書籍目録

『タルタル(満州)人による中国征服史』

パラフォクス / コル(訳)

『タルタル(満州)人による中国征服史』

仏訳初版 1670年 パリ刊

Palafox, Juan de / Colle, Sieur (tr.)

HISTOIRE DE LA CONQUESTE DE LA CHINE PAR LES TARTARES. …

Paris, Antoine Bertier, M. DC. LXX.(1670). <AB20211725>

Sold

First edition in French.

8vo (10.2 cm x 16.5 cm), Front., Title., 7 leaves, pp.1-315, 216[i.e.316], 317-478, 1 leaf, Contemporary full leather, skillfully restored.
刊行当時のものと思われる装丁を残して丁寧な修復が施されており、状態は良好。[NCID: BA15973851]

Information

初版と同時に刊行された仏訳版

 本書は、スペインのナバラ出身の聖職者で政治家でもあったパラフォクス(Juan de Palafox y Mendoza, 1600 - 1659)によって書かれた、いわゆる「明清交替」を記した著作で、パラフォクスの没後1670年に遺稿をもとにして、パリにおいて原著スペイン語版と同時に出版された作品です。「明清交替」を外国人の視点から描いた作品として重要な作品であることに加えて、この事件に対して当時日本がとった行動や態度についてのまとまった記事も収録されていることから、日本関係欧文資料としても重要とみなすことができる作品です。

 本書については、中砂明徳氏による「マカオ・メキシコから見た華夷変態」(『京都大学文学部研究紀要』第52巻所収論文、2013年)において非常に精緻な研究がなされており、原著スペイン語版の内容、同時に刊行された本書仏訳版、ならびに英訳版、また近年刊行された漢訳版との比較、パラフォクスが典拠としたと思われるイエズス会文書との照合など、本書を理解する上で欠かせない多くのことが明らかにされています(以下の記述は基本的に同論文に基づく。ただし誤り等はもちろん店主が責を負う)。本書はパラフォクスが生前に記した遺稿を元にして1670年に刊行されていますが、パラフォクスがその記述に際して参照したのが、イエズス会士による報告でした。

「(前略)当時中国内地の情報に最も容易にアクセスできたのは、福建でしか活動していなかった托鉢修道会士ではなく、きわめて薄くではあるが(当時全国で20名〜30名程度)各地に分布していたイエズス会である。
 そのイエズス会の文書の中に『チナ征服史』(本書のこと;引用者注)にきわめてよく似た内容を持つポルトガル語文書が、ローマのイエズス会文書館(ARSI)に2点、ポルトガルのアジュダ図書館に1点存在する。」

「当該文書(上掲のうちアジュダ図書館本のこと;引用者注)はCodex49-V-13に収められ、51葉の分量を持つ。表題は「1642年から1647年に至るシナの戦乱:皇帝の死、タルタル人の侵入の記録。日本に派遣された使節に起きた出来事」(Relação das guerras e levantamentos que houve na China; morto do seu Imperador e entrada dos Tartaros nella, des do anno 1642 athè o de 1647. E successo da Embax[ad]a qu[e] foi a Japão)となっている。」

 この文書は、当時広東に滞在していたイエズス会士の報告を元にして執筆された報告書のようで、1647年時点のイエズス会の「明清交替」に対する認識をまとめた内容となっているそうです。この文書と本書とは構成がよく似ており、パラフォクスはこの文書を手引きにしつつ、自身の見解を織り交ぜる形で本書と執筆したと考えられています。

 先の文書において「日本に派遣された使節に起きた出来事」とあるように、本書でも、日本の隣国の大国であった明朝が満州人によって滅ぼされるという大事件に際して、日本がとった行動について論じた章が設けられており、鎖国当時の日本が明朝からの援軍要請を断ったこと、むしろ事件の余波が日本に影響を与えることをひどく警戒して、在留中国人に対して過酷な対処をとったことなどが記されていて、大変興味深い内容となっています。

第8章(pp.126-)
「一官、日本王にタルタル人に対する援軍を要請するも、与えられず。一年にわたってタルタル人に抵抗するもついに捕虜となる。彼の最期」
「いわゆる「日本乞師」について述べた後、福建が制圧され、一官が使えた王(隆武帝)がわずか六ヶ月の在位に終わったこと、一官は終始抵抗したが(彼の裏切りについては記さない)、征服後は財力に物をいわせて数々の中傷をかわし地位を保全したことを述べる。(後略)」

第24章(pp.335-)
「日本王がこれまで抱いていた警戒心と恐れが新たにかき立てられる。それがカトリック布教を不利にする。亡国チナ人に対する残酷な扱いとこれに対するタルタル人の感情」
「チナ人に対して最も過酷だったのが日本であり、それは日本の皇帝(将軍家光)の対外恐怖が形をとったものだとする。その恐怖心は1647年にポルトガルから送られた使節団を追い返したことにも示されているとして、事件の推移を追った後、タルタル人のチナ征服に恐れをなしたこうていが在留華人を追放し、すでに辮髪にして長崎に来航した華商に交易を許さず強制退去に処したことを述べる。著者は、もし順治が日本に兵を送ることを決意すれば、制服は達成されようし、そうなれば福音が日本に再び入る道が開かれるだろうと希望的観測を示す。そして、ここにあらためて帝国の滅亡に思いをいたし、カルタゴの滅亡にローマの将来を見た異教徒スキピオ、ローマ劫掠の時代を生きた聖ヒエロニムスを引き合いに出して、周辺諸国は帝国の滅亡を見て反省の機会とせねばらないと締めくくる。」
(前掲論文、107, 114ページより)

 本書は上掲論文に見られるように、翻訳版との比較や現史料の特定など、数多くのことが明らかにされている作品です。上掲論文では、原著スペイン語版と同年に同じ出版社から刊行された本書フランス語訳版には少なからず相違点があり、またフランス語訳版に基づいて翻訳がなされた英語訳版、ならびに漢訳版は同様のないしは更なる相違点が生じていることが具体的に指摘されており、本書を読み解く上で原著スペイン語版と翻訳語版との比較作業は欠かせないものと思われます。なお、本書仏訳版は後年1723年にも再版されています。