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[1598年] [ヴェネツィエア刊]
[Vecellio, Cesare]
[Giovane Giapponese] (Extracted from Habiti Antichi, et Moderni di tutto il Mondo)
[Venice], [Seffa], [1598]. <AB2022168>
Donated
11.2 cm x 17.4 cm, 1 leaf,
Information
「天正遣欧使節の少年たちがヨーロッパを歴訪した1500年代は、イタリアですでに始まっていた服飾史研究をもとにその基礎が築かれようとしていた時代であった。他の国々の服装への関心の高まりは特異な文化現象にもなり、これを背景にヴェネツィエアで服飾史の古典『世界各地の古代および現代の服装』:”Degli Habiti Antichi et Moderni di Diverse Parti del Mondo” が出版されるのは1590年のことである。古代ローマより始まる世界各地の服装を415枚の図版であらわし見開きに解説を加えて紹介する、当時としては画期的な本であった。”私をして服に光をあてることができる”と言明したのはチェーザレ・ヴェチェッリオという芸術家で、彼はこの著作をして服飾史の創始者とされている。本は好評を博し8年後の1598年にタイトルを『全世界の古代および現代の服装』:”Habiti Antichi et Moderni di tutto il Mondo” と改めて第二版が出版されるが、その際追加した88図のなかに、”日本の青年(Giovane Giapponese)” の頁をもうけ、次のような解説を付した。 (訳)日本では、ブスト(胴衣または上衣)に丈長のゆったりとしたブラゲッセ(脚衣)を用いる。絹地は見るからに白く滑らかで、紙のようである。植物や鳥の精緻な多色紋様もある。その上に技を凝らしたビロードなどでつくるズィマッラ(外衣)をはおり、腰には新月刀と短剣をさしている。これらは、ヴェネツィアの十議官の間、武器庫でめにされる。(『全世界の古代および現代の服装』1598年刊より) 服飾史の古典に日本の着物が取り上げられた最初であるが、これには天正遣欧少年使節のイタリア来訪という歴史的イベントが関わっていた。公式にヴェネツィアを訪れた最初の日本人であり、また出版の年までに同市を訪れた日本人は彼らしかいないとなれば、”日本の青年”は当時まだ16歳であった少年使節の一人だったことになる。はたして、ヴェチェッリオは着物の少年に出会えたのか。 (中略) 遣欧使節の服の歴史は、東洋と西洋を巻き込んで、全く異なる二つのものの出会いを演出した時代を浮き彫りにする。純粋な情熱をもって新世界を目指した少年たちの肉体を包んだものであれば、彼らの存在そのものを映す服の価値ははかりしれない。」 (加藤なおみ『ローマを見た着物の少年たち:天正少年使節の”着物”をめぐる、ヴェチェッリオが書かなかった史実』南島原市、2015年、11-13ページより)