本書は1825年にパリで刊行された新書サイズの書物で、ラメール(J. Lamare)による『日本誌』と題された、日本論を主題とする作品です。著者ラメールについての詳細歳は不明ですが、200ページ以上の分量を有する日本関係欧文図書でありながら、Cordierをはじめとした主要な日本関係欧文図書目録にも収録されておらず、国内外の研究機関の所蔵もほとんど見られないという、大変珍しい書物でもあります。
本書には詳細な目次や小見出しも設けられていませんが、概ね3つの部分で構成された作品となっています。第1部(冒頭〜102頁まで)では、「日本についての記述」(Description du Japon)と題して、日本の地理、社会構成、人々の気質や道徳、文化、交易、度量衡、暦、政治体制といった、日本社会全般に関する様々な事項が多岐にわたって論じられています。著者ラメールは、相当の学識を有していた人物と思われ、自身の記述に際して参照したり、典拠にした文献資料を本文下段に脚注の形で明記しており、彼の日本情報源が如何なる資料によっているのかをある程度辿ることが可能となっています。本文の記述や脚注を見る限りでは、第1部でラメールが主として参照しているのは、スウェーデンの植物学者、博物学者、医者で、植物分類学の大家リンネ(Carl von Linné, 1707-1778)の高弟でもあったツンベルク(ツュンベリーとも、Carl Peter Thunberg, 1743 - 1828)の名著『日本紀行』のフランス語訳版(Voyages de C. P. Thunberg, au Japon,...Paris, 1796)のようです。この作品は、当時のヨーロッパにおけるベストセラー作品で、スウェーデン語からフランス語、ドイツ語、英語など各国語に翻訳されたり版を重ねたりしていますが、ラメールが用いたのは、当時のフランスを代表する東洋学者の1人であったラングレス(Louis-Mathieu Langlès, 1763 - 1824)が仏訳と注釈を手がけた仏訳決定版のようで、本書の本文や注釈中でも、ツンベルク自身の記述だけでなくラングレスによる記述にも頻繁に言及しています。ラメールは、ツンベルクと並んで当時最新の日本情報源として広く読まれていた、ゴロウニン(Vasilii Mikhailovich Golovnin, 1776 - 1831)『日本幽囚記』も参照しており、概ね当時のヨーロッパで入手できた同時代の日本研究文献を踏まえた上で本書を執筆していることがうかがえます。またこうした同時代の著作だけでなく、ルイス・フロイスらといった16世紀の日本で活躍したイエズス会宣教師による日本報告(年報、書簡)も参照しているようで、こうした文献は、本書執筆当時には一般的に目にする機会が少なかったであろうことから、ラメールはかなり本格的に日本事情の調査、研究を行ったのではないかと思われます。内容については上述したような多岐にわたる日本社会に関するテーマを、先行文献を参照して紹介しつつも独自に組み合わせて構成し、また折に触れて自身の見解を披露していることから、本書は単なる先行文献の寄せ集めではない、ラメール独自の日本誌となっていると考えることができます。
第2部(103〜175頁)は、「(日本)帝国の歴史」(Histoire de L’Empire)と題して、日本の歴史を論じる内容となっていて、日本の人々の起源から、同時代に至るまでの歴史が描き出されています。この第2部は「歴史編」ともいうべき内容ですが、ラメールがここで最も参照しているのは、ケンペル『日本誌』のようで、概ね同書に沿った構成で日本の歴史が論じられています。ただし、ケンペル『日本誌』だけに頼るのではなく、それよりもの古い17世紀後半の日本情報源として大きな影響力を有していたモンタヌスの著作なども参照しており、ここでもやはりラメール独自の考察が加えられた日本史となっていることが見て取れます。たとえば、文禄、慶長の役のように隣国に及ぶ事項を論じる際には、フランスのイエズス会士デュ・アルド(Jean Baptiste Du Halde, 1647 - 1743)が、中国についての歴史、地理、文化、政治、自然などを包括的にまとめた著作(Description Géographique Historique, Chronologique, Politique et Physique de l’Empire de laChine et de la Tartarie Chinoise…4 vols, Paris, 1735)といった中国や朝鮮半島について論じた日本関係資料以外の文献も参照するなど、著者の学究的態度が表れています。
本書の主要部分を構成しているのは上記の第1部、第2部で、残りは補遺(170頁から)となっていて、ここではやはり同時代のフランス東洋学を代表する著作家であったクラプロート(Julius Heinrich Klaproth, 1783 - 1835)による『アジア歴史地図』 (Tableaux historiques de l’Asie,...Paris, 1826)に言及しつつ、日本を中心としたアジア地域全体の歴史と地理についての概説がなされています。クラプロートによるこの著作は本書執筆当時にはまだ完結しておらず(おそらく一部のみが雑誌で先行して発表されていた)、全体が刊行されたのは本書刊行の翌年1826年のことですが、ラメールはクラプロートによるこの作品が、これまでになかった日本とアジアの地理と歴史に関する重要著作であると考え、補遺で論じているようです。このことは、ラメールが同時代のフランスを中心とした東洋学者ネットワークの中に位置づけられうる人物であった可能性を示唆するもので大変興味深いことです。また、補遺においては「台湾誌(Histoire de l’ile de Formose)」と題した記事も収録されていて、日本と地理的にも歴史的にも関係が深い台湾についての独自の論考が収録されています。
このように本書は独立して刊行された日本論としては、同時代の最新文献に目を配りつつも古典的な先行文献も参照するなど、相当の見識を備えていたと思われる人物による著作であることから、注目に値すべき日本関係欧文図書の一つであると言えます。しかしながら、先述のように著者ラメールについて詳しいことがほとんどわからないばかりでなく、本書の所蔵自体が国内外で極めて限られてしまっているという、非常に不可思議な作品とも言えます。本書は「19世紀図書館叢書第71巻 (Bibliothèque du dix-neuvième siècle 71)」として刊行されているようですが、この叢書についても詳しいことは分からず、本書刊行の経緯や、著者の経歴も含めて、解明すべき点が多い日本関係欧文図書であると考えられます。