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2 Facsimile leaves(Title. & 1 leaf), 2 leaves, Fol.1, [LACKING Fol.2 & 3], 4-5, [LACKING 6 & 7], 8-38, 38(i.e.39), 40-44, 46(i.e.45), 47(i.e.46), 48(i.e.47), 47(i.e.48), 49-54. / Fol.1-26, 28(i.e.27), 28-39, 48(i.e.40), 41, 42, 44(i.e.43), 44-56, 59(i.e.57), 58-83, 83(i.e.84), 85-116, 113(NO DUPLICATED LEAVES)-136, 136(i.e.137), 148(i.e.138).
「本報告集の、1600−1607年の原書は、1603年から1611年にわたりポルトガルのエーヴォラ(第1巻)とリスボア(第2〜5巻)で刊行されたイエズス会員フェルナン・ゲレイロ編集によるイエズス会報告集で、第1巻のタイトルは、
Relaçam Annval das Covsas QveFfizeram Os Padres Da Companhia de Iesvs na Índia, & Iapão nos annos de 600. & 601.....tirada das cartas gêraes que de lâ vierão pello Padre Fernão Guerreiro...... Em Euora...1603.(4°, 12ff., 13〜259pp.)
である。本書は1930年から1942年の間に3巻(初めの2巻はコインブラ、第3巻はリスボア)として再版されたので、吾人が使用したテキストはその新版である。(中略)初版の5巻中第1巻のみがエーヴォラで、残りの4巻がリスボアで刊行された理由は明らかでない。
なお新版の第1巻は旧版の第1、第2巻、新版の第2巻は旧版の第3・4、新版の第3巻は旧版の第5巻にあたる。
編者ゲレイロの生涯については参考資料が乏しいので略歴を掲げる外はない。彼は1550年にポルトガルのアルモディヴァル(Almodivar)に生れ、1567年1月22日に(その地において)イエズス会に入った。同所のコレジオにおいて修練期を終え誓願を立てた。その後、ポルトガル各地で布教活動に従事し、ブラガンサとマデイラの学院長を勤め、ポルトガルのイエズス会管区長の補佐としても働いた。そして「イエズス会年報集」第5巻を出版した6年後の1617年に病を患い、1617年9月28日に六十七歳の生涯を終えた。宣教師として50年間を過ごした。彼が5巻に及ぶ年報集をまとめた後、その仕事を中止した理由は判明しない。上長からの何らかの要望があったのか、自ら中断する気持になったのであろうか。新版の刊行者は、おそらく健康上の理由からであろうと推察している。
フェルナン・ゲレイロの「年報集」には、その新版のタイトルに列挙されているように東インドからアフリカ、ブラジル、カボ・ヴェルデまでを含めるイエズス会の世界各地からの報告が収められてはいるが、新版の3巻併せて約1200ページのうち、日本に関する記述が450ページ、すなわち約3分の1を占めていることは甚だ注目されることである。(中略)
ゲレイロの年報集は、地域を分け、また一応編年体の形式となっているが、或る年報は詳しく或るものは簡略化するというように編纂者が種々手を加えているから、厳密な意味では二次的史料というべきについては贅言を要さない。因みに旧版第2巻(本書のこと:引用者注)は、第1部は1601-1602年の日本報告で始まり、続いてシナからの詳報となり、そのあと、モルッカから同年の報告、第3部はインド各地の記述で、その中にはペグー、エチオピアのことがあり、第4部にはブラジル、アンゴラ、カボ・ヴェルデ、ギネアの1603年の出来事が掲載されている。他の巻についてもほぼ同様のことが言えるが、それはゲレイロが若干解説しているように、当時にあっては同じ1巻の中に同一年度のことを収録することには何かと支障があったからで、後世の私たちがこのことで批判めいたことを言うことはできない。(後略)」
「換言すればゲレイロの『年報集』の、少なくとも日本記事は、真正の在日イエズス会の年報、およびそれに類した日本報告書に基づいており、彼が、自分で創作したり架空のことを加えたりしたものではないことが推察されるであろう。換言すれば、彼は、日本にいる同僚から送られて来た報告書を勝手に書き換えたりしていないと言うことである。ここにおいて、ゲレイロ編『日本年報集』は、二次的とはいえ信憑性が高く、したがって日本の斯界に史料として提供することに吾人は今の時点において悔いるところはない。
ゲレイロの「イエズス会年報集」がポルトガルで刊行されると、ヨーロッパの各地で評判となり、ドイツ語、イスパニア語、フランス語に翻訳されて出版された。
(中略)
ゲレイロの年報集を繙いて、私は決して日本以外のからの報告集を過小に評価するものではない。例えば北京における宣教の始まりとか、エチオピアにおけるジョアンの布教等である。だが、ゲレイロの意図とは無関係に、16・17世紀における在日イエズス会宣教師の報告書は、ヨーロッパ人に対しても、また当今の日本の当該研究者にとっても有益な史料であると思う。」
(松田毅一監訳『十六・七世紀イエズス会日本報告集 第I期第一巻』 同朋出版、1987年 解題より)