書籍目録

『ネーデルランド、およびその近隣地域の歴史:1612年に至るまでの戦争と歴史:著者が生前最後に追記した完成版、著者の伝記を付して』

メーテレン / (徳川家康)

『ネーデルランド、およびその近隣地域の歴史:1612年に至るまでの戦争と歴史:著者が生前最後に追記した完成版、著者の伝記を付して』

(著者自身による最終改訂版) 1614年 ハーグ刊

Meteren, Emanuels Van.

Historie der Neder-Landscher ende haerder Na-buren oorlogen ende geschiedenissen, TOT DEN IARE M. VIC. XII. Nu de laestemael bij hem voor sijne doodt merckelijck verbetert en in, XXXII, boecken voltrocken, Is mede hier by gevoegt des Autheurs leven...

Grave -Haghe(Hague), Hillebrant Iacobssz, 1614. <AB2022247>

Sold

(Final improved ed. by the author)

4to(22.3 cm x 33.5 cm), Illustrated Title., 6 leaves, 1 leaf(author’s portrait on verso), double pages map, Fol.1-30, 37(i.e.31), 32-299, 301(i.e.300), 301, 302, NO LACKING Fol., 304-374, 374(i.e.375), 376-556, 609(i.e.557), 558-609, 601(i.e.610), 611-643, 614(i.e.644), 645-671, 15 leaves. Later full leather, restored.

Information

家康からマウリッツ(オラニエ公)宛書簡(朱印状)をはじめ、日本情報を随所に掲載した、オランダ独立戦争期を代表する浩瀚な年代期

 本書は、オランダ(当時は現在のベルギーに該当する地域も含む)がスペインからの独立戦争(80年戦争)を繰り広げる最中の休戦期間に刊行された年代記で、いわゆる低地地方の成り立ちから刊行当時の現代(1612年)に至るまでの出来事を編年体で詳細に綴った作品です。各時代を彩る代表的な人物たちの肖像銅版画が多数収録されているほか、冒頭には見開き大の大きな地図が添えられていることが大きな特徴です。日本との関わりで本書が非常に興味深いのは、徳川家康がマウリッツ(オラニエ公)宛に1609年送った返書(朱印状)のオランダ語訳文が、その経緯の解説と合わせていち早く、誇らしげに紹介されていることで、これ以外にもウィリアム・アダムスをはじめとした最初期の日蘭関係に関する興味深い記述を確認することができます。

 本書の著者であるメーテレン(Emanuel van Meteren, 1535 - 1612)は、プロテスタントのためアントワープからの亡命を余儀なくされた父ヤコブス(Jacobus van Meteren, 1519 - 1555)とともにロンドンへと渡り、ロンドンにおけるオランダ商人の代理人として活躍した人物です。父ヤコブスは、ロンドンにおいて英訳聖書の出版に貢献したことで知られ、また母オッティリアはアントワープにおける地図出版の中心的役割を担ったオルテリウス家の出身であり、メーテレンは両親のこうした聖俗双方のフランドル地方との強い結びつきを背景に、大陸とロンドンとの通信網の構築、発展に尽力し、独立戦争の最中にあったスペインとオランダ双方の利害や思惑が錯綜するロンドンにおいて多方面にわたって活躍しました。その意味で、メーテレンはオランダ商人の代理人という枠組みを超えて、ロンドンにおけるオランダの外交官、エージェントであったと見なすことができ、そのため彼は、オランダの政治、外交面も含めたあらゆる情報を入手、コントロールすることができました。

 こうした特異な立場にあったメーテレンは、当時のオランダの政治、外交に関する最新、最重要情報を得ることができただけでなく、当時ポルトガル、スペインに続いて、積極的に展開され始めた東西インドへの航海に関する情報を得ることができました。こうした立場を存分に生かしてメーテレンは、1599年に『ベルギー、あるいはネーデルランドの歴史』(Belgische ofte Nederlandsche historie van onsen tijden. Delft, 1599)を刊行し、カール大帝以来、「ヨーロッパの中心」であった低地地方の起源ならびに(刊行当時の)現代に至るまでの発展史を世に問いました。この作品は本書の原点となった作品で、古くはローマ時代にその起源を有し、フランク王国、カール大帝の西ローマ帝国、ブルゴーニュ家の時代を経てスペイン・ハプスブルク家の支配地となったフランドル地方が、常にヨーロッパにおける政治、文化の中心地であったことを示すと同時に、近年の目覚ましい発展をスペインからの独立戦争の推移を中心に詳細に伝えることで、「オランダ」が由緒正しい起源と歴史を有していることを広くアピールすることを目的としています。その意味で、この作品は独立戦争期を代表する公式の「オランダ年代記」とも言える極めて重要な作品です。

 『ベルギー、あるいはネーデルランドの歴史」は、1599年の刊行以来、メーテレンによって増補改訂が続けられ、収録年代もより新しい年代まで延長され、幾度も版を重ねていきました。1614年に刊行された本書は、1612年に亡くなったメーテレンが生前に終えていた増補改訂作業を踏まえて刊行された改訂版で、メーテレン自身の手になる最終決定版とみなし得る版です。1599年版でも大型フォリオ判で900ページに迫る分量を誇っていましたが、この1614年版では1,300ページを越えるほどに大幅に増補がなされ、また、同書の大きな特徴の一つである、随所に収録された同地の歴史に深く関わった多くの代表的人物の肖像銅版画も一新されています。この1614年版は、当時スペインからの独立戦争の休戦期間中(1609年〜)にあり、事実上の独立を果たしつつあったオランダにあって、同国の威信とアイデンティティを象徴する作品として高く評価され、後年にわたって幾度も範を重ねることになりました。

 このように本書は、独立期のオランダを象徴する極めて重要な年代記と言える作品ですが、この作品の随所に最初期の日蘭関係に関する記事を確認することができるのは、非常に興味深いことと言えるでしょう。本書における日本関係記事の存在と重要性を初めて指摘したのは、国際日本文化研究センターのフレデリック・クレインス教授で、同氏による本書の簡単な紹介は、下記のURLにある動画において視聴することができます(https://www.nichibun.ac.jp/ja/topics/announcements/2023/03/29/s001/)。この動画でも紹介されているように、本書の最後半にあたる1610年の出来事を記した第659葉に、日本からの書簡が到着したことが記載されています。これは、1609年にオランダ最初の公式派遣使節が駿府の徳川家康を訪問した際に、マウリッツ(オラニエ公)から家康に宛てられた書簡に対する家康からの返書として出されたもので、日本とオランダの交易を許可し、今後一層の発展を祈念することが記されている、公式の日蘭関係の樹立を証する非常に重要な書簡です。この家康からの書簡は1610年にオランダ本国に到着し、東インドへのオランダの勢力拡大を象徴する書簡として、大きな喜びを持って受け取られたようです。メーテレンは上述の通り、日本からもたらされたこの書簡をいち早く入手し得る立場にあったため、1610年に生じた重大事件として、この書簡を受領した事実とその経緯、そして書簡のオランダ語訳を本書に掲載し、広くヨーロッパの読者に伝えました。家康からの書簡についてのこの興味深い記述は、本書である1614年版において初めて掲載されたもので、家康が書簡をオランダへと送った1609年から僅か5年しか経っていないにも関わらず、このような形で公開されたことには非常に驚かされます。

 また、本書にはこの家康からの書簡以外にも、1600年に日本に漂着した最初のオランダ船に登場していたウィリアム・アダムスに関する記述や、この船団が派遣された経緯、漂着後に生じた出来事など、日本に関する非常に興味深い記述を随所に見ることができます。こうした記述はいずれもそれほど長大なものではありませんが、当時の最新で最も正確な情報を入手し得る立場にあった著者によって記されていることから、非常に信頼し得る記述と見なすことができるという情報の質の高さという点で、注目に値する記述と言えるでしょう。

 先述の通り、1614年にメーテレン自身による最終決定版として刊行された本書は、以後もオランダ独立を象徴する作品として幾度も版を重ね、後年にわたって読み継がれていくことになりました。本書が版を重ねると共に、先に挙げた家康の書簡についての記述や日本に関するオランダ側の最初期の記述もヨーロッパの読者に読み継がれていったということは大変興味深いことですが、この書簡が発せられてから僅か5年しか経っていないにも関わらず、オランダによる東インド進出成功を象徴する出来事として、家康からの書簡を最初に公開したこの1614年版は最も重要な版とみなすことができるでしょう。浩瀚なテキストを彩る多くの肖像銅版画や地図にも欠落が見られない本書は、極めて貴重な現存本として、研究、展示など多くの活用が見込まれる1冊と言えます。

フォリオ判の大型本でページ数も1,300ページを超える非常に大部の作品。装丁は後年に改装が施されたものか。
非常に印象的なタイトルページ。この1614年版が著者が生前最後の改訂を施した決定版とみなされており、後年幾度も版を重ねた。
著者であるメーテレン(Emanuel van Meteren, 1535 - 1612)は、プロテスタントのためアントワープからの亡命を余儀なくされた父ヤコブス(Jacobus van Meteren, 1519 - 1555)とともにロンドンへと渡り、ロンドンにおけるオランダ商人の代理人として活躍した人物。
見開き大の地図には現在のベルギーも含めたネーデルランド全域が描かれているが、現存本にはこの地図が欠落していることが多い。
メーテレンはオランダ商人の代理人という枠組みを超えて、ロンドンにおけるオランダの外交官、エージェントであったと見なすことができ、そのため彼は、オランダの政治、外交面も含めたあらゆる情報を入手、コントロールすることができただけに、その記事の信憑性は極めて高いと思われる。
同地域の歴史に大きく関わった代表的人物の肖像銅版画が数多く収録されているのも本書の特徴の一つで、この1614年版ではそれ以前の図版が刷新され新しい図版が採用されている。
ブルゴーニュ公がフランドル地域を治めた時代にブリュージュ(現ベルギー)を北海貿易の拠点として大いに栄えた。本書はネーデルランドを中心とした北西ヨーロッパ近世史の読み物としても非常に優れた作品となっている。
カルロス1世によるスペイン・ハプスブルク家の統治が始まって以降、次第に緊張感が高まっていったことはよく知られている通り。
本書後半の1610年の出来事を記した章に、日本(徳川家康)からの書簡が届いたことやその背景、書簡のオランダ語訳文などが誇らしげに紹介されている。
本書には上記の家康返書以外にも随所で最初期の日蘭関係に関する重要な記事を見ることができる。
本文末尾には著者の簡単な伝記も掲載されている。
巻末には詳細な目次も備えられている。