書籍目録

『我らが信仰の秘儀、イエス・キリストの生涯と受難、聖母マリア、諸聖人の齎し賜う福音についての黙想:第2巻』

ポンテ

『我らが信仰の秘儀、イエス・キリストの生涯と受難、聖母マリア、諸聖人の齎し賜う福音についての黙想:第2巻』

1619年 ケルン刊

Ponte, Ludovico da.

MEDITATIONVM DE PRAECIPVIS FIDEI NOSTRAE MYSTERIIS, Vitæ ac Passionis D.N.Iesu Christi: B.V.Mariæ, & aliquorum Sanctorum, Euvangeliorumg occurentium, TOMVS SECVNDVS.

Coloniae Agrippinae(Köln), Ioannem Kinchium, M. DC. XIX.(1619). <AB2022171>

Donated

4to (15.0 cm x 18.8 cm), 295pp., 232pp., 331pp. *詳細な書誌情報については下記解説参照。, Contemporary parchment.

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「ヨーロッパ人による東洋諸言語の活字開発の歴史を辿るとき、技術史の側面のみを抜き出してそれを語ることはむずかしい。なぜならその歴史は大航海時代以降のヨーロッパ人の海外進出の動きと軌を一にしており、起源を遡り、背景を探っていくと多くの場合、キリスト教伝道や東インド会社の貿易活動(あるいは植民地統治)などの現場にぶつかるからである。これらの場では目的こそ違え、いずれも現地の言語をはじめ、歴史・地理・法制度などの文化研究が行われ、こうした現場から宣教や旅行者たちによってもたらされる情報は、ヨーロッパ人の〈東洋〉への興味・関心(=東洋趣味)を、ひいては東洋学(オリエンタル・スタディ)成立をうながした。ヨーロッパ人中心の語りの視点に即していうならば、それは彼らが「発見」した〈東洋〉という「周辺」を、自らの秩序や「知」の体系のなかに組み込んでいく過程であった。そして東洋のさまざまな言語の活字を製作して書物を印刷するという営みは、それを可視化していく作業だったのである。たとえば、1626年に建てられたローマの布教聖省(De Propaganda Fide)の印刷所が組織的に貯蔵していった諸言語の活字群は、それぞれの言語が使用される地域まで福音が宣べ伝えられた、すなわっちカトリックの「版図」に組み込まれたことの象徴であった。またルイ13世の知性下、枢機卿リシュリー(Richelieu, Armand-Jean du Plessis) によって1640年、ルーブル宮殿内に創設された王立印刷所(Imprimerie Royale)が、精力的に数多くの言語の活字を製作・所有していったことの意味も、このような時代状況を背景に据えるならば十分理解されるだろう。」
(鈴木広光「ヨーロッパ人による漢字活字の開発:その歴史と背景」印刷史研究会編『本と活字の歴史事典』柏書房、2000年所収、142-143ページより)

4to (15.0 cm x 18.8 cm)
Title., 24 leaves, pp.[1], 2-42, 4(i.e.43), 44-61, 6(i.e.62), 63-83, 8(i.e.84), 85-158, 157(i.e.159), 160-191, 194(i.e.192), 193-195, 186(i.e.196), 197-216, 271(i.e.217), 218-254, 355(i.e.255), 256-276, 287(i.e.277), 278-295, pp.1-112, 114(i.e.113), 114-123, 142(i.e.124), 125-135, 134(i.e.136), 137-145, 46(i.e.146), 147-150, 150(i.e.151), 152-208, 309(i.e.209), 210-231, 22(i.e.232), pp.1-331, 10 leaves(index).