などで広く知られる生前の事績や徳、没後も含めて確認された両名にまつわる奇跡譚などを主題にしており、本書を読むことによって二人の生涯を追いながら、その優れた徳や功績を読者が学ぶことができるような内容になっています。伝記的な側面もあることから、例えばザビエルを讃える説教で、日本におけるザビエルの功績を主題にした第21篇(212ページ〜)などは、結果的に多くの日本についての情報が含まれていることを確認することができます。もちろん、ここに見られるような日本情報は、ザビエルの功績を讃えることに主眼が置かれているため、それほど詳細ではなく、どちらかというと抽象的な表現が中心ですが、ユニークな文脈で日本情報がヨーロッパの読者にも伝えられていたことを示すという点では、大変興味深い記事ということができるでしょう。

 この作品は、先に挙げた1626年にピアチェンツァで刊行された初版と本書のほかにも1627年に刊行されたリヨン版が存在することがわかっていますので、ロヨラとザビエルの列聖後に両者を称える説教集の定番書として、本書が当時のヨーロッパ各地で親しまれたことがうかがえます。

後年によるものと思われるが、非常に美しい箔押し装飾が施されており、本書が長年にわたって大切に読み継がれてきたことがうかがえる。
タイトルページ。旧蔵機関の押印がある。この作品は本書刊行の1年前の1626年に著者が活動していたマントヴァに程近いピアチェンツァで刊行されたものが初版。本書はその翌年1627年にアントワープで刊行されたものだが、同年にはリヨンでも刊行されており、ヨーロッパ各地で同書が親しまれたことがわかる。
第6代イエズス会総長ヴィテレスキ(Mutio Vitelleschi, 1563 - 1645)に宛てた献辞冒頭箇所。
読者への序文冒頭箇所。
本文冒頭箇所。第1篇から第14篇までと、第25篇(274ページ〜)から第28篇までがロヨラを称賛する演説となっている。
それぞれの説教は、ロヨラとザビエルの伝記などで広く知られる生前の事績や徳、没後も含めて確認された両名にまつわる奇跡譚などを主題にしており、本書を読むことによって二人の生涯を追いながら、その優れた徳や功績を読者が学ぶことができるような内容となっている。
第15篇(141ページ〜)から第24篇までと、第29篇(319ページ〜)と第30篇がザビエルを賞賛する演説となっている。
日本におけるザビエルの功績を主題にした第21篇では、多くの日本についての情報が含まれていることを確認することができる。
ロヨラにまつわる奇跡を主題とした説教の冒頭の箇所。その人物にまつわる「奇跡」が証明されることは、聖人に認定される過程において非常に重要であった。
ザビエルにまつわる奇跡を主題とした説教の冒頭箇所。
著者が本書執筆時に活躍の場としていたマントヴァのフェデリーコ2世・ゴンガーザ(マントヴァ公)を称えた詩が本文に続いて収録されている。
巻末には目次が掲載されている。
上掲続き。
上掲続き。
装丁に擦れや傷みが見られるものの、概ね良好な状態。
小口は三方とも箔押し装飾が施されている。