書籍目録

『地理学詳解、あるいは地理学の文法:現代地理学の全体についての簡潔にして正確な分析』

ゴードン

『地理学詳解、あるいは地理学の文法:現代地理学の全体についての簡潔にして正確な分析』

第17版  1741年  ロンドン刊

Gordon, Pat.(Patrick).

Geography Anatomiz’d: OR, THE Geographical Grammar. Being a short and Exact ANALYSIS Of the whole BODY of MODERN GEOGRAPHY,…

London, (Printed for) D. Midwinter, A. Ward…& others, M.DCC.XLI(1741). <AB2020206>

Sold

17th edition.

8vo(12.0 cm x 20.0 cm), Half Title., Title., 10 leaves, pp.[1], 2-160, [NO LACKING PAGES], pp.169-184, [NO DUPLICATED PAGES], 177-432, Folded maps: [17], Modern full leather.
刊行当時の読者によるものと思われる学習時のスケッチ等の書き込みあり。近年の最装丁が施されており、状態は極めて良好。[ESTC: 006004198 / N1378]

Information

18世紀半ばの英語圏における標準的な世界地理観を形成した地理学書において論じ、描かれた日本の姿

 本書は18世紀のイギリスにおいて数多く刊行された世界地理の解説書の一つで、1741年にロンドンで出版されています。東西両半球を描いた折り込みの世界図と、ヨーロッパ各地、また日本を含むアジア地図など、手彩色が施された地図が豊富に収録されていることも一つの特徴で、平易かつ、体系的で明晰なテキストと相まって、初学者でもわかりやすく当時最新の世界地理学を学ぶことができるような内容になっています。本書では、世界地図やアジア図において日本が描かれているだけでなく、「アジア諸島部」の章において比較的詳細に日本のことが論じられています。本書は、18世紀のイギリスにおいて好評を博し多くの読者を獲得したと思われる作品であるだけに、そこに描かれ、記された日本の姿は、当時の英語圏における日本観の形成に少なくない影響を与えたと思われることから、大変興味深い作品と言えるものです。

 本書の著者ゴードン(Patrick Gordon, ? - ?)についての詳しい経歴はほとんどわかっていませんが、18世紀はじめ頃から本書を中心とした地理学の解説書の作品を手がけており、またその作品の完成度の高さから、相応の学識を持った人物であったことが推察されます。本書は2部構成となってい、第1部は地理学の基本概念や用語を解説するための理論編、第2部は世界各地をヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカの4つに分類した上で、個別の国々や地域を論じた個別編となっています。序文でゴードンが述べているように、本書は比較的若い初学者が正しく(当時)最新の世界地理学についての基本事項を習得することを目的に執筆されています。初学者向けとはいえ、むしろ初学者にわかりやすく要点を伝えるために、用いられる地理学の概念や用語をできるだけ明晰に体系的思考に基づいて解説することに努め、また世界各国地域を整理、分類するための明確な分類方法を明示し、その上でわかりやすく記述することが心がけられており、結果的に当時の世界地理認識の様相を現代の読者に伝えてくれる大変興味深い作品となっています。

 大航海時代以降急速に発展することになったヨーロッパにおける世界地理についての知識、学問は、17世紀以降オランダ、そしてイギリスといったプロテスタント諸国が世界の海洋覇権を掌握するにつれて、数多くの地理学書の刊行を促すことになりました。特に内乱期を終えたイギリスでは18世紀ごろから地理学、歴史学に関する著作が数多く出版されるようになり、しかも社会階層が極めて高い人たちのために刊行されるフォリオ判のような大型の著作だけでなく、比較的多くの人々が手に取ることが可能であった一般的な八つ折りサイズの著作が刊行されるようになりました。ゴードンが本書を手がけていた時代はまさにこうした時代にあたっており、世界地理を平易、かつ明晰に解説した本書は1693年に初版が刊行されてから大変な好評を博したようで、数年ごとに新版が繰り返し刊行され続けました。本書は最終版に近い第17版と記された1741年に刊行された版で、当時の英語圏における標準的な世界地理学入門書の一つであったと考えられます。こうした作品だけに、本書で展開されている地理学の体系や、考え方、分類といったものは、当時の英語圏における世界の地理を認識する際の標準的な考え方が反映されているものと言えるでしょう。ゴードンはそれぞれの国々、地域について述べるべき項目として、その位置と広がり、域内の分割のされ方、主要都市とその名前、風土、気候、生産物、その土地固有の貴重物、宗教(司教区)、大学、習慣と風俗、言語、統治形態、軍事などを挙げていて、ただそれぞれの地域の情報をバラバラに論じるのではなく、体系的に整理立てて、論じるべき項目を統一した上で記述するべきことを強調しています。珍奇なもの、物珍しいものを読者の興味関心を引き立てるために過剰に取り上げるのではなく、明確な体系的思考に基づいて世界各地を整理して論じようとするゴードンの姿勢は、18世紀半ばのイギリスにおける標準的な世界認識のあり方を示しており、大変興味深いものです。

 上述の通り、本書には日本を描いた世界図、並びにアジア図が折り込み図として収録されていて、いずれもかなり粗い作りの地図であるとは言え、大変ユニークな日本の姿が描かれています。両半球を描く形で表現された世界図では、日本は東半球図の最も東に描かれていて、それと同時に西半球図の最も西にも描かれています。東半球図に描かれた日本は一応、本州、四国、九州が認識できる形で比較的正確に描かれている一方で、西半球図に描かれた日本の北方部は、本州と蝦夷(北海道)との接続域や、北米大陸との関係も含めてかなり曖昧に描かれています。また、オランダ東インド会社の土地(Compagnies Land)と記された巨大な大陸も描かれていて、当時のヨーロッパにおけるこの海域についての地理学情報の混乱ぶりをある意味では正確に反映しています。また、アジア図においてはより大きく日本が描かれており、「豊後(Bungo、九州のこと)」「土佐(Tonsa、四国のこと)」、「日本(Japon、本州のこと」と日本諸島を構成する主要三島がその名称とともに示され、「京(Meaco、京都のこと)」、「江戸(Yedo)」といった地名もわずかながら描かれています。「蝦夷(Yedso)」と記された現代の北海道にあたる地域には、「松前(Matsmoy)」という江戸幕府による支配地名が記され、本州北端と接続して北方に大きく伸びる形で蝦夷が島とも半島とも言えない奇妙な姿で描かれています。また西半球図にも登場していた「オランダ東インド会社の土地」が蝦夷の東方に曖昧かつ、大きく描かれています。現代の目からすればかなり不正確に見えるこれらの地域の描かれ方は、何も著者ゴードンの理解不足を示しているものではなく、そもそも日本北方のこれらの海域についての地理情報は、ヨーロッパにとって最も地理情報が不足、あるいは混乱していた地域であったことに起因しています。

 また、テキストにおいては、アジアは第2部第2章で論じられていて、そこでアジアは「韃靼」「中国」「ペルシャ」「アジア域トルコ」の4つに分類されていて、さらにこれらに加えるべきものとして「アジア諸島」が挙げられています。日本はこの「アジア諸島」の筆頭に挙げるべき国として分類されており、291ページから始める第6節から取り上げられています。日本は、「豊後(Bungo、九州のこと)」「土佐(Tonsa、四国のこと)」、「日本(Japon、本州のこと」の主要三島で構成されているとされ、主要都市として「京(Meaco)」、「讃岐(Saniqui)」、「豊後」が挙げられています。テキストはヨーロッパにおける日本の名称の伝わり方の歴史について触れることから始まっており、そこからその気候、土壌といったゴードンが論じるべき要素として述べていた項目ごとに記述がまとめられています。ゴードンは日本の知識を17世紀のヨーロッパにおける標準的な日本文献であった地理学者ヴァレニウスによる記述を参照しているようで、18世紀の日本情報としてはやや時代遅れの感は否めませんが、随所にゴードンの見解も含まれていて、ユニークな日本論ともなっています。ゴードンは、日本の人々は非常に公正で取引おいても正義を重んずるが、その一方野心家で、残忍、そして余所者に対する蔑視が甚だしいとして、特にキリスト教を忌み嫌っているなどと紹介しています。また、日本における宗教を論じる際には、かつて日本ではキリスト教への改宗が進み、一説によると1596年には60万人ものキリスト教徒がいたと伝えられていたが、1614年からキリスト教が禁止され、オランダを除くすべてのヨーロッパの国々は日本から追い出されてしまった、とも述べています。

 本書は、18世紀半ばの英語圏における標準的な世界地理の解説書であることから、当時の標準的な世界認識の様相を伝えている作品でもあり、その世界観において日本がどのように論じられているのかを教えてくれる大変興味深い作品です。当時すでにケンペル『日本誌』といった、ヨーロッパにおける日本観の形成に大きな影響を与えた名著が存在していましたが、本書はより一般的な(日本に特別の関心の有さない)読者に読み継がれた作品であるだけに、よりポピュラーな当時の日本像を伝える作品として、そうした名著とは異なる視座を提供してくれる書物と言えるでしょう。