本書は、長年にわたって日本に滞在し、とりわけ1925年から亡くなる1937年まで京都に暮らし、京都をこよなく愛した英国人ポンソンビー=フェイン(Richard Arthur Brabazon Ponsonby-Fane, 1878 - 1937)の16本の著作をまとめたものです。『ロンドン日本協会紀要(Transactions of the Japan Society of London)に多年にわたって掲載されたポンソンビー=フェインの数多くの日本研究が3冊に綴じられたもので、しかも彼と長年深い親交があった旧蔵者への献辞本を多く含んでいる貴重な書物です。
ポンソンビー=フェインは、イギリスの裕福な家庭に生まれたものの、病弱な体質であったことから療養のためにヨーロッパ外各地を転々とする中で1903年から香港総督秘書を務めることになり、それ以降度々日本を訪れるようになります。日本に強い関心持った彼は、日本郵船香港支店で日本語学習に熱心に取り組み高い日本語力を身につけるようになりました。1919年に香港総督秘書の仕事をやめて日本へと移住し、東京本郷に居を構え日本語教師を無償でこなしつつ、日本研究に専念します。1923年に関東大震災に被災したことを受け、1925年に京都に移住し、それから亡くなる1937年まで京都に暮らし続けました。ポンソンビー=フェインは、日本研究とりわけ日本の神道研究を精力的に行い、『ロンドン日本協会紀要』に継続的にその研究成果を英文で発表しています。ロンドン日本協会は、この時期の日英関係の進展に尽力したアーサー・ディオシー(Arthur Diósu, 1856 - 1923)によって1891年に設立された日英友好促進のための協会で、ポンソンビー=フェインはこの協会の会員として定期的にその紀要に自身の研究成果を発表していました。
ポンソンビー=フェインは、神道と深い関わりのある京都の歴史についても熱心に研究し、『鴨御祖神社御記(Kamo Miya Shrine)』(1934年)を出版するなど、古代から近世に至るまでの京都の歴史を独自の視点で考察しています。新村出や柳田國男といった当時の日本を代表する国語学者、民俗学者、神道研究者らとも深く交流し、ポンソンビー=フェインの没後には、彼を偲んで『本尊美翁追憶録』が刊行されています。また、ポンソンビー=フェインは、汽船での旅行をこよなく愛したこともあって日本郵船とも深い交流があり、日本郵船の船名を日本の歴史を踏まえて考察した『日本郵船船名考』も著しています。京都と祖国イギリスとを頻繁に往復した彼は、京都滞在時には和服で過ごし、イギリスではスーツに着替えて暮らしていたことは当時からもよく知られていたようで、生涯を通じて異なる文化間を行き来した彼らしいエピソードと言えるでしょう。
本書は、彼が『ロンドン日本協会紀要』に掲載した16本の論文の抜刷りを3冊に製本してまとめたものです。見返しに貼られている蔵書票から、この3冊の書物の旧蔵者が、1903年から1907年にかけて香港総督を務めていたイギリス人で、ポンソンビー=フェインの香港総督秘書時代の上司であったネイサン(Matthew Nathan, 1862 - 1939)であったことがわかります。ポンソンビー=フェインは、ネイサンに自身の著作を定期的に送っていたようで、本書に収録されている作品の多くにポンソンビー=フェイン直筆の献辞が記されています。
本書には、ポンソンビー=フェインの貴重な研究成果が当時刊行されたままの形で収録されていて、下記に示す16本の作品を見ることができます。
Vol.1
1. 「日本の皇室の霊廟(古墳)」MISASAGI: THE IMPERIAL MAUSOLEA OF JAPAN. (TJSL, Vol. XVIII)著者献辞あり。
2. 「『配帝物語:亡命皇帝たちの物語』」HAITEI MONOGATARI: THE STORY OF THE EXILED EMPERORS. (TJSL, Vol. XIX)著者献辞あり。
3. 「日本の古代の首都と宮廷」ANCIENT CAPITALS AND PALACES OF JAPAN. (TJSL. XX)
4. 「平安京及び大内裏」THE CAPITAL AND PALACE OF HEIAN (Heian-kio oyobi Daidairi).(TJSL, Vol. XXII)
Vol.2
5. 「中古の洛陽(中世の京都)」KIOTO IN THE MIDDLE AGES (Chuko no Rakuyo). (TJSL, Vol. XXIII)著者献辞あり。
6. 「桃山時代の洛中洛外」KIOTO IN THE MOMOYAMA PERIODO (Momoyama-jidai no Rakuchu Rakugawai). (TSJL, Vol. XXIV)著者献辞あり。
7. 「長慶天皇」CHOKEI-TENNO: THE EMPEROR CHOKEI. (TJSL, Vol. XXV) 京都外大所蔵
8. 「泰平間の京都」THE CAPITAL IN PEACE (TAIHEI-KAN NO MIYAKO). (TSJL, Vol. XXV)
9. 「昭和の大禮式:先般の即位式についての印象記」SHOWA NO TAIREI-SHUKI. SOME IMPRESSIONS OF THE RECENT ENTHRONEMENT. (TJSL, Vol. XXVI).著者献辞あり。
10. 「皇室と神道」THE IMPERIAL FAMILY AND SHINTO (Koshitsu to Shinto). (TSJL, Vol. XXVII)
Vol.3
11. 「壬申の乱:初期日本の歴史におけるある事件」JINSHIN NO RAN: AN EPISODE OF EARLY JAPANESE HISTORY. (TSJL, Vol. XXVIII)
12. 「時代偉人の略伝」JIDAI IJIN NO RIAKUDEN. JAPANESE PERSONALITIES THROUGHOUT THE AGES. (TSJL, Vol. XXIX) 著者手紙付き。
13. 「朝権を横領する臣下」MAIRES DU PALAIS IN JAPAN.(TSJL, Vol. XXX)
14. 「後醍醐天皇と建武の中興」(THE EMPEROR GO-DAIGO AND THE RESTORATION OF KENMU. (TSJL, Vol. XXXI)
15. 「日本における退位:太政天皇及び法皇」ABDICATION IN JAPAN. (Dajo-tennno oyobi Hoo.) (TSJL, Vol. XXXII)
16. 「后妃: 日本における皇妃」KOHI: IMPERIAL CONSORTS IN JAPAN. (TSJL, Vol. XXXIII)
いずれの作品も日本の歴史、神道、そして京都の歴史に関する研究論文で興味深いものばかりですが、折込図版や写真等も数多く収録しています。
ポンソンピー=フェインは、現在ではあまり知られることがありませんが、生前と戦後あたりまでは第一級の日本研究者として広く知られており、その研究成果のみならず、日本や京都を深く敬愛した稀有な西洋人として多くの人々に親しまれていました。彼は日本語の会話だけでなく、漢字も含めた日本語の筆記も非常に巧みだったことが知られていますが、著作は基本的に英語で執筆していたため、残念ながら日本語で読むことができる彼の作品はほとんどありませんが、現代の視点から再評価が待たれる日本研究者の一人ということができるでしょう。
なお、彼を偲んで没後京都の西方寺には記念碑が建立され、現在も目にすることができます。また、近年になって下鴨神社に遺稿や旧蔵書が寄贈され、特別展「碧い眼の神道学者ポンソンビ博士展」が2017年に開催されました。
「著者ポンソンビ・フェーン(1878-1937)は1919(大正8)年に来日したイギリス人。当初は東京で英語教師として教鞭をとっていたが、我が国の皇室や神道に関心をいだき京都で生活をはじめた。日常生活でも日本の文化を愛し、和服を着用すると共に、自らを漢字名で「本尊美利茶道(ポンソンビ・リチャード)」と名のっていたほどである。本書(『鴨御祖神社御記(Kamo Miya Shrine)』のこと;引用者)は鴨御祖神社(下鴨神社)について英語でその歴史や境内の建築物などを説明したもので、イギリス人の神道研究家として名を高めた書物である。
なお、彼は京都府立第一中学校の教員を勤めるなどして、1937(昭和12)年にこの地で没した。」
(京都外国語大学付属図書館『古都の心にふれた西欧の人たち』1994年、21ページより)