書籍目録

『ナポリ王国史大要補遺三書:1563年から1586年の間に同王国ならびに近隣諸国で生じた主要な出来事の記録』

コストー / (天正遣欧使節)

『ナポリ王国史大要補遺三書:1563年から1586年の間に同王国ならびに近隣諸国で生じた主要な出来事の記録』

1588年 ヴェネツィア刊

Costo, Tomaso.

GIVNTA DI TRE LIBRI DI TOMASO COSTO CITTADINO NAPOLETANO Al Compendio dell’Istoria del Regno di Napoli. Ne’quali si contiene quanto di notabile, e ad esso Regno appartenente è accaduto, Dal principio dell’ anno MDLXIII. Insino al fine dell’Ottantasei….

Venetia(Venice), Gio. Battista Cappelli è Gioseffo Peluso, MDLXXXVIII.(1588). <AB2022245>

Sold

8vo (9.3 cm x 14.6 cm), Title., 19 leaves, Fol.[1], 2-88, 87(i.e.89), 90-107, 104(i.e.108), 109-152, Later half leather on marble boards.

Information

日本宣教の起源と経過、天正遣欧使節のローマ来訪を詳述

 本書は、そのタイトルが示すように1563年から1586年の間にナポリで生じた出来事を編年体でまとめた著作で、いわば刊行当時の「ナポリ現代史」ともいうべき作品です。この作品が非常に興味深いのは、1585年の出来事を扱った箇所で天正遣欧使節についての記述がまとまってみられることです。天正遣欧使節自身はナポリに赴くことがなかったにも関わらず、「ナポリ現代史」である本書において使節のことはかなり大きく取り上げられていて、この使節が当時のイタリア各地に与えた影響力の大きさを物語る大変興味深い記述となっています。本書における使節の記述は、既存の使節に関する書物(グアルティエリなどの著作)を参照にしつつも、それらをそのまま転載するのではなく、ナポリの視点から独自の記事として認められており、ローマに滞在していたナポリの関係者の記録なども参照しているのではないかと思われます。

 本書の著者であるコストー(Tommaso Costo, c.1545 - c.1613)は、ナポリで生まれナポリで教育を受けた人文学者、著作家で、ナポリにおけるアカデミーの要職を歴任するなど当時のナポリを代表する知識人の1人であったようです。ナポリの名家であるピニャテッリ家(Pignatelli)をはじめとする有力貴族の庇護を受けて多方面で活躍し、歴史書や詩作を数多く残しており。本書もピニャテッリ家のスキピオーネ(Scipione Pignatelli)に捧げられています。

 本書のタイトルに「補遺」(giunta)とあるのは、15世紀後半に活躍した人文学者、外交官であったコレヌッチョ(Pandolfo Collenuccio, 1444 - 1504)による『ナポリ王国史大要』(Compendio dell’historia del regno di Napoli. Venice, 1541)を強く意識しているからで、本書はこの作品に対する「補遺」となることを企図して刊行されています。読者への序文においてコストーはコレヌッチョの『ナポリ王国史大要』の意義をある程度認めつつも、ナポリの出身者でも滞在者でもなかった著者によって書かれた「ナポリ史」に対する強い不満を述べていることから、本書はコレヌッチョによる「ナポリ史」の続編というよりも、むしろ反駁といった意味合いが強いように思われます。

 本書はその名のとおり全3部構成となっていて、1563年から1570年までの出来事を第1部(fol.1-43)で論じ、1571年から1577年までの出来事を第2部(fol.44-94)で、そして1578年から1586年までの出来事を第3部(fol.94-152)で論じています。天正遣欧使節に関する記述が見られるのはもちろん第3部においてで、約10ページ(fol.130-134)にわたって使節の動向が論じられています。天正遣欧使節は当時のヨーロッパ各地で大きな反響を呼び起こし、膨大な数の出版物が刊行されたことが知られていますが、本書はその中でも使節が直接赴くことがなかったにも関わらず、「自国の現代史」において使節のことを大きく取り上げているという点で、ユニークな記述であると思われます。ここでの記述は単に使節の動向を追うだけでなく、日本そのものの紹介、簡単な解説から始められていて、その位置や気候、風習、ヨーロッパとの交流の歴史などが、記事冒頭に記されています。その上で、日本からの使節派遣の経緯や使節団の詳細、ローマにおいて使節が教皇グレゴリウス13世に謁見したことをハイライトにした使節の動向などが記されています。

 これらの記述は、天正遣欧使節記を代表する作品であるグアルティエリの著作などをある程度参考にしていると思われますが、「ナポリ現代史」として執筆されている本書における記述であるだけに、著者コストーの独自の視点、つまりナポリから見た天正遣欧使節という視点から記された独自の内容になっているように見受けられます。こうした本書における記述は、ローマに駐在していたナポリの外交関係者の記録などもある程度参考にした上で執筆されているのではないかと思われ、非常に興味深いものです。ナポリは15世紀末からのいわゆる「イタリア戦争」において16世紀初めからスペインの属領となっていましたが、こうした中でも独自の文化や政治、そして矜持を保ちつつ、コストーのような人文主義者を輩出しており、こうした当時のイタリア各地の複雑な政治状況に鑑みると、天正遣欧使節に対する視点も各国(地域)の置かれた状況によって少なくない差異があるのではないかと考えられます。その意味では、本書における天正遣欧使節に関する記述も、いわば「公式史」であるグアルティエリの著作とは微妙に異なった独自の興味深い記述であると言えるでしょう。

19世紀ごろのものと思われる装丁で状態は良い。
タイトルページ
著者コストーがその庇護を受けていたピニャテッリ家のスキピオーネ(Scipione Pignatelli)に対する献辞冒頭
読者への序文冒頭箇所。15世紀後半に活躍した人文学者、外交官であったコレヌッチョ(Pandolfo Collenuccio, 1444 - 1504)による『ナポリ王国史大要』(Compendio dell’historia del regno di Napoli. Venice, 1541)を強く意識して本書が執筆されていることがわかる。
本文の前には詳細な索引が設けられている。
「G」の項目では日本の使節(天正遣欧使節)のことが明記されている。
1563年から1570年までの出来事を扱う第1部(fol.1-43)冒頭箇所。
1571年から1577年までの出来事を扱う第2部(fol.44-94)冒頭箇所。
578年から1586年までの出来事を扱う第3部(fol.94-152)冒頭箇所。
天正遣欧使節に関する記述が見られるのはもちろん第3部においてで、約10ページ(fol.130-134)にわたって使節の動向が論じられている。
ここでの記述は数ある天正遣欧使節に関する記述の中でも、使節が直接赴くことがなかったにも関わらず、「自国の現代史」において使節のことを大きく取り上げているという点で、ユニークな記述
単に使節の動向を追うだけでなく、日本そのものの紹介、簡単な解説もなされている。
日本からの使節派遣の経緯や使節団の詳細、ローマにおいて使節が教皇グレゴリウス13世に謁見したことをハイライトにした使節の動向などが記されている。
本文末尾。