書籍目録

[『航海と旅行』第2巻](「東方見聞録」収録)

ラムージオ / マルコ・ポーロほか

[『航海と旅行』第2巻](「東方見聞録」収録)

[初版](全3巻中第2巻のみ) [1559年] [ヴェネツィア刊]

Ramusio, Giovanni Battista / Polo, Marco,...[et al.].

[Secondo volume delle navigationi et viaggi nel quale si contengono l’historia delle cose de Tartari, & diversi fatti de loro imperatori, descritta da M. Marco Polo gentil’huomo venetiano, & da Hayton Armeno….]

[Venetia], [Giunti], [MDLIX(1559).]. <AB2021160>

Sold

[First edition]

Folio, 3 Facsimile leaves(Title., [1](publishers preface), contents), 28 numbered leaves([2], 3-28), 155 numbered leaves(1-155, number 113 &151 are facsimile leaves), 1 facsimile leaf(printer's device), Modern full leather, skillfully rebound.
冒頭3葉(タイトルページ、出版社による序文、目次)、第113葉、第115葉はファクシミリにて補填、汚れ、傷み等が見られるが、極めて丁寧な修復が施されており、総革による最装丁済み。

Information

マルコ・ポーロ「東方見聞録」研究の原点となった重要テキストを収録

 本書は、イタリアのみならずヨーロッパにおける本格的な『旅行記集成』の礎を築いた記念碑的名著とされる著作で、全3巻のうち第2巻初版として1559年にヴェネツィアで刊行されています。本書は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』の名で知られる旅行記を中心に収録しており、編者ラムージオによる優れた序文とテキスト編纂は、あらゆるマルコ・ポーロ研究の原点になったものとして非常に高く評価されており、日本関係欧文図書としても極めて重要な文献です。

 本書のタイトルは、「航海と旅行(Navigationi et Viaggi)」という極めてシンプルなものですが、そこには著者ラムージオ(Giovanni Battista Ramusio, 1485-1557)の卓越した編纂意図が込められています。本書とその著者ラムージオについては、高田秀樹氏による非常に優れた解説があり、本書の性格を理解する上で大いに役立ちます(「マルコ・ポーロ・生涯と伝記(上)中の「01. ラムージォ」「02. 航海と旅行」を参照。いずれも「同人誌『百万遍』第4号、2020年所収、web掲載。以下の記述の大半はこれらの解説による。)。ラムージオは、パドヴァ大学で古典教養を深めつつ、当時、当地で隆盛しつつあったルネサンスの知的雰囲気の中で多くの人文主義者らとの交流を持ち、ヴェネツィアの臨時書記として公職のキャリアを始め、通訳、書記官として大いに活躍しました。その一方で、類い稀な語学と古典学の才を活かして、古代からの旅行記や、大航海時代の進展によって齎されつつあった当時最新の航海記や地図、地理に関する資料を収集、編纂し、1550年に本書第1巻を刊行しました。1556年には第2巻が、そして没後の1599年には第3巻が刊行され、全3巻からなる壮大な航海、旅行記集成として、ヨーロッパ各地の読者に親しまれ、ハクルート(Richard Hakluyt, 1552? - 1616)による『イギリス国民の主要な航海と旅行と発見』(The principal navigations, voyages, traffiques and discoveries of the English nation. 1589 / 1599-1601(rev ed.)をはじめとした後年の著作にも多大な影響を及ぼしました。

 本書刊行以前にも、大航海時代の目覚ましい展開に感化されて、航海記や旅行記を集めた著作は刊行されていましたが、その資料的価値はともかくとして、編纂方針としては「寄せ集め」と言わざるを得ないもので、明確な編纂方針、地理と歴史に対する確固とした認識に基づく世界観を背景に編纂されたものではありませんでした。本書は、大航海時代の進展によって齎された同時代の最新情報と、古代以降の長い歴史の中で積み重ねられてきた旅行記、航海記とを組み合わせるという、それまでの類似著作にはない編纂方針をとっており、プトレマイオスらによる古代・中世的世界観と、大航海時代がもたらした「新世界」とを、歴史・地理の双方において結合させ、「世界全体」の包括的な記述を試みている点に大きな特徴があります。

「(前略)つまり単なる旅行記の寄せ集めではなく、世界一周によって今や決定的に閉じられ、全体的な展望が可能となった“世界の記述”としての旅行記集という認識である。
 そうした理念も含めて事実、『航海記旅行記集成』はあらゆる点で本格的かつ画期的なものとなった。何よりもまずその収録作品の多さと広範さであり、版によって異なるが全3巻で70編余1000葉近くに及ぶ。時代的には、当然ながら当時の新発見ものに限らず、マルコやハイトンはもちろん、ネアルコスやアッリァノスなどギリシァ・ラテンのそれまで未完だったものをも採録しており、しかも底本とするテキストの選択に当たっては諸写本・諸版本を対校するなど文献学的検討を加え、それをラテン語ではなく俗語イタリア語に訳し、また可能な限り全文を収録した。空間的にも、地球のほぼ全域を万遍なくカヴァーしており、しかも注目されるのはその分類と構成である。
 後に一覧するが、第1巻はレオ・アフリカヌスを巻頭にアルヴァレス、ピガフェッタら主としてアフリカと沿岸部アジアにあてられ、その中にはプレスター・ジョンの国・インド洋・モルッカ諸島・日本や、マジェランやガマの航海なども含まれる。第2巻は、内陸部アジアとヨーロッパ北部・ロシアで、マルコ・ポーロがその巻頭に置かれ、ハイトンがそれに続き、ゼーノやオドリーコが含まれる。第3巻は全て新大陸で、オヴィエドとコルテスを中心とする。実現しなかった第4巻は、新大陸南部と、ラムージォも南極近くにその存在を信じた未知の大陸にあてられるはずだった。」(高田前掲「02. 航海と旅行」2,3頁より)

 このように、それまでの寄せ集めに過ぎなかった旅行記、航海記を、時間・空間を包括的に総合した新しい世界観に基づいて、明確な編纂方針の元において編まれている点が、本書の大きな特徴であり、後年に多大な影響を及ぼし、今なお名著として高く評価されている所以です。これに加えて、本書は、世界地理を物理的に分割してアジア、アフリカ、アメリカというように、単純に記述するのではなく、航海と旅行というタイトルが示すとおり、航海や旅行を行った人間の動きに焦点を当てて、人間の行為を中心にして動体的に世界を把握するという、ルネサンス的な視点を明確に取り込んで編纂されている点にも極めて大きな特徴があります。

「(前略)『航海記旅行記集成』は空間別であり、しかも大陸別ではなくいかにも当時のヴェネツィア人らしく海洋別、あるいは発見と征服のルート別、すなわち第1巻はインド洋を取り巻く空間と東廻りルート、第2巻はユーラシア内陸部と地表ルート、第3巻は新大地と西廻りルートとなっている。かくて、同じ日本でもマルコのジパングは第2巻に、発見されたばかりのジアパンは第1巻におかれることとなった。
 ラムージォのコスモグラフィーは、ルネサンス人として新大陸など当時の航海によって次々と明るみに出される新たな発見・現実を取り込む一方、古典の学徒として古くヘロドトスやプトレマイオスに始めるアジア・アフリカ・ヨーロッパというユーラシア大陸の三分割に従い、その知識は利用するというものだった。また、中世教父地理学的地球像はもちろん捨てされるが(ヨーロッパ・キリスト教共同体すら南北に二分されている)、アレクサンデルの鉄門や太陽の樹、それに未知の大陸の存在は信じた。注目されるのはそれよりも、上の配分基準に見られるごとく、地球を物理的空間として静態的に固定するのではなく、その題名に示すとおり航海や旅行、交易や征服などの人間の営みを基準として機能的に分類しようとしている点である。それは、世界が陸と海と島の集まりとしてではなく、人間の主体的行為によって相互に結ばれた一つの総体として捉えられ始めたことを意味する。つまり、ラムージォはこの集成を編むことによって、生まれて7年後のコロンブスのアメリカ大陸到達、1522年のマジェランの世界一周、1549年ザビエル日本到達と、ちょうど自分の生きた時代にその全貌を現しつつあった地球の、いわば最初の地理的世界史を描いたことになるわけである。(後略)」
(高田前掲「02. 航海と旅行」3,4頁より)

 本書は、これらの卓越した、それ以前の類書には見られない、優れた編纂方針に基づいて編まれていることに加えて、ラムージオ自身がそれぞれの旅行記・航海記に自身の解説やコメントを記していることにも大きな意義があります。後述する日本関係記事にも見られるように、ラムージオはそれぞれの記事の冒頭に、当該記事の概要を簡単に述べ、記事の末尾には自身のコメントや注釈を付していて、ラムージオ自身の見解が随所に披瀝されています。

「(前略)この分類・構成法に劣らぬもう一つの大きな特色をなし、同時にその書を今なお価値あらしめているのは、単に数多くの旅行記を収集・出版したばかりではなく、その個々の作品の大部分にそれぞれ長短様々な序文や解説を付したことであった。しかもそれは、ただ地名や位置の特定、遺跡や珍奇な事物の列挙ではなく、それぞれの国や地域の自然・産物・風俗習慣・伝達手段・歴史・通商関係など様々な側面におよび、諸国・諸地域を自然的・地理的空間としてのみならず、そこに住まう人間の歴史的・文化的空間としても把握せんとするものだった。当時の旅行記ものの出版の多くが、通商に役立たすという実用的目的か、それとも珍奇な事物や習俗の紹介というエキゾチスムを売り物にしたのに対して、ラムージォはそうした流行におもねることなく、本格的な地理的・歴史的出版たることを目指し、国家人のみならず知識人。研究者たちの要請にもよく応えるものとなった。その中には今なお貴重な資料として残っているものもあり、その代表的にして最も優れた例が、マルコ・ポーロの旅行記に前置された3つの『序文』であった。
 かくして、この集成は大いに歓迎され大成功を収めた。新しい時代の新しい世界の新しい知識を新たな形で新しい読者に提供するものだったからである。数年後には早速仏訳が現われ、その後もハクルートやパーチャス、ド・ブリらのコレクションのモデルとして使われただけではなく、多くの作品が史料や文献として、あるいはそのまま翻訳されてその中に収録されることとなった。ヨーロッパにあっては19世紀まで世界のいくつかの部分については基本的文献の一つとして用いられ、今なお唯一の記録としてそれ以前の写本・刊本の発見されていないものも数多い。」
(高田前掲「02. 航海と旅行」5,6頁より)

 本書は、このように今なお高く評価されている記念碑的名著の第2巻にあたるもので、ラムージオ没後の1559年に全3巻のうち最後になって刊行されました。本書に収録されている記事についても高田氏による前掲解説で紹介されていて、次のような11本の記事が収録されていることがわかります

1. ヴェネツィアの貴人マルコ・ポーロの旅行記
2. アイトン・アルメーノのタルタル人の歴史
3. ジォヴァン・マリーア・アンジォレッロによるウッスン・カッサーノ氏の生涯と事績
4. 一商人のペルシャ旅行記
5. タナおよびペルシャへのイォサファ・バルバロの旅行記
6. ヴェネツィア大使アンブロージォ・コンタリーニの旅行記
7. モスクワに関するアルベルト・カンペンセの書簡
8. モスクワに関するパオロ・イォーヴィオの書簡
9. アッリァーノの大海(黒海)周航記
10. ジォルジォ・インテリァーノのチァルカッシと呼ばれるジキ人の生活
11. ヒポクラテスの空気・水・土地論によるスキタイ人

(高田前掲「02. 航海と旅行」8,9頁より。)

 上記のうち日本関係欧文図書として本書を見る際、なんといっても重要となるのは本書中心をなす「マルコ・ポーロの旅行記」であると言えます。いうまでもなくヨーロッパにおける日本情報最大の古典的文献として知られるこの作品は「ジパング」の名を知らしめた作品としてあまりにも有名ですが、ラムージオは本書にこの作品を収録するに際して、入手しうる限りの写本や刊本を用いて比較校訂を綿密に行いました。またラムージオがこの作品のために執筆した序文は、後年のマルコ・ポーロ研究者にも多大な影響を与えたことが知られています。その意味では、ここに収められた「マルコ・ポーロの旅行記」は、後年のあらゆるマルコ・ポーロ研究の原点となった極めて重要な作品であると言えます。

「(前略)そこに述べられている個々の事実や話の細部が今ではほとんど誤りあるいは根拠のない想像であることが確認されているが、それでもラムージォのこの「序文」が、”古今最大の旅行家”と称されるマルコ・ポーロの旅や生涯を生き生きとドラマチックに語る”物語”として、その伝記や一般的紹介の中で必ずといっていいほど利用されるばかりか、まず第一に、200年以上経っているとは言え比較的近い生の声を伝えると同時に、ある程度古記録にのっとた最初のそしてほとんど唯一の本格的な伝記として、次に、ユーラシア大陸の歴史や大航海時代の地理的知見の拡大の成果をふまえた最初の近代的・実証的な註釈・解説としていずれも古典的権威と価値を今なお保っていることに変わりはない。しかも、大著『航海記旅行記集成』に収められたそのテキストは、単にそれ以前の一写本を履刻したものではなく、後に「序文」に見るごとく、数種の手稿本を批判的に対校した集綴本の最初の試みであるのみならず、他系統のテキストに見られぬユニークで貴重な箇所を数多く含み、内容的にはオリジナルに最も近いものの一つとみなされ、のちのテキストクリティークと祖本復元の試みに大きく貢献するというふうに、あらゆる点でマルコ・ポーロ研究の出発点となっている。」

(高田前掲「01. ラムージォ『マルコ・ポーロの書序文」」4頁より。)

 このように、ラムージオの卓越した見識によって編纂された普及の金字塔である『航海と旅行記』は、旅行記・航海記集成のあるべき一つの理想形を提示した書物として、後続の書物の出版を促し、大きな影響を与えたことに加え、極めて質の高いマルコ・ポーロの旅行記のテキストとラムージオ自身の序文をヨーロッパの読者に提供したという、日本関係欧文資料として非常に大きな意義を有している作品です。しかしながら、日本における研究は決して充実したものとは言えず、高田氏による前掲の解説を除くと非常に乏しい状況となってしまっています。いかに当時繰り返し再版されたベストセラーとは言え、現在では稀覯書として高額になってしまっているためか、国内の研究機関における所蔵状況が芳しくないこともその一因ではないかと思われますが、最初期の日本情報をヨーロッパにもたらした日本関係欧文資料として、またその枠組みに留まらない旅行記・航海記図書の原型として、改めて光が当てられるべき一冊ではないかと思われます。


「16世紀イタリアの地理文献において最も名高い人物は、ヴェネチアの名門出身で十分な教育を受け、若い頃から地理研究に熱中していたジァン・バティスタ・ラムージォ(1485-1557)である。彼はヴェネチアの自分の邸に地理学の学校を開設し、早くも1523年、重要な航海記や旅行譚は残らず蒐集するという野心的な計画を思い付いたと言われている。この目的のため、彼はほとんど30年以上にわたって努力を重ねた。労を惜しまず資料を索めてイタリア、スペインそしてポルトガルを渉猟し、必要とあれば、それらを当時の生き生きとしたイタリア方言に翻訳していったのである。1550年、彼の『航海・旅行記集成』Delle Navigazioni e Viaggi の第1巻がヴェネチアで発行されたが、これはその大半をアフリカと南アジアに割いている。(中略)《イタリアのハクルート》という異名を得たラムージォは編輯者として傑出した人物であり、その材料の料理に卓越した腕の冴えを見せ、独自の価値を持った『集成』を生み出したのである。」
(ボイス・ペンローズ / 荒尾克己訳『大航海時代:旅と発見の二世紀』筑摩書房、1985年、379頁より)