書籍目録

「グラティア、丹後の王妃:日本キリスト教史のある断章」(『女性の鑑』所収)

ジーベルト / 細川ガラシャ

「グラティア、丹後の王妃:日本キリスト教史のある断章」(『女性の鑑』所収)

1830年  ウィーン刊

Siebert, J(ohann). P(eter). / (Hosokawa, Gratia).

Gratia, Königinn von Tango. Ein Fragment aus der japanischen Kirchengeschichte. [IN] Der Frauenspiegel, aufgestellt in einer Reiche Biographien gottseliger Personen aus dem Frauengeschlechte.

Wien, Haas’schen Buchhandlung, 1830. <AB202243>

¥110,000

8vo (10.5 cm x 18.0 cm), pp. [I(Title.)-V], VI-XIV, [1], 2-404, 1 leaf(errata), Original publisher card boards.
旧蔵機関による押印あり。途中より用紙の大半が刊行当時のまま開封されていないUnopendの状態。[NCID: BC07885287]

Information

模範的な女性信者としてヨーロッパで長く語り継がれていた「丹後の王妃」細川ガラシャ

 本書は、細川ガラシャを題材とした作品を含む、12作品が収録されたアンソロジーで、1830年にウィーンで刊行されています。タイトル『女性の鑑(Frauenspiegel)』が示すように、模範的な古今のカソリック女性信者を取り上げることで、読者の信仰心を高めることを目的として刊行された作品です。細川ガラシャを題材にした第7章は、その後フランス語に翻訳され、幾度も版を重ねたことが明らかにされており、没後二百数十年を経ても遥か遠くのウィーンにおいて細川ガラシャの名が知られていたことを伝える大変興味深い作品です。

 日本の殉教者やキリシタン大名を主題としたフィクション作品、とりわけ演劇作品については、まだ日本で布教活動が行われていた17世紀初頭からすでにヨーロッパ各地で発表されており、その後に日本での布教活動が断絶されてからも、カソリックの教化活動の一環として19世紀半ばに至るまで繰り返し上演されていたことが知られています。細川ガラシャについては、『気丈な貴婦人(Mulier Fortis)』と題し、『グラーチア(ガラシャ)、丹後王国の王妃(Gratia Regni Tango Regina)』という副題の戯曲が1698年に刊行されていて、この作品はレオポルド一世夫妻の御前で上演されたことが伝えられています。

 本書第7章に収録されている「グラティア(ガラシャ)、丹後の王妃(Gratia, Königinn von Tango)」は、この『気丈な貴婦人』を元にして執筆されたものと思われますが、『気丈な貴婦人』がごく簡単なあらすじのみを記した本文わずか5ページほどの作品であるのに対して、本書第7章は約40ページにわたって物語が記されていることから、著者ジーベルトが全面的な書き起こしと言ってよいほどの加筆を施していることが推察されます。文中ではイエズス会士書簡から取ったと思われるガラシャ自身の書簡なども引用されており、『気丈な貴婦人』をベースにしつつも、著者自身が独自に情報源に当たりながら執筆しているものと思われます。したがって、『気丈な貴婦人』と本書第7章「グラティア、丹後の王妃_を読み比べることで、両者の内容上の相違点や作品の傾向の違いなどを明らかにすることも非常に興味深い研究テーマと言えるでしょう。


「ヨーロッパでは、ガラシャの死語、彼女のことが信仰の模範として知れ渡り、戯曲にまでなった。その背景には、17世紀のウィーンにおいて、ハプスブルク家が政治上の手段としてイエズス会を強力に後援し、宮廷内でイエズス会によって音楽付の劇が盛んに上演されたことがある。そのひとつとして、1698年に宮廷内のホールで皇帝レオポルト1世と皇室一族隣席のもと「気丈な貴婦人グラティア」が上演された。その正式な題名は、「丹後国王の妃であった気丈なグラティア、キリストのために贖った苦しみによってその名を高めた」というものであった。ハプスブルク家と関係のあったイエズス会の学校の校長ヨハン・バプティスト・アドルフが作成し、イエズス会教会楽長ヨハン・ベルンハルト・シュタウトが作曲している。オランダ人イエズス会士コルネリウス・アザル(1617〜60)による、ドイツ語の『全世界に普及した教会史』(ウィーン、1678年)がテキストである。同書は、1667年にアントワープで出版されたオランダ語版のドイツ語訳である。この戯曲の楽譜付き台本は、1698年にウィーンから出版され、現在、ウィーンにあるオーストリア国立図書館に所蔵されている。近年。音楽家の新山冨美子氏らによって新たに出版されている。
 当時、ウィーンでは皇妃エレオノーレがガラシャの美しさと気高さに匹敵すると評されていたので、日本のキリシタン迫害による殉教は馴染み深い題材であったようである。「気丈な貴婦人グラティア」は、新山氏によれば、総勢56人によって上演されるオペラであり、プロローグとエピローグを持つ三幕構成になっている。これはオーストリアで作成されたこともあって、ドイツ語絵圏を中心にヨーロッパ各地で公演されてきた。副題に「丹後国王の妃」である「グラティア」とあるように、細川ガラシャのことを戯曲したことになっているが、物語はガラシャの生涯とはいくぶん異なっており、事実を必ずしも正確に戯曲化したものではない。
 この戯曲のあらすじは、主人公のガラシャは丹後国王の妃であったが、暴君である夫がキリスト教を迫害することに堪え、キリスト教の信仰を守り通したというものである。その後、主人公のガラシャは亡くなってしまうが、その死によって夫が自らの非を認め、悔い改めることになっている。彼女の死は、そこでは殉教であると説明されている。ガラシャは、オーストリア・ハプスブルク王朝の女性たちの見習うべき手本として描かれている。
 19世紀にオーストリアにおいて、もう一度、ガラシャの名が知られる機会が生まれている。J. ジーボルトの『女性たちの輝き』(ウィーン、1830年)(引用者注;本書のこと)が出版された。この書籍には、世界各地でキリスト教の信仰を守った12人の女性たちを主人公とした物語が、ドイツ語で記されている。この第7番が「丹後の王妃グラティア」であった。この物語が戯曲「気丈な貴婦人」を基礎としていることはいうまでもない。出版直後には、「丹後の王妃グラティア」のみが抜粋されてフランス語に翻訳されて独立した書籍として出版されている。掌中版ともいえる大きさで、分量もそれほど多くはない。この書籍は、フランスで大反響を呼んだらしく、少なくとも5回の版を重ねている。ガラシャの生涯が物語としてブームになったのである。戯曲との相乗効果もあったかもしれない。それによって、ガラシャの名がフランス語圏にも広く知られるようになった。」
(安廷苑『細川ガラシャ:キリシタン史料から見た生涯』中央公論社、2014年、191-194ページより)