書籍目録

「天正遣欧使節と教皇グレゴリオ13世との謁見記念メダル」

[ロレンツォ・フラーニ]

「天正遣欧使節と教皇グレゴリオ13世との謁見記念メダル」

銅製メダル [1585年?] [ローマ鋳造]

[Fragni, Lorenzo].

GREGORIVS XIII PONT OPT-MAXIMIVS / AB REGIBVS IAPONIOR PRIMA AD ROMA PONT LEGATIO ET OBEDIENTIA 1585.

[Rome], [1585?]. <AB2022167>

Donated

3.7 cm, Bronze medal.

Information

天正遣欧使節のローマでの高い評価を物語る記念メダル

 この銅製と思われるメダルは、グレゴリオ13世の胸像を表面に、そして裏面に天正遣欧使節のローマ訪問を記念したラテン語の文言が刻印されている大変珍しいメダルです。使節のローマ訪問は当時大きな反響を呼び、さまざまな書物やパンフレットが多数刊行されたことが知られていますが、書物だけではなく、教皇を公式に記念したメダルまでもが製作されていたことは、当時のローマにおける使節評価のあり方を理解する上で非常に興味深いことであるように思われます。

 1582(天正10)年に、イエズス会巡察使ヴァリニャーノとともに、ローマを目指して、キリシタン大名の大村純忠、大友宗麟、有馬晴信の名代として派遣された、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン4人の少年使節団は、現在「天正遣欧使節」と呼ばれ、日本から初めてローマ教皇に正式に派遣、謁見を許された使節として非常によく知られています。使節は、インドのゴアでヴァリニャーノと別れ、1585年3月に教皇グレゴリオ13世と謁見、その直後にグレゴリオ13世が崩御したため、後継として新たに教皇となったシクストゥス5世とも謁見を許されました。

 天正遣欧使節のヨーロッパ歴訪は、当時のヨーロッパでも大きなセンセーションを巻き起こし、1585年前後に夥しい数の使節に関する書物、パンフレットが印刷されています。天正遣欧使節のヨーロッパ歴訪のハイライトは、言うまでもなく教皇との謁見にあり、当時の文献の多くがこの時の様子を詳細に記しています。そのうちのいくつかは、現代においても当時の使節を知るための非常に重要な資料として用いられており、国内の研究機関においても所蔵を見ることができます。こうした熱狂的な反響は、多数の書物刊行だけでなく、教皇と使節を称える記念メダルさえも作成を促しました。

 このメダルの表面には左を向いた教皇グレゴリオ13世の胸像が描かれています。裏面には、使節を記念したラテン語の文言が記されており、「日本の国々から教皇の座すローマへの初の使節団と恭順[が示された]1585年」(AB REGIBVS IAPONIOR PRIMA AD ROMA PONT LEGATIO ET OBEDIENTIA 1585) とあるのが確認できます。当時のローマでは、こうした教皇を記念するメダルを鋳造するのは、特別な勅許を得た職人だけに許されており、このメダルはロレンツォ・フラーニ(Lorenzo Fragni, 1548 - 1619)によって作成されたものです。

 天正遣欧使節を記念したメダルは本作以外にも、グレゴリオ13世崩御後に新教皇となり、使節を全教皇と同じく歓待したシクストゥス5世を記念したメダルも製作されています。2017年に神戸市立博物館、東京富士美術館、青森県立美術館で開催された「遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節がたどったイタリア」展では、本作と同じものと思われるメダルが展示されました(展示目録24)。

 こうした教皇を記念したメダルは、17世紀から18世紀にかけて刊行された歴代教皇史や歴代教皇の記念メダルを解説した書物(例えば、Alfonso Chhacon. Vitae et res gestæ pontificum romanorum…Vol.4, Roma, 1630. など)にも掲載されていますが、この天正遣欧使節のローマ訪問を記念したメダルは概ねグレゴリウス13世を記念するメダルとして紹介されています。また、店主には詳しい事情は分かりかねるところがありますが、こうした同じ意匠で異なる素材のものが製作されたようで、本作品は銅製と思われますが、少なくとも同じ意匠で銀製のものも存在しています。同じ文言を持つグレゴリウス13世の記念メダルも同様で、こちらは金製と思しき作例もみられることから、あるいは本作品も金製のものが存在するのかもしれません。

 なお、上記の展示企画で展示されたグレゴリウス13世の記念メダルは、ヴァチカン教皇庁図書館から借り受けたもので、現在ではこの記念メダルは極めて貴重となっており、国内所蔵機関はほとんどないようです。


「メダルの表面に表されているのは、右を向いた教皇グレゴリウス13世の胸像である。教皇は長い髭をたくわえ、豪華な大外衣(ブルヴィアーレ)を身に付けている。縁に施された見事な刺繍には、キリストが水面をわたり、使徒たちが乗った小舟を嵐から救うという福音書の物語が表されている。胸元には大きな円形のブローチが際立つ。
 胸像の下には、「L.PARM」の署名が確認できる。これはメダル制作者ロレンツォ・フラーニが自らを名乗る際に使用していた通称(ロレンツォ・パルメンセ)を略したものである。彼はミラノ出身の貴石彫刻師ジョヴァンニ・アントニオ・デ・ロッシ(1513-75以降)とともに、1572年に教皇庁造幣局の金型師に任命された。
 裏面の銘文が示すとおり、メダルは天正遣欧使節団が1585年3月23日にローマで教皇と謁見したことを記念してつくられたものである。表面のグレゴリウス13世の肖像は、同教皇が命じた暦改革のしこうを記念して582年にフラーニによって制作されたメダルの教皇像がそのまま転用されている。興味深いことに、裏面の献辞は、グレゴリウス13世の後を継いで教皇に就任したシクストゥス5世のために、ニッコロ・デ・ボニス(1576-92年まで活動)が鋳造した貴重な作例にもみられる。これは1589年から翌年につくられたもので、おそらく使節団の帰国を記念したものと考えられている。」
(リッカルド・ジェンナイオーリ / 坂本篤史(訳)「天正遣欧少年使節の記念メダル」『遥かなるルネサンス:天正遣欧少年使節がたどったイタリア』東京富士美術館、2017年、図録資料24番解説記事)

「日本の国々から教皇の座すローマへ初の使節団と恭順[が示された]1585年」とラテン語で記されている。
「メダルの表面に表されているのは、右を向いた教皇グレゴリウス13世の胸像である。教皇は長い髭をたくわえ、豪華な大外衣(ブルヴィアーレ)を身に付けている。縁に施された見事な刺繍には、キリストが水面をわたり、使徒たちが乗った小舟を嵐から救うという福音書の物語が表されている。胸元には大きな円形のブローチが際立つ。  胸像の下には、「L.PARM」の署名が確認できる。これはメダル制作者ロレンツォ・フラーニが自らを名乗る際に使用していた通称(ロレンツォ・パルメンセ)を略したものである。彼はミラノ出身の貴石彫刻師ジョヴァンニ・アントニオ・デ・ロッシ(1513-75以降)とともに、1572年に教皇庁造幣局の金型師に任命された。」(リッカルド・ジェンナイオーリ / 坂本篤史(訳)「天正遣欧少年使節の記念メダル」『遥かなるルネサンス:天正遣欧少年使節がたどったイタリア』東京富士美術館、2017年、図録資料24番解説記事)