書籍目録

『余は如何にして基督信徒となりし乎』

内村鑑三

『余は如何にして基督信徒となりし乎』

初版 1895年 ニューヨーク、シカゴ、トロント刊

Uchimura, Kanzo.

THE DIARY OF A JAPANESE CONVERT.

New York, Chicago, Toronto, FLEMING H. REVELL COMPANY (Tokyo, Japan: Keiseisha: Idzumocho, Kyobashiku), (Copyright,) 1895. <AB2017127>

Sold

First edition.

13.3 cm x 18.9 cm, 1 leaf (blank), Front (Portrait), Title, pp.[1-5 (Dedication, Note, Preface], 6-212, 6 leaves, Contemporary pictorial cloth.
刊行当時の所蔵館(Chicago Theological Seminary Hammond Library)による蔵書票、背にラベル、空押し(献辞ページ下部)あり。小口近辺に黒いインクを飛ばしたような跡あり。

Information

内村鑑三が英文で初めて海外の出版社から刊行した自身の代表作

 「本書の著者内村鑑三は、1861年(文久元年)高崎藩の下級武士の子として江戸に生れ、基督教の教師、思想家として明治大正期の日本に深い感化を与えて1930年(昭和5年)東京で死んだ。彼は新聞記者としてまた雑誌主筆として多数の文章を書き、単行の著書は大小合わせて60冊以上にのぼるが、そのうち英文のものが3冊ある。本書はその第一作にあたり、彼はこれによって広くヨーロッパの諸国に知られた。
(中略)
 本書の出版は1895年(明治28年)出会った。しかし本書の成立は1893年(明治26年)であった。(中略)
 この1893年(明治26年)は、著者の生涯の最も重要な年の一つであった。著者はこの年の2月、彼の処女作であってまた代表作の一つである『基督信徒のなぐさめ』を出版し、3月には、彼の「第一高等中学校不敬事件」に端を発して長い論争を引き起こした「教育と宗教の衝突」問題の基督教攻撃側の主導者井上哲次郎に対して久しい沈黙を破って『文学博士井上哲次郎君に呈する公開状』を公表し、6月にはこれまた代表作の一つと目される『求安録』を出版し、これらの著述により、著者は「一人基督教文壇に登った」年である。しかしそれと同時に生活の極めて不安定な、窮乏の最も甚だしかった年でもあった。3月には「不敬事件」後はじめて地位を得て赴任した大阪泰西学館を辞し、4月には熊本英学校に招かれ、7月には熊本を去って京都に移り、以後同地に在住して著作の生活に入る決意をする。本書の起稿と脱稿は、この熊本在住3ヶ月と京都在住後4ヶ月あまりの期間にあったのである。

 著者ははじめ本書をアメリカで出版しようとし、アメリカの友人ベルにその希望を伝えた。彼は著者をシカゴの出版社Fleming H. Revellに紹介し、原稿はそこに送られた。しかし出版社からの返事は来なかった。著者は焦慮した。ついにベルの手を経て、原稿を返送してもらう。このために1894年(明治27年)の半年が費やされた。日本における出版社も容易に得られず、最後に、著者の著作の出版社であった警醒社にこの出版を託した。その頃著者は英文の第二作Japan and Japanese(のちThe Representative Men of Japanと改題)を完成していた。彼はその序文を「黄海海戦の翌日」に京都で書いた。黄海海戦は1894年(明治27年)9月17日であったから、第一作より一年後に書かれたことが知られる。しかしこの第二作がまず最初に同社から出版された(1894年(明治27年)11月)。時あたかも日清開戦の直後であった。第二作の売行は「迅速」であった。そしてそのあとにつづいてようやく本書は1895年(明治28年)5月出版をみる。「貧弱な不恰好な日本風の体裁」ばかりでなく、その報酬のきわめて貧弱であったことは、著者をいたく「落胆」せしめ、また本書に対する批評は著者をして「此時代に対し無感覚ならしむる程」でさえあった。著者は本書の出版を持って英文の「最後の著述」と決心し、自分の将来は「我国人の貧しき者乏しき者を慰むることを試むる」ために費やさなければならないことを覚悟する。しかし、その年の11月には、ベルの尽力によって、本書のアメリカ版が前記シカゴのFleming H. Revell Companyから”The Diary of A Japanese Convert"の題名で出版された。(中略)このアメリカ版はReview of Reviewsやニュー・ヨークのNationなどの有力雑誌の書評欄で良き批評を受けた。それにもかかわらず初版500部を発行してそれ以上の売行を示さず絶版となった。」

(内村鑑三著、鈴木俊郎訳『余は如何にして基督信徒となりし乎』(岩波文庫、1958年改版、解説より)

タイトルページと口絵。本書は英語圏の出版社で内村が刊行した唯一の単著と思われる。
左のページある推薦文には、同志社英学校設立とその後の運営に尽力したデイビス(Jerome Dean Davis, 1838 - 1910)の名が見える。
見返し部分には、刊行当時のアメリカの図書館の蔵書票があり、1897年の貸し出しの記録も確認できる。これらを除去してしまうこともできるが、当時本書がアメリカで読まれていたことを物語る貴重な証拠でもある。
貴重な刊行当時のクロス装丁。タイトルを太陽と菊花が囲む。背には上記図書館の所蔵ラベル。
口絵付近には、インクを飛ばしたような跡が見られる。