書籍目録

『アジア文献目録第1部: マグス兄弟古書店目録 第452号』

マグス兄弟古書店

『アジア文献目録第1部: マグス兄弟古書店目録 第452号』

1924年 ロンドン刊

Maggs Bros.

BIBLIOTHECA ASIATICA. PART I. (No. 452)

London, Maggs Bros, 1924. <AB2017137>

Sold

16.7 cm x 20.7 cm, Front, Title, pp.[1], 2- 385, 12 leaves (INDICE), Plates: [72], Original paper wrappers
紙装丁にシミ、シワあり。巻末索引ページ上部に水シミの後のような痛みあり。

Information

名門古書店による日本研究古書目録 現東洋文庫所蔵のセーリス写本も掲載。

 マグス兄弟古書店(Maggs Bros. Ltd)は、1853年創業という長い歴史を有する現在もロンドンにおける最も有名な古書店の一つです。本書は、マグス兄弟古書店が1924年に刊行したアジア関連文献目録(カタログ)で、特に日本関連の文献が多数収録されているものです。

 掲載点数は全1219点で、日本をはじめとした中国、中東に関係する欧米で刊行された出版物や、手稿類が年代別に掲載されています。日本に関する文献は、ポルトガルによる16世紀の刊行物から、幕末明治期の来日した外国人による文献まで幅広く多くの文献が掲載されています。ここの掲載文献には簡単な解説と状態、当時の価格が記載されており、1924年当時の書物の価格の相場や流通状況がわかるほか、多くの日本研究欧文文献の書誌情報そのものが研究情報として貴重なものです。

 この目録でマグス兄弟古書店が目玉商品として掲載しているのが、現在東洋文庫に所蔵されている、ジョン・セーリス(John Saris, 1580 - 1643)の航海日誌です。セーリスはイギリス船として初めて公式に日本に来航したクローブ号の船長で、家康から貿易を認める朱印状を受け取った人物として大変有名ですが、彼の航海日誌が、この時マグス兄弟古書店によって販売されています。この目録に掲載されている多くの文献が100ポンド未満の価格付けがなされているのに対して、セーリスの写本は350ポンドと極めて高価な価格設定がなされており、当時マグス兄弟古書店がこの資料の価値を大変高く認めていたこと、そしてその価値をすぐさまに見出した東洋文庫の岩崎久彌の眼力が確かなものであったことが伺い知れます。


「The First Voyage of the English to Japanが東洋文庫本となった経緯については、筆者自身が最近まで1917年から1924年までの間に岩崎久彌氏が稀覯本として購入したもののようだと教えられてきた。この点について、大塚教授(大塚高信、東洋文庫版セーリス『日本航海記』の編纂者:引用者註)は、1924年にロンドンのMaggs Bros.社のBibliotheca Asiatica上でこの原稿が売りに出されたとき、東洋文庫は書店にすぐさま電報で注文を発し、購入に成功したものである、と断定的に述べている。1940年ごろに東洋文庫の責任者から直接聞いた話に違いない。大塚教授の証言にもとづき、セーリスの航海日誌の原本が東洋文庫に購入されたのは1924年、その所蔵に帰したのは翌25年であったと、本稿において確定したい。
 大塚教授によれば、Maggs Bros.社のカタログは、この手稿を次のように宣伝していた。「1611年から13年、イングランド-日本間、最初の公式手書き日誌。司令長官セーリス艦長が書いて、フランシス・ベーコン卿に贈ったもの」。また、「セーリス艦長自身が書いた公開のオリジナルな手書き記録」と繰り返していた。形状などについては、「121ページからなる1巻で、当座の日誌ではなく、おそらく帰国後、余暇時間に書かれ、そして特に英国大法官フランシス・ベーコン卿に贈るために、極めて美しく書かれている」、「手稿は小さなフォリオ判で、原本のまま、金の装飾で縁飾りのあるベラム装」と記されていた。この原本の大きな特徴の一つは、その2頁目をフランシス・ベーコン卿への献辞が占めていることである。セーリスは帰国後、東インド会社を辞め、1615年に、ロンドン市長だったトーマス・キャンベル卿の孫娘と結婚しているので、自分の航海日誌を清書して、ベーコン卿に贈るきっかけは十分にあったと考えられる。ベーコン卿が大法官に任命された時期から考えて、その清書が行われたのは1617年3月から翌18年3月出会っただろうと大塚教授は推定する。この原本にBの符号を付す所以である。その後、20世紀になってMaggs Bros.社から売りに出され、東洋文庫に購入されるまで、どのような経緯があったのか、については、同手稿に貼ってある蔵書票から、ウーセスターシャーのミカエリス・トムキンソンという人物が一時期所有していたことが判るのみである。」

(平野健一郎「奇跡の書-東洋文庫蔵ジョン・セーリス『日本渡航記』の書物学的考察」 東洋文庫編『アジア学の宝庫、東洋文庫』勉誠出版、2015年所収より)

「セーリスはロンドンに生まれ、イギリス東インド会社に入り、同社の第8回東洋航海の司令官になり、クローブ号など3隻の船団で、1611年4月18日にイギリスを出帆しました。東インド会社は、ジェームズ1世の認可を得て対日貿易を開く方針を立て、セーリスの艦隊を送り出しました。セーリスはジャワのバンタムから日本へ向かい、13年6月11日、クローブ号で平戸に到着したのでした。
 この航海について、セーリスは『日本渡航記』という航海日誌を残しました。日誌はイギリス出港の日に始まり、セーリスのイギリス帰国の日まで、航海日誌のしきたりどおり、丹念につけられています。東洋文庫が所蔵しているのは、セーリスがフランシスコ・ベーコンに献呈したと伝えられる清書本で、セーリス「航海日誌」の東洋文庫本として世界に知られる貴重なものです。1924年に岩崎久彌氏がロンドンの古書商から購入したもので、1952年には重要文化財に指定されました。実に美しい手書きです。なお、「ハクルート版」と称される英文版の方は、幕末・明治維新期の在日英国公使館員として有名なアーネスト・サトウが編んだものです。2つの英文版にもとづく日本語全訳と浩瀚な解説として、村川堅固訳『セーリス日本渡航記』があります。」

(東洋文庫編『記録された記憶-東洋文庫の書物からひもとく世界の歴史』山川出版社、2015年より)

口絵とタイトルページ。口絵の写真が、現在東洋文庫が所蔵する重要文化財であるセーリス『日本渡航記』
セーリス『日本渡航記』は、115番に掲載されており、3ページにわたる解説文が付されている。
他にも日本関係文献が多数収録されている。右の写真は、アントニオ(Juan Francisco de San Antonio, 1682 - 1744)の『フランシスコ会のフィリピン諸島、中国、日本その他での布教年代記』全3巻(1738年〜44年、マニラ刊)。価格は45ポンドとある。
左のタイトルページ写真は、オヤングレン(Melchor Oyanguren, 1688 - 1742)の『日本文典』1738年、メキシコ刊。
裏表紙上部には焼けと痛みがある。