書籍目録

『詩歌撰葉』

ロニー

『詩歌撰葉』

1871年 パリ刊

Rosny, Léon de.

ANTHOLOGiE JAPONAISE: POÉSIES ANCIENNES ET MODERNES DES INSULAIRES DU NIPPON…

Paris, Maisonneuve et Cie, MDCCCLXXXI(1871). <AB20211684>

Sold

4to (14.0 cm x 22.2 cm), Original cover, Half Title., Title., pp.[I(dedication)-iii], iv-xviij, 1 leaf, pp.[I], II-XXXII, [1], 2-222, 1 leaf, bound with 72 colored numbered plates pages, Modern half black leather on decorative Japanese paper.
[NCID: BA1317658X]

Information

古今の日本の詩歌が奏でる世界を美しい造本で表現した東洋学者ロニーの意欲作

 本書は、19世紀後半のフランスを代表する東洋学者ロニー(Léon de Rosny, 1837 - 1914)によって編纂された、日本の詩歌の原文とそのフランス語訳と解説、多色刷りが駆使された豪華な翻刻からなる歌集作品です。ロニーが手がけた数多くの著作の中でも一際手の込んだ作品で、その内容のみならず、多色刷りによる美しい印刷、仮名や漢字も含めた高品質な活字の採用、上質な用紙など、造本に関するあらゆる側面に行き届いた配慮がなされた大変美しい書物となっています。

 ロニーは、十代半ばからすでに中国や日本に関する研究論文を発表し、19世紀半ば以降におけるフランスを代表する東洋学研究者として活躍しました。特に日本研究に対する関心が深く、1862年のいわゆる文久遣欧使節がヨーロッパを歴訪した際には使節らと親交を深め、福沢諭吉や福地源一郎などとも交流を続けています。1863年にフランス国立東洋語学校において最初の日本語講座が開設された際、ロニーは初代講師に任命(1869年に教授に任命)され、以後定年で1907年に退職するまでその職にありました。

 ロニーは日本語の教科書や歴史書をはじめとして、数多くの日本研究所を刊行していますが、本書はその中でもロニーが特に関心の深かった日本の詩歌を取り扱ったものです。本書は、第1部『万葉集』、第2部『百人一首』、第3部『雑歌』、第4部『葉歌』、第5部『日本詩撰』からなる5部構成となっていて、それぞれにロニーが選んだ詩歌が合計112点も掲載されています。このうち、『万葉集』、『百人一首』はともかくとして、『雑歌』や、『葉歌』、『日本詩撰』がどのような著作を指すのかについては、すぐに分かりかねるところがありますが第3部『雑歌」については、これまでの研究によって次のようなことが明らかにされています。

「上記の古代歌謡集『万葉集』、王朝時代から鎌倉時代の和歌の精髄というべき『百人一首』はよいとして、それ以降の歌謡をどのような資料から採録すべきかは、現在でもなかなか難しい問題であろう。ロニーは、近世末期に刊行された武士たちの詠歌を集めた、絵入の通俗的な読み物を材料にして、主に室町期から江戸前期までの武士たちの歌を選び出しており、一つの特色ある記述になっている。更に、近世記から現代までの「雑歌」として、福沢諭吉、斉藤大之進・栗本貞次郎_松木弘安らロニーが交流を持った日本使節団員たちの所詠や揮毫にかかるものまで収録しているのも特色である。」
(町泉寿郎「レオン・ド・ロニー旧蔵資料からみる19世紀日本」同編『レオン・ド・ロニーと19世紀欧州東洋学:旧蔵漢籍の目録と研究』汲古書院、2021年所収論文、67ページより)

 第4部『葉歌』は、上掲論文によると「『はうたけいこほん』というテキストから採録しているようであるが、コーニツキー目録(ロニー旧蔵和書目録のこと;引用者)に収録せず、また原本は未確定」(同論文69頁)とのことです。第5部『日本詩撰』は、「日本人が創作した漢詩作品を採録」(同論文870頁)したもので、特定のテキストから採ったものではなく、ロニーと交流のあった日本人からの伝聞も含めて幕末維新期によく知られていた漢詩が中心となっているようです。

 いずれの部においても、1)原詩の仮名表記、2) ローマ字表記、3)ロニーによる翻訳と解説という内容となっていますが、ロニーによる解説は場合によってはかなりの長文になっています。また、本文の前後には長文の序文と補遺、文献目録、索引も設けられていて、本書を理解するための基本情報(日本の歴史や文化、文学史等、主題は多岐にわたる)をはじめとしてロニーが自身の日本についての博識ぶりを披露しています。このロニーによる長文の解説も含めて、本書は日本の伝統的な詩歌を西洋に本格的に紹介した書物として注目に値する作品であると言えます。これらに加えて、本書冒頭には政治家で著作家でもあったラブライエ(Édouard René de Laboulaye, 1811 - 1883)の助言が掲載されており、本書刊行の意義が、詩人でもあったラブライエの視点から論じられています。また、本書はロニーと並ぶフランスの東洋学者であったブロッセ(Marie-Félicité Brosset, 1802 - 1880)に捧げられており、ロニーを取り巻く多彩な人的ネットワークの一端をうかがわせています。

 本書についてその内容に加えて特筆すべき点は、本文とは別に、多色刷りが多様された日本の詩歌の翻刻が本書後半に収録されていることです。この部分は本文で論じられた詩歌を、1枚ごとに異なるデザインが用いられた、非常に手の込んだ用紙に翻刻して掲載したもので、見る者を魅了する実に美しいパートとなっています。このパートはロニー自身の強いこだわりが感じられるところで、採算を度外視してでも自身が魅了された日本の詩歌の世界を視覚的に表現すべく、最高の印刷技術と自信が最良と考える意匠を用いて制作されていることが伝わってきます。おそらくロニーは、日本の詩歌の理解のためには、その翻訳や解説だけではなく、このパートで表現されているような視覚による鑑賞も欠かせないと考え、そのために理想的な書物となるべく本書をこのような手の込んだ作りにしたのではないかと思われます。

 このパートに限らず、本文に用いられている用紙や活字は、いずれも非常に高い品質を有していることが窺えるもので、本書のあらゆる点に書物としての高い完成度を実現しようとする意図が感じられます。ロニーは、自身に印刷工の経験があったことから、その著作の印刷に際しては強いこだわりを持っていたことや、自身の印刷工房さえ有していたことが知られていますが、本書はロニーの数多い作品の中でもとりわけ力のこもった特別な作品であると言えます。また、現在の装丁は後年に旧蔵者が最近に施したものと思われますが、こちらも大変手の込んだものとなっています。


「レオン・ド・ロニー(レオン・ルイ・リュシャン・プリュノル・ド・ロニー、Léon-Louis=Lucien Prunel de Rosny, 1837-1914)は、フランス・東洋言語特別学校(東洋語学校、École spéciale des langues orientales)で1863年から1907年まで日本語を教え(1868年から日本語講座開設初代教授)、日本語・日本学の研究、また中国語・中国語学の研究などで知られる19世紀後半の東洋学者である。
 ロニーは、北フランスのロース(Loos)に生まれ、はじめ植物学を学ぶも、のち東洋語学校に入学し、スタニスラス・ジュリアン(Stanislas Julien, 1797-1873)とその弟子アントワヌ・バザン(アントワーヌ=ピエール=ルイ・バザン, Antoine-Pierre-Louis Bazin, 1799-1863)から中国語を学び、のちジュリアンに日本語の研究を勧められ、独学で日本語を学んだ。1863年には東洋語学校で初代講師として日本語の講義を担当し、1907年の退職まで長きにわたり日本語を教え、日本語関係はじめ多くの論文、著作を残した。
 その間にも1862年に文久遣欧使節がフランスを訪問した際にはその通訳を務め、1867年に開催されたパリ万国博覧会では科学委員となり、1873年には第1回国際東洋学者会議を開催するなど、日本学者として多方面にわたり国際的に活躍した。
 一方、1880年第末からは宗教文化に関心を持ち、仏教やそれに基づき自身で築き上げた哲学体系を普及しようと、1892年に「折衷仏教学派」という組織を立ち上げ、1894年には著作『折衷仏教(Le Bouddhisme eclectique)』を発表している。」
(清水信子「レオン・ド・ロニー旧蔵漢籍とその周辺」町編前掲書所収論文、134ページより)