書籍目録

「日本諸島図」

サンソン

「日本諸島図」

初版 1652年 [パリ刊]

Sanson d’Abbeville, Nicolas.

LES ISLES DV IAPON.

[Paris], 1652. <AB20211707>

Sold

First and only edition.

23.9 cm x 32. 5 cm, 1 Contemporary colored map,
[Hubbard: 025]

Information

サンソンのアジア地図帳初版本の初期印刷本にしか掲載されなかった希少な日本地図

 本図は、1652年に刊行された日本地図で、当時のフランスにおける地図製作において最も著名で王室付き地理学者でもあったサンソン(Nicholas d’Abbeville Sanson, 1600 - 1667)によって製作されたものです。優れた地図帳製作者として知られるサンソンによる、アジア地域を対象とした地図帳の初版本に掲載されたものですが、翌1653年に刊行されたアジア地図帳には全く別の日本図が掲載されることになったため、初版でしか見ることができないという大変貴重な日本図でもあります。

 サンソンは18世紀フランスの地図製作の基礎を築いたとされるほど高く評価されている地理学者で、すでに20代の頃から数多くの地理学所、地理学書を次々と刊行していました。本図は、サンソンがヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカの四大陸ごとの地図帳を企画し、1652年になって初めてアジアの部(L’Asie)が刊行されることになった際に製作された日本地図です。山村が本図の制作にあたって参照したと思われるのは、ヤンソン(Jan Janssonius, 1588 - 1664)による日本と蝦夷を主題とした図(Iaponia et Terra Eso, 1651)ならびに、ダッドレー(Robert Duddley, 1574 - 1649)による日本図(Carta Particolare della Grande Isola del ‘Giappone è di Iezo…Florence, 1647)であったと考えられています。いずれの図も、直接的にはブラウ(Joan Blaeu, 1596 - 1673)の中国地図帳(China Veteribus Sinarum Regio nunc Incolis Tame…Amsterdam, 1636)に掲載された日本と中国を描いた図(China Veteribus Sinarum Regio nunc Icolis Tame dicta)における日本図を参照しています。ブラウによるこの図は、それまで刊行されたヨーロッパ製日本図にない特徴を持ったもので、17世紀半ば以降、代表的な日本図の一つしてさまざまなヴァリエーションが生み出されました。サンソンによる本図もそうしたヴァリエーションの一つに数えられるものですが、サンソンが独自に手を加え、かつ独立した日本図として発表したことに大きな特徴があります。

「本州はヤンソンに比べて、再び少し伸びている。蝦夷に関してはフリースの発見は無視されてしまい、代わりにMatzumay(松前)が再び現れる。タイトルの飾り枠の左側に蝦夷の端が少し見える。Le Tessoy等地名はサンソンがヤンソンだけでなく直接ダッドレーにも拠っていることを示している。本州の南東にある比較的小さな島々もヤンソンではすべて房総半島の南にあったが、サンソンはダッドレート同様、房総半島のまわりに置いている。朝鮮もヤンソンと同様、北に向かって細くなる三角形であり、南は同じ島々によって取り囲まれているが、ずっと幅があるものとなっている。東北の太平洋岸沿いのオランダ語表記の地名は書き込まなかった。山村は自分の情報源に従って地名を訂正している場合もある。例えば四国についてTokoesiの他にChickockを付け加え、九州に関してはChikokoのかわりに、Saycock(西国)としている。(中略)江戸は全く姿を消してしまっている。」
(ルッツ・ワルター編『西洋人の描いた日本地図:ジパングからシーボルトまで 図録』社団法人OAG・ドイツ東洋文化研究会、1993年、195ページより)

 サンソンによるこのユニークな日本図は、残念ながら翌年にアジア地図帳が再販された際には採用されず、全く別の日本図が掲載されることになりました。これは、この地図の精度が劣っていたがゆえのことではなく、何らかの事情で原版が失われてしまったことによる可能性が高いことが指摘されています。(ジェイソン・ハバード / 日暮雅道訳『世界の中の日本地図:16世紀〜18世紀 西洋の日本の地図に見る日本』柏書房、2018年、211頁)そのため、サンソンによるこの日本図は、1652年に刊行されたアジア地図帳初版本でしか見ることができない、大変貴重な日本図となっています。ずっと後年の1683年になって本図と告示した日本図がサンソンの名を冠して現れますが、この時点でサンソンはすでに世になく、この後年版は本図をもとに複写して製作された複製版(復刻版)であると考えられます。この複製版は、本図とはその細部が異なっていて(複製時の転写ミス等によると思われる)、厳密には本図の第2刷とは呼べないものです(そもそも原版が異なっている)。

 しかしながら、1683年に刊行されたこの複製版はその後に幾度も再版され、またこれに影響を受けた類似の日本図が多く製作されることになりました。その意味では、結果的にサンソンの預かり知らぬところで、17世紀後半から18世紀初めにかけて、本図はヨーロッパにおける代表的な日本図として大きな影響力を持つことになりました。その意味では、現存数が著しく少ないとされる、サンソン自身によって製作されたこの日本図は、このように流布した日本図の原典として非常に高い価値を有するものと思われます。

 なお、本図が唯一収録されたサンソンのアジア地図帳1652年版(初版)ですが、タイトルページが1752年の刊行年を有するものでも、本図ではなく、翌年1753年以降に採用された日本図が収録されているケースがあるようです(国内の所蔵例ですと、国際日本文化研究センター所蔵本(BB10026068)がそうした例に該当)。こうしたケースの存在に鑑みると、本図の原版は、初版が刊行されていた1652年中に失われた可能性が高く、初版本であっても初期に印刷されたものにしか本図は収録されなかったと考えられます。その意味でも、1652年の刊行年表記を有する本図は大変希少な一枚ということができるでしょう。