書籍目録

『現代の仏教徒:シャムのある大臣の仏教とそれ以外の諸宗教に対する見解』

アラバスター(訳注)

『現代の仏教徒:シャムのある大臣の仏教とそれ以外の諸宗教に対する見解』

アーネスト・サトウ旧蔵書(署名あり) 1870年 ロンドン刊

Alabaster, Henry (trs.) / (Satow, Ernest Mason)

THE MODERN BUDDHUST; BEING THE VIEWS OF A SIAMESE MINISTER OF STATE ON HIS OWN AND OTHER RELIGIONS.

London, Trübner & Co, Trübner & Co. <AB20211728>

Sold

Exlibris Ernest Mason Satow.

8vo (12.3 cm x 18.9 cm), 1 leaf(advertisement), Title., pp.[1], 2-91, Original yellow embossed cloth.

Information

タイ語の仏教書を英語で紹介した初期作品、在バンコクイギリス総領事も務めたアーネスト・サトウ旧蔵書

 本書は、イギリスの在バンコク領事館で通訳を務め、タイの近代化促進に尽力して最終的にタイに帰化したアラバスター(Henry Alabaster, 1836 - 1884)によるタイ仏教の概説書です。1870年に刊行された本書は、タイ語で書かれた仏教書をもとに英語で紹介した最初期の作品で、西洋人によるタイ仏教研究書として重要な地位を占める作品です。それと同時に本書が大変興味深いのは、幕末から明治にかけて日本を始め、アジア各地でイギリスの外交官として多大な貢献を成したアーネスト・サトウ(Sir Ernest Mason Satow, 1843 - 1929)の貴重な旧蔵本であることで、見返し部分に彼の蔵書票を見ることができます。

 本書の著者アラバスターは1856年にイギリス領事館の通訳としてバンコクに赴任して依頼、ラーマ4世によるタイの近代化政策の推進に尽力し、帰国時に本書をロンドンで刊行しました。本書刊行後の1873年には再びタイに戻り、ラーマ五世にの私設秘書として引き続き近代化政策の推進に協力し、都市計画、図書館や博物館等の設置、測量技術の習得、西洋諸科学普及のための留学生派遣等、多方面にわたる活躍を見せました。本書については、村嶋英治氏の近年の研究論文の中で、下記のように言及されています。

「The Modern Buddhist(本書のこと;引用者注)は,在バンコク英総領事館の通訳官 Henry Alabaster(1836‒1884, 後にタイに帰化)が、タイ語サデーンキッチャーヌキットを1870 年に部分訳したものである。後者は,パーサコーラウォンの異母兄チャオプラヤー・ティパーコーラウォン(カム・ブンナーク,เจ้าพระยาทิพากรวงษ์มหาโกษาธิบด,ี ขํา บุนนาค,1813年10月1日生‒ 1870年6月12日没)が 1867年11月21日付けで商業出版(石版印刷)したものである。
 ティパーコーラウォンは,父の下で外務畑の勤務が長く,1865年外務大臣の父が死去し,その職を襲った。その後 1868年初に眼病のため一時辞職したが五世王即位後復職した。ティパーコーラウォンは五世王在位第二年目の1869年に,王命によりバンコク王朝の一世王から四世王までの王朝年代記の編纂を命じられ,完成した。しかし彼の年代記が刊行されたのは、20世紀に入ってからである。
 サデーンキッチャーヌキットが1867年11月21日に発刊された時,著者のティパーコーラウォンは外務大臣の職にあった筈である。同書を部分訳して The Modern Buddhist のタイトルで1870年にロンドンで刊行した Henry Alabaster は,同書5頁で,Chao Phya Thipakon について,次のように紹介している。

By many years of verbal inquiry, and by reading the elementary tracts published by missionaries in Siam, he [Chao Phya Thipakon] acquired such knowledge as he has of European science and foreign religions.
The results of his speculations he published two years ago in the“Kitchanukit”“A book ex- plaining many things,”which, independently of its internal qualities, is curious, as being the first book printed and published by a Siamese without foreign assistance.”

 アラバスターは,サデーンキッチャーヌキットの主に宗教に関する部分を翻訳し,コメントを加えて The Modern Buddhist として1870年にロンドンで刊行した。翌1871年には,1870年版に手を加え増補し引用部分を明白にした新版 Modern Buddhist を作成した。この新版に,タイ語から翻訳した仏伝(A Life of Buddha)及びバンコクから直線距離112キロの北方にある仏足寺(プラプッタバート)訪問の経験に基づいて書いたエッセイを加えて,長い序文を付して The Wheel of the Law(本文部分323頁)のタイトルで刊行した。」

(村嶋英治「最初のタイ留学日本人織田得能(生田得能)と 近代化途上のタイ仏教」『アジア太平洋討究』第41号、早稲田大宅アジア太平洋研究センター、2021年所収論文より)

 本書は上記で言及されている1870年に刊行されたアラバスターによる最初の作品です。本書の出版社であるTrübner社は、英語圏における東洋研究書や文献目録などの刊行を手がけていたことで知られており、本書もこうしたTrübner社の出版方針に適うものとして刊行されたものと思われます。タイトルページの対面ページには当時Trübner社が刊行していた仏教関係書11点(本書含む)の案内が掲載されており、この分野に同社が力を入れて取り組んでいたことが窺えます。

 冒頭で触れたように、本書はアーネスト・サトウの旧蔵本で見返しに彼の蔵書票が貼られてあることが確認できます。幕末から明治初期にかけて英国の外交官として日本の政治状況に多大な影響を及ぼしただけでなく、古今の日本語に精通して英国における日本研究の基礎を築いたことでも知られるアーネスト・サトウは、1884年にバンコク駐在の代表兼総領事に任命されています。本書をサトウが何時ごろ入手したのかは定かではありませんが、蔵書票から見てバンコク赴任前の日本滞在時ではないかと思われます。サトウは自身の業務、研究のために、早い時期から古今東西の日本関係書やアジア研究書の蒐集を行なっており、彼が幕末維新期に社会情勢が混乱する中で体系的に収集した和漢籍の多くは現在大英図書館の一大コレクションとなっています。サトウは、洋書籍には自身の蔵書票を、和漢籍には自身の漢名「薩道」という蔵書印を用いていたことが知られており、現在でもその書物が彼の旧蔵書であることが容易にわかるようになっています。ただ、彼は自身の蔵書を生前から譲渡したり、サザビーズ等のオークションを通じて売却してもおり、分散、散逸したサトウ旧蔵書の全体像を把握することは非常に難しくなってしまっています。サトウ旧蔵書の現在の行方については、吉良芳恵氏による研究によって、次のように分類されています。

「①武田家に残され、現在横浜開港資料館が所蔵する歴史・植物・地誌・地図類などの62点、約170冊。ただし、同館に譲渡される以前に売却されたと思われる書籍名のメモが残っていることから、これ以上の書籍が武田家に残されていたと思われる。

②サトウ自身により大英博物館に寄贈・売却された古版本・古活字本類。現在大英図書館が所蔵している。

③アストンに貸与したあと、ケンブリッジ大学図書館に寄贈された大量の書籍群。

④チェンバレンへ寄贈したあと、上田万年をへて、日本大学文理学部図書館や愛知教育大学付属図書館、天理大学附属天理図書館、東洋文庫、台湾大学、箱根宮ノ下の嶋屋などの所有となった約11,000冊の書籍。

⑤オックスフォード大学ボドリアン図書館の所蔵となった仏典類など。

⑥ロンドン大学東洋アフリカ学部、ブリストル大学、ロンドンのジャパン・ソサエティ図書館、京都大学などの所蔵となった書籍。」

(吉良芳恵「アーネスト・サトウが遺したもの」『図説 アーネスト・サトウ:幕末維新のイギリス外交官』横浜開港資料館、2001年所収論文より)

 本書には、サトウの蔵書票だけでなく、ロンドン大学図書館の蔵書票や蔵書が確認できることから、上記のうちの⑥に分類されるものが、何らかの事情で市場に流出した1冊ではないかと思われます。サトウが自身の所蔵書(洋書)に用いた蔵書票は、少なくとも2種類あることが知られており、一つは「江戸のアーネスト・メイソン・サトウ (ERNEST MASON SATOW YEDO)」とあるもの、もう一つは「江戸の英国公使館アーネスト・メイソン・サトウ(ERNEST MASON SATOW British Legation YEDO)」とあるもので、本書には後者の蔵書票が貼られています。また、蔵書表の右上には、Ernest Satowとペンで署名があり、おそらく筆跡から見てサトウ自身による署名ではないかと思われます。

 サトウ旧蔵の洋書籍のうち、いわゆる稀覯本と目されるような書籍については、1913年にサザビーズを通じて売却されたことがわかっており、当時のサザビーズの売り建て目録からその詳細を知ることが可能ですが、それ以外の洋書籍の行方についてはわかっていないことが多く、あまり市場に出現することもないことから、本書はバンコクにも赴任した経歴を持つサトウの興味深い旧蔵書の一つとして貴重な書物と言えそうです。

刊行当時のオリジナルのクロス装丁。消えかかってはいるが、タイトルが箔押しされている。
見返しにロンドン大学図書館とアーネスト・サトウの蔵書票が貼られている。
サトウの蔵書票。サトウが自身の所蔵書(洋書)に用いた蔵書票は、少なくとも2種類あることが知られており、一つは「江戸のアーネスト・メイソン・サトウ (ERNEST MASON SATOW YEDO)」とあるもの、もう一つは「江戸の英国公使館アーネスト・メイソン・サトウ(ERNEST MASON SATOW British Legation YEDO)」とあるもので、本書には後者の蔵書票が貼られている。また、蔵書票右上にはサトウ直筆と思われる署名も見える。
本書刊行当時にTrübner社が手がけていた仏教研究所の案内。同社は英語圏の東洋研究書の刊行に力を入れていたことで知られる。
タイトルページ。本書刊行の翌年1871年には大幅な増補改訂を施してタイトルを変更した新版が刊行されている。
タイトルページ裏面。ロンドン大学図書館の蔵書印がある。
本文冒頭箇所。
本文は章立てや小見出しもなく、よって目次もない。
本文末尾。同じくロンドン大学図書館の蔵書印がある。
裏面の見返し。