書籍目録

「日本からノヴァ・ゼムリャ等に至るまでのアジア北東沿岸図」

[グース] / (デ・フリース)

「日本からノヴァ・ゼムリャ等に至るまでのアジア北東沿岸図」

(『世界海図帳』より) [1666年頃] [アムステルダム刊]

[Goos, Pieter].

Noordoost Cust van ASIA van IAPAN tot NOVA ZEMLA.

[Amsterdam], [Pieter Goos], [c.1666]. <AB202226>

Sold

(Extracted from De zee-atlas ofte water-wereld)

1 map (45.5 cm x 55.6 cm), contemporary hand colored.
[Daniel Crouch / Hubbard. Mapping Japan. Vol.2: 381]

Information

デ・フリースの蝦夷探索の成果をいち早く取り込み、北東航路の実現可能性を提唱した重要海図に描かれた日本

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「グースの卓越したアジアの北東海岸の海図は、1666年アムステルダムで彼の有名な『海図帳』に発表された。地図の最も注目すべき特徴は、本州の北へ様々な島を詳細に描写したことで、1643年のデ・フリーの航海中に作成された重要な海図についで、この地域の印刷された描写の中では最初のものとなる。デ・フリースはこれらの諸島について詳細な情報を提供した最初の西洋人であるが、またその地図製作上の誤りは、その後1世紀半に及んで大きな混乱を起こす原因となった。デ・フリースは北海道の南部の海岸を地図に描くことができたが、首尾よく南千島諸島に到達して、エトロフをスターテン島と呼んで海図を作った。しかしウルップの海岸を大きな新しい広大な土地の始まりと解釈して、それをオランダ東インド会社VOCに敬意を表して、会社の土地と呼んだ。で・フリースの探検目標の一つは、マルコ・ポーロのキャセイの存在を検証するためで、当時なお今日の満州の海岸に存在すると信じられていて、この地図に、グースが図示したものである。ローン、デ・ウィットおよびコイレンによる類似の海図と同じように、オランダ人はノヴァゼムリャ経由で、北極ヨーロッパから日本への北東航路が開ける可能性を、この地図に図示されているように信じ続けた。」
(放送大学図書館 デジタル貴重資料室『西洋古版日本地図』No.37 解説より)