書籍目録

『新世界の帝国ヌエバ・エスパーニャと呼ばれる祖国メキシコの守護聖人、日本で最初に殉教した高名なる者、聖フェリペ・デ・へススの生涯と列福』

メディーナ / (日本二十六聖人殉教事件)

『新世界の帝国ヌエバ・エスパーニャと呼ばれる祖国メキシコの守護聖人、日本で最初に殉教した高名なる者、聖フェリペ・デ・へススの生涯と列福』

第2版 1751年 マドリッド刊

Medina, Balthasar De.

VIDA, MARTYRIO, Y BEATIFICACION DEL INVICTO PROTO-MARTYR DE EL JAPON SAN FELIPE DE JESUS, PATRON DE MEXICO, SUPATRIA, IMPERIAL CORTE DE NUEVA ESPAÑA, en el Nuevo Mundo:…SEGUNDA IMPRESSION.

Madrid, En la imprenta de los herederos de la viuda de Juan Garcia Infanzon, 1751. <AB20211693>

Donated

Second edition

4to(14.5 cm x 20.3 cm), Title., 13 leaves, Front., pp.[1], 2-176, Contemporary vellum.
タイトルページと献辞の一部に欠損あり。本体と装丁が外れかかっている状態で、綴じの一部にも緩みあり。本文随所に鉛筆での書き込みあり。[NCID: BA21731733]

Information

日本二十六聖人殉教事件で犠牲となりメキシコの守護聖人となったへスースの伝記決定版

 本書は、1597年に生じた日本における最初の大規模なキリスト教徒弾圧事件とされる「日本二十六聖人殉教事件」で犠牲となったフランシスコ会士フェリーペ・デ・ヘスス(Felipe de Jesús, 1572 - 1597)の生涯を論じた作品で、彼を扱った単独の伝記作品として最初かつ、現在においてなお重要とされている作品です。メキシコ出身であったへスースは、メキシコの守護聖人として同地における崇拝の対象として今でも同地では広く知られている人物で、日本ではあまり知られることがない人物ですが、メキシコと日本とを(その端緒が悲劇的な形であれ)結びつけ続けた非常に重要な人物と言えることから、本書はその本格的な自伝として高い価値を有する書物とみなすことができます。
 
 メキシコの偉大な聖人としてのフェリペ・デ・へスースは、裕福な両親の希望に沿ってフランシスコ会修道院に入りますが、間も無く脱会。その後商人として貿易活動に従事していましたが、マニラで再びフランシスコ会士となり、サン・フェリぺ号でメキシコに戻る途中に船が難破し、日本の土佐に漂着しました。その際秀吉による積荷没収と処刑の可能性が伝えられたことに対して、スペインの日本に対する領土的野心をほのめかす発言があったと伝えられたため、秀吉が激怒し、フェリペ・デ・へスースを含むフランシスコ会士らが捉えられ、26人が処刑されるといういわゆる26聖人の殉教事件が起きました。この時、叙階のためにメキシコに帰国すると常にあったへスースは事件に巻き込まれ、フランシスコ会師として長崎で処刑されてしまうことになりました。のち(1862年)に犠牲者26人が「聖者」として列聖されたことから、いわゆる「日本二十六聖人殉教事件」として知られる事件ですが、この事件についてはその直後から数多くの報告、証言、記録集が作成され、その多くがヨーロッパやメキシコ、フィリピンなどで印刷物として刊行されました。へスース自体は若年の犠牲者であったことから、それまでの生涯や事績についての記録はほとんどなかったものと思われますが、彼らを殉教者として公式に顕彰するためにはその生涯の詳しい記述が必須であったことから、事件そのものだけでなくへスースの伝記事項についても詳細な調査が行われることになりました。1627年には、聖人の前段階とされる「福者」として26人が認定され、これを受けてへスースの崇拝もメキシコを中心に高まりを見せるようになっていきます。

 へスースの生涯とその崇拝の歴史、文化的、政治社会的背景については、川田玲子氏による非常に詳細な研究書『メキシコにおける聖フェリーぺ・デ・ヘスス崇拝の変遷史:神の沈黙を超えて』(明石書店、2019年)があり、本書についても詳細に紹介されていて非常に参考になります。同書(第4章)によりますと、ヌエバ・エスパーニャと呼ばれたメキシコでは、スペイン入植と同時にカトリック信仰がもたらされることになりましたが、その後早い時期に現地とゆかりの深い人物にちなんだ聖人聖母崇拝が始まったとされています。それは、現地の人々と入植者との間に生まれたクリオージョのアイデンティティ形成においても非常に重要なことで、メキシコ出身であったへスースの「殉教」は、彼を同地が輩出した偉大な聖人として崇拝する大きな誘因となっていきます。その過程において、へスースの高潔さを讃えた説教や、彼に関係するとされるさまざまな奇跡の物語、殉教の場面を描いた多くの図像、彫刻、聖堂などが製作されるようになり、それとともに偉大なへスースが殉教を遂げた日本という舞台についてのイメージが同地の人々に形成されていくことになります。

 本書は、そうした一連の流れにおいて製作されたフランシスコ会の著作家メディーナ(Baltasar de Medina, 1634 - 1697)によるへスースの伝記作品で、彼だけを対象とした最初の著作として高い評価を受けただけでなく、現在でもへスース研究に欠かせない重要な作品とされています。本書初版は1683年にメキシコで刊行され、1751年にはスペイン本国のマドリッドにおいて第2版(Segunda Impression)が刊行されており、本書は後者にあたるものです。川田氏による上述書において、本書は下記のように簡潔に解説されています。

「メディーナは1630年ごろにメキシコ市で生まれたクリオージョである。聖ディエゴ管区(Provincia de san Diego)に所属するフランシスコ会に入会し、神学及び哲学の大学教官となった。1670年には巡察師としてフィリピンへ渡っている。かつてフェリーぺが住み、聖職者を目指した町に滞在したメディーナは、殉教事件を身近なものに感じたのではないだろうか。
 帰国後の1682年にまず、『ヌエバ・エスパーニャの清貧フランシスコ会系メキシコ聖ディエゴ修道会の歴史−素晴らしい美徳あふれる賢人たちの人生』(Chronica de la Santa Provincia de San Diego de Mexico, de Religiosos Descalços de N. S. P. S. Francisco en la Nueva-España. Vidas de ilustres, y venerables varones, que la han edificado com excelentes virtudes.)を書いた。これは、1597年に長崎で殉教したフランシスコ会殉教者23名のうちの6名の殉教者の生涯を扱ったものである。(中略)
 翌年メディーナはフェリーぺのみをテーマにした一冊の本を書き上げた。それが聖フェリーぺ・デ・ヘスス殉教物語、『新世界の帝国ヌエバ・エスパーニャと呼ばれる祖国メキシコの守護聖人、日本で最初に殉教した高名なる者、聖フェリペ・デ・へススの生涯と列福』と題された作品である。これが、前編フェリーペ・デ・ヘススについて書かれた、説教録以外では最初の書物であり、本説で扱う著書である。
 この中に描かれたフェリーぺの人生と殉教事件に関しては、リバデネイラの記述が基になっている。とは言え、可能な限りの調査の上に綴られた作品である。さらに、著者メディーナの時代も含めて、それまでに生じた関連する出来事もが記されており、この本は現在もなお、フェリーぺ崇拝研究にとって貴重な史料である。
 まず、その構成が20章全176頁という大著である。第1章はフェリーペの誕生と家族に関して、第2章が幼少時代からプエブラ市のフランシスコ会修道院に入るまで、第3章は還俗後の状況とフィリピン渡航について、第4章はフィリピンでの様子、第5章は生国への船旅について、第6章は遭難の様子、第7章は殉教前に生じたいくつかの自然界の奇跡を扱い、第8章からは第10章は日本漂着から殉教するまでの話である。第11章で殉教者の死に際しての奇跡について語り、第12章では遺体に関して述べている。第13章及び第14章では聖フェリーぺの軟禁にまつわる疑惑について検証し、第15章は列福に関して、第16章は母親の死に際しての奇跡、第17章はメキシコにおけるフェリーぺの聖遺物の行方について、第18章は年祭の決定と大聖堂内に礼拝堂を設置したこと、第19章は聖フェリーぺに捧げられたカプチナ修道院の教会堂完成までの過程を説明している。最終章は参考文献の紹介で、ルイス・フロイスの著書を筆頭に、1681年のファン・デ・アビラの著書まで、基本となる史料17冊が挙げられている。」
(川田玲子『メキシコにおける聖フェリーぺ・デ・ヘスス崇拝の変遷史:神の沈黙を超えて』明石書店、2019年、271-220頁より)

 殉教者の奇跡について論じた第11章と第12章との間には、事件で犠牲となった26人全員の紹介記事が挿入されていて、へスースを含む犠牲者の事蹟が1人ずつ名前を挙げて紹介されています。本書はテキスト外部の余白に欄外注が頻繁にあり、メディーナが参照にした文献や史料などの情報源がきちんと明記されています。冒頭の目次とは別に巻末には索引も設けられていて、主題や固有名から記事を参照することも可能です。

 また、本書にはへスースが磔刑に処される場面を描いた銅版画も収録されていて、この銅版画は初版には収録されておらず、1751年にマドリードで刊行された再版に初めて収録されたものです。この銅版画では、十字架に磔にされ両脇から2本の槍で貫かれているだけでなく、胸にもう一つの傷を負ったへスースが描かれています。この最後の傷は、他の殉教者に見られないへスース独自の聖性を帯びた証として、現地におけるへスース崇拝の重要な要素であったとされています。背景に描かれた街並みは日本のそれとはかけ離れた西洋、あるいはメキシコの街並みを思わせるものとして描かれており、へスースの頭上の空は、雲が切り開かれ光が降り注ぐように表現されています。台座にはスペイン王家の王冠と、メキシコの象徴であるヘビを咥えた鷲とサボテンが誇らしげに描かれています。また、本文中(70頁)には、日本で磔刑に用いられた十字架の形状を解説した木版画も収録されていて、キリストの磔刑を彷彿とさせる形で殉教を遂げたへスースの聖性が強調されています。

 本書は実際に事件が起きた1597年から150年余りが経過してから遠く離れたマドリードで刊行された作品ですが、このように時間と空間が遠く隔たってなお(あるいは一層)日本での殉教事件に対する関心が極めて高かったことを伝える大変興味深い作品です。この伝承の継承において、事件の舞台となった日本の姿についての表象は、一層観念的、あるいは象徴化されていくことになったと思われますが、それでもなお具体性を保持しており、暴君(Tyrano)である太閤様(Tycozama)によって長崎(Nangazaqui)で処刑された経緯は非常に詳しく論じられていて、当時の読者の日本観を形成するには十分な日本情報を提供したものと考えられます。本書は、へスースというメキシコの守護聖人崇拝とともに、その舞台として重要な役割を果たした日本の姿も、長きにわたってメキシコやスペインにおいて伝承され続けたという興味深い事実を明らかにさせてくれる貴重な作品ということができるでしょう。

 なお、本書については本解説で大いに参照させていただいた川田氏の前掲書のほか、下記書籍の第10章でも詳細に論じられていて非常に参考になります。

Rady Roldán-Figueroa.
The Martyrs of Japan: Publication History and Catholic Missions in the Spanish World (Spain, New Spain, and the Philippines, 1597-1700).
(Studies in the History of Christian Traditions 195)
Leiden: Brill, 2021.


「フェリペ・デ ・ヘスス
秀吉の命により長崎で磔刑に処せられた26人は、1862年6月8日、教皇ピオ9世により聖人に列聖された。フェリペ・デ ・ヘススは、ヌエバ・エスパーニャへ向かう途中で浦戸に漂着したサン・フェリペ号に乗っていた修道士のうちの一人であった。彼は、ヌエバ・エスパーニャ生まれであったことから、初めて列聖されたメキシコ生まれの聖人として、現在でもメキシコの人びとの篤い信仰の対象となっている。なお、フェリペ・デ ・ヘススが殉教したのは、24歳の時であった。」
(たばこと塩の博物館編『日本メキシコ交流400周年記念特別展 ガレオン船が運んだ友好の夢』たばこと塩の博物館、2010年より)