書籍目録

「描かれた日本」(地図)

[ブツェリン(ブツェリニウス)]

「描かれた日本」(地図)

第3刷(『普遍誌:第2巻第2部』からの抜粋) [1664年] [アウグスブルク刊]

Bucelinius(Bucelinum), Gabriele(Gabrielem).

JAPONIAE Descriptio.

[Augstæ(Augsburg)], [Joan Prætorij], [M. DC. LXV(1664)]. <AB2022136>

Sold

3rd issue. (Extracted from NUCLEI HISTORIÆ UNIVERSALIS, CVM SACRÆ TUM PROPHANÆ AD DIES, ANNOSQUE RE. LATÆ. AUCTRARIUM Sive Pars ejudem secunda…)

1 sheet map (7.6 cm x 14.1 cm), hand colored,

Information

17世紀『普遍誌』の中に登場するミニチュア日本地図

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「ブツェリニウスの世界史の補遺として出版されたいくつかの国々の記述にこの地図が掲載されたのは、これが信仰に啓示されて書かれたものであり、それゆえ「カトリック」のブランクス / モレイラ型、つまり1640年代に現れたジンナーロあるいはカルディムの方が手本として自然であったことを思うと奇妙である。これらは著者が意図していた大きさのためには複雑すぎたせいかもしれない。いずれにせよ、この著作に含まれている他の地図同様、日本についても彼はメルカトルのポケット版地図帳を仰ぎ、九州を誤って Zikoko と記すところまで忠実にそれに従った。」
(ルッツ・ワルター編『西洋人の描いた日本地図:ジパングからシーボルトまで 図録』社団法人OAG・ドイツ東洋文化研究会、1993年、195ページより)

「ガブリエル・ブツェリン(1559〜1681年)はスイス生まれのベネディクト会修道士で家系図研究家、地図製作者。ベネディクト会修道士を主題に多くの著書を遺した作家で、人生の大半をドイツで過ごし、1681年、ドイツ南西部に存在した領邦国家ヴェルテンベルクの第修道院で没した。」

「Historiæ Universalis… は1659年と1664年に再出版された。1658年版には折丁記号 “h2” がページ底辺中央部に、またキャッチワード(印刷工や製本職人のために、次のページの最初の一文字、あるいはその一部を余白部に記したもの:引用者注)の最初のシラブル “IN” が下部右隅にある。筆者が今までに調査できた1659年版の唯一の蔵書では、ページXXVII(27)の地図で印刷ミスがあり、折丁記号は ”li6” キャッチワードは “CHI” となっていた。1664年版では、折丁記号 “h2” は削除され、キャッチワードの最初のシラブル “IN” が残っている。」
(ジェイソン・ハバード / 日暮雅道訳『世界の中の日本地図:16世紀~18世紀 西洋の日本の地図に見る日本』柏書房、2018年、223ページより。*一部引用者が改訳)