書籍目録

『世界中の最も著名な王国と国々の記録』

ボテロ / ジョンソン(訳)

『世界中の最も著名な王国と国々の記録』

英語訳(最終改訂増補)版 1630年 ロンドン刊

Botero, Giovanni / I(Johnson)., R(obert). (tr.).

RELATIONS OF THE MOST FAMOVS KINGDOMES AND Common-wealths throwout the WORLD:…With Addition of new Estates and Countries. Wherein many of the oversights both of the Author and Translator, are amended…

London, (Printed by) John Haviland / (Sold by) John Partridge, 1630. <AB2021157>

Sold

Enlarged, revised edition in English.

4to (13.0 cm x 17.8 cm), Title., 3 leaves, LACKING A MAP, pp.1-107, 118[i.e.108], 109-314, 215[i.e.315], 316-482, 384[i.e.483], 484-496, 197[i.e.497], 498-644, 2 leaves(Table), Contemporary or slightly later full leather.
冒頭の世界地図が欠落しているもののテキストは完備。全体として良好な状態。小口は三方ともマーブル染が施されている。[ESTC:006178251]

Information

初めて原著者ボテロの名が明かされ、訳者によって増補改訂がなされた(最後の?)英訳版

 本書は、世界各国地域の歴史と地理を論じたボテロ(Giovanni Botero, 1544 - 1617)著『世界誌』(Delle relationi universali. 1591-1618?)英語訳版で、1630年にロンドンで刊行されています。ボテロの『世界誌』は、最新の世界情報を集約した当時のベストセラー本で、著者の生前に夥しい数の異刷が、著者没後も様々な改訂版が、そして他言語への数多くの翻訳版が、というように多種多様な形で長期間にわたって刊行され続けたため、同時代のみならず後年にも多大な影響を与えました。同書は日本についての記述も少なからず含んでおり、これらの記述は幅広い層の読者に提供された汎用性の高い日本情報として非常に重要な欧文日本関係記事と言えるものです。また、ボテロの『世界誌』は、単なる地理歴史情報を詰め込んだだけの著作ではなく、彼の政治哲学書の主著である『国家理性論』(Della Ragion di Stato. 1589)や『都市盛衰原因論』(Delle cause della grandezza e magnificenza delle città. 1588)で展開された政治哲学体系と密接に関係して著されていることに大きな特徴があります。

 著者のボテロは、16世紀の後半から17世紀はじめにかけてイタリアで活躍した著作家、聖職者、外交官です。元々イエズス会士でもあったボテロは文才の誉れが高かった一方、その浮き沈みの激しい性格により周囲との衝突が絶えず、ついにイエズス会を放逐されたという過去をもっていますが、ローマ教皇庁周辺の高位聖職者らからの庇護を受けるようになってからは、説教者、外交官として大いに活躍するようになって名声を高め、1585年から1595年にかけてのローマ滞在期は、本書をはじめ『国家理性論』『都市盛衰原因論』などの名著を数多く著しました。両書は後述するように、国家のあるべき姿とその方策について論じた書物として後世に多大な影響を与えたことで知られる書物ですが、本書は、単なる地理学書ではなく、両書で展開されたボテロ独自の政治哲学体系に裏付けられ、また密接に関係する書物として著されている点に大きな特徴があります。

*ボテロ『国家理性論』『都市盛衰原因論』とその特徴、ボテロの伝記については、下記邦訳本の訳者である石黒盛久氏の優れた解説が非常に参考になり、この解題の多くも同書解説によっています。
・ボテロ著 / 石黒盛久訳『国家理性論』風行社、2015年
・ボテロ著 / 石黒盛久訳『都市盛衰原因論』(イタリアルネサンス文学・哲学コレクション①)水声社、2019年

ボテロは『国家理性論』第1巻と第2巻において、国家における政治的安定の基盤が「人民が君主に対して抱く『愛情と名声(評判)』」という二つの美徳」にあり、この二つのうちより重要とされる君主の名声は「〈思慮〉(prudenza)と〈意志〉(potere)の統合を通じて獲得される」(石黒訳前掲『国家理性論』解説324頁)と主張しました。ボテロはマキャヴェルリのように、力に表象される〈意志〉を〈思慮〉に対して優先するのではなく、むしろ〈思慮〉を重視し、様々な政治的状況を複眼的な視点で比較考察することの重要性を説いて「〈意志〉と統合された真の〈思慮〉を追求」(同上)すべきとしています。そして、この〈思慮〉の探求においてボテロが重要視したのが「世界の歴史的並びに地理的事象に対する知識」でした。したがって、本書で扱われている世界各国地域の歴史と政治は、単なる教養や興味本意の知識としてではなく、『国家理性論』において、君主の極めて重要な徳として論じられた〈思慮〉の涵養に際して必要不可欠なものとして位置付けられていることになります。
 
 また、本書は後述する日本関係記事においても見られるように、国制の記述と合わせて各国地域の宗教事情が頻繁に論じられています。しかしながら、ボテロの宗教についての記述は、イエズス会をはじめとした聖職者の著作におけるものとはやや趣が異なっていて、あくまで国制、統治行為との関係性、妥当性という観点から論じられている点に特色があります。「法の導入を通じ神に背く人間性を是正し、人間精神に埋め込まれた本来の道徳意識を再活性化することこそが、統治行為の本質」(同上)と考えるボテロは、君主が〈思慮〉を駆使して追求する「〈目的〉(fine)」とは「社会秩序の構築」に他ならず、その礎としての「〈宗教〉(religione)」を『国家理性論』では重視しています。本書に散見される宗教論もこうした視点において記されているものと考えられるでしょう。

 このように、本書はボテロの主著とされる『国家理性論』や『都市盛衰原因論』で展開された彼の政治哲学体系と密接に関係する著作として認められている点に、大きな意義と特徴があると言えるでしょう。

 ボテロの『世界誌』は、最終的に全5巻構成とされていますが、各巻が随時刊行されていったことに加えて、異なる出版社が(時に独自の編集を加え)様々な異刷を刊行している上、ボテロ没後も多くの版が刊行され続けたこともあって、一体どの版を決定版とみなすべきなのかが非常に難しくなっています。刊行当時から夥しい数の異刷本が存在するということは、それだけ当時の読者から大きな反響と需要があったことを意味しており、またボテロ自身が幾度も改訂、増補を重ねるだけの熱意を持って『世界誌』を構築していったことを示唆しています。イタリア語原著に様々なヴァージョンが存在することを反映して、各国語訳(本書である英語訳以外には、ラテン語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、ポーランド語などがある)に翻訳された翻訳版も、本によってその構成がかなり異なっていて、同言語の翻訳でさえ相当異なる内容となっているものも少なくありません。従って、一口に同じ言語の翻訳版といってもそれぞれの本を比較して考察する必要があります。

 英語訳版である本書のタイトルページには、その翻訳者として、R. I.とイニシャルだけが記されていますが、これはジョンソン(Robert Johnson, fl.(活動時期) 1586 - 1626)のことであることがわかっています。ジョンソンは本書に先駆けて1601年に英訳初版本を刊行している他、ヴァージニアについての著作が見られることから、イギリスに関係の深い海外事情に対して強い関心があったものと思われます。本書の序文によりますと本書以前に2つの英訳版が刊行されたとあり(ただし店主の知る限り5つの英訳本が存在していおり、ジョンソンがいずれの版を初版、第2版と見做しているのかについては不明)、そのいずれにおいても原著者であるボテロの名が伏せられていたようで、本書において原著者の偉大な功績を大いに賞賛するともに、彼の名をタイトルページに明記したことが記されています。ジョンソンはボテロの作品とその狙いについて実によく理解していたようで、上記に述べたような地理学と歴史学、そしてそれらを統治者が学ぶことがいかに重要かについて、序文において実に明確に述べています。序文に続いて、旧版から新たに追加されたり、増補がなされた国々についての情報が一覧で掲載されていますが、これらの増補はおそらく訳者であるジョンソンによって追加されたものと考えるべきでしょう。その意味では、この英訳版は、原著を尊重しつつもジョンソンによる増補改訂がなされている興味深い版と言えます。タイトルページにも明記されているように、本書には本来1枚の世界図が収録されているはずですが、残念ながら欠落しており僅かに破り取られた痕跡のみを確認することができます。ただし、それ以降の本文は全て揃っています。なお、英訳版は1630年に刊行された本書が最終改訂増補版であるようです。

 英訳版である本書は、その構成もおそらくジョンソンによって変えられているように見受けられ、全7部構成となっています。第1部(1-61頁)は、概論となっていて地理学全般や古代以降のヨーロッパ人の地理的認識の変遷や拡大など、本書を読み解く上での基本的な事項が解説されています。本書において最も多くの紙幅が費やされている第2部(62-422頁)はヨーロッパ諸国について論じ、第3部(422-460頁)はアフリカ諸国を、第4部(461-574頁)はアジア諸国を論じていますが、ここでいうアジア諸国とはペルシャやトルコ、ロシアなど、日本や中国を含む当時東インドと呼ばれていた地域の国々はここには含まれていません。東インド諸国については、第5部(574-625)で論じられていて、ここでは日本や中国についての記述を見ることができます。第6部(625-636頁)は「アメリカ、あるいは西インド」と題されていて、北米やニュー・スペインと呼ばれたメキシコなどが論じられています。最後の第7部(637-644頁)は、「マゼランのアメリカ、あるいはペルー」と題されていて、チリやブラジルが扱われている他、オーストラリア大陸と呼ばれていた、当時ヨーロッパ人にとって未知であった南方大陸についての記述も僅かながら見られます。それぞれの部には冒頭に簡単な概説が設けられていて、対象とする地域全体の特徴などが簡潔に解説されています。本書には目次がありませんが、巻末に索引が設けられていて、国名から当該記事を見出せるように工夫されています。

 本書における日本(Iapan)についての記述は、東インド諸国国を扱った第5部の最後(621頁~)に見ることができます。ボテロの日本についての記述は概ね、マッフェイをはじめとしたイエズス会士の著作によっているものと思われますが、後半に記述されている日本の国制(統治形態)についての考察は、明らかにボテロ独自のもので、『都市盛衰原因論』『国家理性論』の著者であるボテロの鋭い分析が展開されています。

 ボテロは、日本の地理的解説から始めて、日本が主要な3島からなる66の国に分割された国であること、大陸からは切り離された島々で構成されているため、東方の他の人々とは著しく異なる風習と文化を有していることなどを順次解説しています。また、66の国々は、3つの島々に分かれており、最初の島(九州のことを指すと思われる)に9国が、次の島(四国のことを指すと思われる)に4国が、最後の島(本州のことを指すと思われる)に33国があると述べています。これらの諸国の中で5つの国(五畿内(Coquinai)のことを指すと思われる)が特に重要で、中でも最も有名なのは京都(Macao、他の箇所ではMeacoとも綴られている)であるとしています。日本の人々の気質については、知的で勇敢であるが、名誉を極めて重んじ、辱めを受けた際は復讐に尋常ならざる執着を見せるとしていて、子供は生まれてすぐに冷たい川の水で洗われる、米から作られるワイン(日本酒)や、特殊な粉末を水に混ぜて作る茶(Chia)を好んで飲むことなど、日本の風習や食文化も紹介していて、この辺りの記述は概ねマッフェイらの記述を参照しているのではないかと思われます。続いて、日本の住居や地震が多発する地域であることに触れてから、日本の歴史へと話題が転換し、かつてこの国全体を統治していた内裏(Dairi)は600年ごろまで強大な権力を有していたが、700年以降に臣下の反乱が生じ、彼らが国を二分して統治するようになってしまい、今や何の領地も権力も有しておらず、長らくこの国は戦闘に明け暮れる状態にあると解説しています。その中で京を中心とした五畿内を手中に収めた天下(Tenzæ)として、まず信長(Nabunanga)が、ついで羽柴(秀吉、Fassiba)が立つようになったと述べています。

 こうした日本の概説に続いて後半では、日本の統治形態(Regimen)の解説と、それに対するボテロの分析が展開されています。ボテロによると、日本の統治形態は実に独特のもので、ヨーロッパのそれとは大きく異なっていて、君主の強大さの源泉が(ヨーロッパで)通常見られるような歳入の豊かさと臣民からの愛情にあるのではなく、統治の過酷さと君主自身の享楽のうちにあると言われています。ボテロは、このような独特の統治形態が日本で見られるのは、先に触れたように、国中で戦闘が止むことがなく、領地を治める諸侯が敵の攻撃や部下の裏切りによっていつでも転覆されうるという、極めて安定性に乏しい混乱した政治状況が原因であると主張しています。このような状況にあるが故に、諸侯が本来なすべき自身の領地や人民に対する持続的な関心を持つことがなく、また人民も、自身の領地の主が一体誰で、どのような正当性によってそれが保障されているのかが全く分からないため、諸侯や君主に対して全く愛情を抱かないと解説しています。そしてこのような混乱した政治状況にあって、天下として日本を治めるようになった羽柴は、諸侯や人民を様々な方策によって過酷な統治方法によって疲弊困憊させ、恐怖でもって政治を行なっているとしています。これに加えて、羽柴はさらなる名声を求めて中国にも強い関心を持ち同地を征服するための船団を派遣し、このために、諸侯や人民がさらに疲弊することになったと解説しています。

 また、秀吉の名誉心の強さと自身の不死性を求める貪欲さに関連して、日本の宗教についての解説も挿入されていて、阿弥陀(Anida)や釈迦(xaca)、神(Canis)、仏(Fotoque)らを、ヘラクレスやバッカスなどの古代ギリシャ(とローマ)の異教の神々と比較しながら論じています。ボテロは、かつてローマの皇帝たちは自身の異教信仰を維持するためだけにキリスト教を迫害したが、羽柴は自身が神となることを望むという途方もない野心と狂気に駆られてキリスト教を迫害しており、これは高邁と無知のなせるひとつの驚くべき実例を示していると論じています。

 ボテロによる日本の国制に対する評価は肯定的とは言い難いものがありますが、逆にこうした混乱した政治状況をつぶさに観察することによって、君主の国家統治において一体何が重要であるのか、何が欠落してはいけないのかといった、政治的教訓を見出すための実例として重視されているようにも見受けられます。ボテロ自身は日本に対して独自の情報を有していたわけではありませんが、元イエズス会士にして、天正遣欧使節も謁見した教皇シクストゥス5世の傍にあったボテロならではの、日本についての豊富な情報源と独自の視点を駆使した記事を本書に見ることができるでしょう。また、こうしたボテロのユニークな記述を、独自の視点を有する訳者であるジョンソンがどのように英訳し、またこの英訳本が当時の英語圏の読者の日本観の形成にどのように寄与したのかを考えることは非常に興味深い研究テーマであると言えます。