書籍目録

『地理学知識普及のためのハンドブック:1844年号(第22年次)』(日本特集収録)

ゾンメル

『地理学知識普及のためのハンドブック:1844年号(第22年次)』(日本特集収録)

1844年 プラハ刊

Sommer, Johann Gottfried.

Taschenbuch zur Verbreitung geographischer Kenntnisse. Eine Übersicht des Neuesten und Wissenswürdigsten im Gebiete der gesammten Länder- und Völkerkunde. Für 1844. (Zweiundzwanzigster Jahrgang)

Prag, J.G. Calve’sche Buchhandlung, 1844. <AB20211702>

Sold

8vo(10.0 cm x 15.0 cm), Front., Title., 1 leaf(Inhalt), pp.[I]-CXII, pp.[1]-48, 94[i.e.49], 50-403, 440[i.e.404], Plates:[5], Contemporary Green half leather.
小口は三方とも黄色に染められている。[Alt-Japan-Katalog: 1426]

Information

3枚の図版と共に一般読者向けに綴られたユニークで充実した日本関係記事

 本書は、一般の読者に対して最新の地理学上の発見に関する知識を普及させる目的で刊行されていた叢書の1巻にあたるもので、日本についての特集記事が収録されている号です。この日本特集記事は、著者の研鑽に基づく独自の視点から記された大変充実した内容を有するもので、長崎湾図を含む3枚の図版が収録されているなど、非常に興味深い記事となっています。当時のヨーロッパにおける一般読者に向けて記された日本関係記事であることから、当時の標準的な日本観のあり方を示す大変ユニークな価値を有する記事ではないかと思われます。

 本書の著者ゾンメル(Johann Gottfried Sommer, 1782? - 1848)はドレスデン近郊出身の著作家で、貧しい家庭の出身ながら自学自習を重ね、自身の関心に沿って地理学や言語学の分野の研鑽を積みました。自身が苦労したことや、生活のために教育に携わっていたこともあって、一般の読者に向けて、当時最新の地理学や言語学習の方法をわかりやすく解説する書籍の執筆に精力的に取り組み、本書を代表とする通俗的ながらも優れた内容を有する叢書を数多く出版したことで知られています。『地理学知識普及のためのハンドブック』と題された本書は、1823年に刊行が開始され、彼が亡くなる1848年まで刊行が続けられた彼の代表作で、世界各国地域の地理と歴史について、当時ヨーロッパで入手できた当該地域のさまざまな文献を駆使してそれらを大いに参考にしつつも、初学者でも理解しやすいよう、ゾンメルが独自にテキストを執筆した作品です。本書にもみられるように100ページを超える長大なゾンメルによる序文が付されていることが大きな特徴で、前号刊行以降にもたらされた新たな世界地理に関する情報や航海、新刊書籍などの情報が序文でまとめられていて、この序文からは、ゾンメルが常に最新の情報に目を配って自らの知見のアップデートを図っていたことがよくわかります。この優れた序文だけからでも、この叢書が単なる先行研究の寄せ集めではなく、こうした彼の研鑽に基づく独自の見識に基づいて執筆された作品であることが伝わってきます。また、タイトルページにもうたっているように、口絵含めて6枚の図版ページが本文中に挿入されていることも大きな特徴で、これらの図版もやはり先行研究書に収録されている図版に範を持ったものと思われるものですが、ゾンメルの見識によって最も適当と思われる情報源が取捨選択されていることがうかがえるものです。

 1844年号(第22年時号)である本書が興味深いのは、本文冒頭から160ページ近くにもわたって日本を特集した記事が掲載されていることです。この日本特集記事で、ゾンメルは冒頭においてこれまでこの叢書で、シーボルトのヨーロッパへの帰還を報じたり、彼の日本研究の大著である「Nippon」刊行に対する関心をよせてきたこと、また10年近くの日本滞在歴を有するオランダ商館員であるフィッセル(Johann Frederik van Overmeer Fisscher, 1799 - 1848)が1833年夏にパリに到着したこと、さらには当時のヨーロッパ東洋学者を代表するクラプロート(Julius Heinrich Klaproth, 1783 - 1835)の著作に言及するなど、日本に対して少なくない言及を重ねてきたことを述べています。ただ、これまで言及された著者による日本研究書は高額なもので、多くの一般読者にとっては得難い書物であることが問題であるとしています。この問題に対しては、オランダ人らによる最新の日本の知見を踏まえた上で編纂された英語著作『日本の風俗と習慣(Japanese manners and customs. London, 1841.)』は、大変有用であるからこれを参照しつつ、この日本特集記事を進めていこうとゾンメルは述べています。

 ゾンメルは、日本とヨーロッパとの交流史をごく簡単に述べるところから記述を始め、合わせてヨーロッパで刊行されてきた主要な日本関係文献とその著者についても概説しつつ、テキストを進めていきます。シーボルトなどを中心にしつつも、数多くの文献を参照しながら記事は執筆されており、その話題は実に多岐にわたっていて、日本関係記事としては非常に充実した内容といえるものです。長崎の街の概観と出島の様子、そこで行われている公益の実態といった、当時のヨーロッパと日本とをつなぐ「架け橋」であった出島における日欧交流事情の解説、また、オランダに課せられている江戸の将軍への挨拶するための旅行(江戸参府)についての解説では、その行程に沿って日本の地理概観についても説明されています。日本の統治構造、社会階層、軍事力、言語、学芸、暦、衣装、工芸品、交易、食料事情、祝祭、歴史等々、日本概説として申し分のない多彩なテーマがここでは論じられていて、当時のヨーロッパにおける一般的な日本認識の一例を知るためのサンプルとも言える記事となっています。ゾンメルの筆致は、無味乾燥になりがちな学術的なスタイルよりも、時に引用を織り交ぜながら読み手を飽きさせない、生き生きとした描き方を重視しているようで、このことは、この記事が収録された叢書がそもそも一般読者を対象としたものであることに鑑みれば、至極当然で正しい選択であったのでしょう。それだけに、限られた専門家だけでない、一般的な読者のためにまとめられたこの日本特集記事は、当時のヨーロッパにおける標準的な日本観を反映したものとしても、大変興味深い記事と言うことができます。

 また、この日本関係記事には、2枚の図版が収録されているだけでなく、冒頭口絵には出島を中心とした長崎湾図が掲載されていて、本書に収録された全6枚の図版のうち、実に半分が日本関係図版であることも注目に値するでしょう。これらの図版は、主にシーボルトの「NIppon」等からとったものと思われるものです。小型本である本書に収録するに際して避けられないデフォルメが施されているとはいえ、比較的よく描きこまれたと言える図版で、当時まだまだ荒唐無稽なイメージに基づいた日本の視覚情報がごくあたりまえに流通していたことに鑑みると、この図版からは、ゾンメルの優れた情報選択眼が垣間見えてきます。

 本書に収められた日本特集記事は、四半世紀にわたってゾンメルが刊行し続けた地理学叢書の1巻に収録された特集記事という、非常に見つけ出しにくい記事であったことが影響したのか、これほど充実した内容を有する記事であるにもかかわらず、これまで日本関係記事として注目された形跡がないようです。また、当時それなりに売れたのではないかと思われるこの叢書ですが、残存しているものはそれほど多くないようで、また残存していても図版が切り取られていたりと、内容を完備する1冊は稀少になってしまっているようです。その意味でも、本書に収められた日本関係記事は、関連する3枚の図版と合わせて、当時の一般読者に向けてまとめられたユニークな日本関係記事として注目すべき作品と言うことができるでしょう。