書籍目録

『1500年から1566年にかけて世界で生じた出来事についての短報』

スリウス

『1500年から1566年にかけて世界で生じた出来事についての短報』

初版 1566年 ケルン刊

Surius (Surium), Laurentius (Laurentium).

COMMENTARIVS BREVIS RERVM IN ORBE GESTARVM, ab anno Salutis millesimo quingentesimo, vsq; ad annum LXVI. Ex optimis quibusq; ….

Coloniae(Köln), Haredes Iohannis Quentel / Geruinum Calenium, M. D. LXVI.(1566). <AB20211704>

Sold

First edition.

8vo (9.1 cm x 14.7 cm), Title., 6 leaves, pp.1-18, [19], 20-157, 126[i.e.158], 123[i.e.159], 160-293, 194[i.e.294], 295-641, 11 leaves(index), Slightly later(17th Century?) full leather.
旧蔵機関の押印や余白部に書き込みが見られるが、やや後年の17世紀頃に施されたと思われる装丁で、栞も残存するなど良好な状態。

Information

当時のベストセラーで、イエズス会士による書簡作品以外に掲載された最初期の日本情報

 本書は、リューベック出身のカルトジオ会修道士の著作家である著者によって執筆された16世紀の年代記です。タイトルが示すように1500年から1566年にかけてヨーロッパを中心とした世界各地で生じた出来事を記した大部の著作で、大変興味深いことに日本についての記述が散見される作品です。イエズス会による書簡類を除いてほとんど日本に関する情報が掲載された書物がなかった16世紀半ばにあって、本書は、1566年という非常に早い時期に刊行された日本関係欧文図書として注目すべき作品です。

 本書の著者であるスリウス(Laurentius Surius, 1523 - 1578)は、ドイツ語圏、特にケルンを中心に活躍した、著作家として著名だったカルトジオ会修道士です。彼の学識の高さとその才能については早くから定評があったと言われており、ラテン語の優れた使い手であったことから学者としての栄達を望むこともできましたが、一修道士として生涯を捧げることを選択し、ケルンの修道院において聖人伝や歴史書の執筆に専念して過ごしました。本書は、宗教改革が吹き荒れる動乱の時代に幼少期を過ごしたスリウスが、自身が選択したカソリックの立場から同時代の出来事を網羅的に記録しようと試みた、「現代世界誌」というべき作品です。本文は編年体の形式をとって叙述されており、「短報(Commentarius Brevis)」とされたタイトルとは裏腹に、60年余りの出来事を640ページをこえる紙幅を割いて記しています。本書は刊行直後から好評を博したようで、翌年に早くも増補改訂版が刊行され、以降もスリウスの没年まで改訂版の刊行が続けられました。さらには、スリウス没後も別の著者によって増補改訂が続けられ、最終的には1586年まで記述を拡張した増補改訂版が刊行されていることが確認できます。また、フランス語訳、ドイツ語訳も刊行され、これらも版を重ねたことが知られており、本書は当時のヨーロッパ(カソリック圏という留保はあるものの)で広く、長く読まれた作品であることがわかります。

 本書が大変興味深いのは、宗教改革に揺れるヨーロッパだけでなく、大航海時代の幕開けによって知られるようになった「新世界」についての情報をも盛り込んでいることで、特に「Giapan」という名称で呼ばれる日本についての情報が散見されることにあります。ヨーロッパに日本情報が伝えられるようになったのは、主としてザビエル渡来以降のことで、ザビエルら日本を訪れた宣教師によって現地の情報を伝える書簡がヨーロッパにもたらされるようになり、それらが1550年代に入ると書籍として刊行され始めるようになります。しかし、本書が刊行された1566年の時点では、まだまだこうした日本情報を伝える刊行物は決して多くなく、ましてイエズス会士による書簡以外の刊行物における日本情報はほとんど皆無と言ってよい状況にありました。こうした時代にあって、「現代世界誌」とも言える、おおよそ日本を直接の対象としていない作品である本書において、ある程度まとまった日本関係記事が収録されていることは注目すべきことではないかと思われます。

 本書中に見ることができる日本関係記事は、主に533ページからと、634ページ前後に見ることができます。いずれにおいても日本は「GIapan」(IapaniáあるいはGiaponともされる)と呼ばれており、後年に日本を示すラテン語表記である「Iapon」などとは異なった呼ばれ方をしています。「Giapan」という日本の呼称は、16世紀の早い時期の英語やフランス語で刊行された日本関係欧文図書においても見ることができるもので、当時のヨーロッパ諸言語における日本の名称が、後年ほどにはまだ定まっていなかったことを示唆しており、興味深いものです。スリウスは、1553年頃の出来事を記述する中で、日本のことを近年になってポルトガル人によって発見されたアジアの極東にある広大な島々からなる国として紹介していて、日本は世界の辺境と言えるほどヨーロッパから遠く隔たっているが、キリストの教えが受け入れられるべく熱心に試みられる必要がある国だと述べられています。日本にキリスト教を根付かせるためには、彼らが範としている中国の人々にキリストの教えがまず最初に受け入れられる必要があるとスリウスは述べていますが、この辺りの主張は間違いなくザビエルの書簡(日本報告)に影響を受けたものではないかと考えられます。スリウスは、韃靼人の侵入を防ぐべく長大な城壁を築く(だけの高い文明を有し、日本の人々から尊敬されている)中国の人々が改宗しない限り、ポルトガル人が伝えようとするキリストの教えや習慣に、日本の人々は従おうとしないだろうと述べ、つづいて日本と中国との位置関係や日本の大きさ、日本におけるザビエルによる布教の試みなどについても読者に紹介しています。

 本書に収録されている日本関係記事は、それほど具体的な日本情報を伝えるものではないかもしれませんが、直接日本に赴いた宣教師以外の当時のヨーロッパの人々が、わずかな日本情報をどのように理解しようとし、彼らの歴史観、世界観の中にどのように位置付けようとしていたのかを示す貴重な一例として大変貴重で、重要な記述と思われます。また、ザビエルに関しての記述も本書には散見できますので、日本と中国、彼らが「インド」と称した広大な地域に対しての認識形成に、ザビエルがもたらした情報が多大な影響を与えていたことも本書は示唆しています。上述したように、本書は初版刊行以降も増補改訂を繰り返しながら幾度も版を重ねただけでなく、フランス語やドイツ語にも翻訳され、多くの読者を獲得することに成功した作品です。このように好評を博した本書の受容状況に鑑みると、本書に記された日本情報は、イエズス会士による書簡作品がもたらした日本情報よりも、いっそう広範な同時代の読者に影響を与えた可能性が考えられます。その意味においても本書における日本関係記事は、最初期の日本関係欧文図書として、看過し得ない重要性を持つのではないかと思われます。

 店主の知る限り、本書はこれまで日本関係欧文図書としては認識されていないようですが、1566年という非常に早い時期に、「現代世界誌」と呼べる当時のカソリック世界における地理、歴史観を端的に表現し、また同時代の読者に大いに好評を博した作品における日本関係記事は、大変興味深い記事ということができるでしょう。本書は1566年に刊行された初版本ですが、後年の増補改訂版が比較的入手が容易であるのに対して、初版本は現存数が少ない(おそらく好評を博してから刊行された後年版の方がより多くの部数が刊行されたためと思われる)ようで、現在は入手が難しくなっているようです。

やや後年の17世紀頃に施されたと思われる装丁で、栞も残存するなど良好な状態。
見返しにはマーブル紙が用いられている。
旧蔵機関による押印が複数確認できる。
タイトルページ。
献辞文冒頭箇所。
本文冒頭箇所。1500年から1566年までの世界各地で生じた出来事を640ページ以上にわたって記した大部の作品で、特に明示はされていないが、基本的に編年体で記述されている。
「Giapan」と呼ばれる日本関係記事が散見される。イエズス会士による書簡作品以外に収録された最初期の日本関係記事として大変興味深い。
「GIapan」あるいは「Iapaniá」ともされている。
ザビエルについての記述も散見でき、当時のヨーロッパの人々のアジア世界に対する認識形成に彼のもたらした情報が少なくない影響を与えたことが伺える。
本文末尾。本書は翌年以降も収録年代を拡張しながら増補改訂が続けられ、多くの読者を獲得することに成功した。
巻末には索引も設けられている。
索引では、Giaponとして日本が言及されており、表記の揺れが見られる。