書籍目録

『日本大王国志』「シャム王国志」「ゼーランディア城陥落記」「メルクラインの東洋遍歴記」ほか収録

カロン著 / スハウテン著 / メルクライン(訳注・著) / アーノルド(編)

『日本大王国志』「シャム王国志」「ゼーランディア城陥落記」「メルクラインの東洋遍歴記」ほか収録

(ドイツ語訳)初版 1663年 ニュルンベルク刊

Caron, François / Schouten Joost / Mercklein, Johann Jacob / Arnold, C(hristoph). (ed.).

Wahrhaftige Beschreibungen zweyer mächtigen Königreiche JAPPAN und SIAM….Alles aus dem Niederländischen úbersetzt und mit Kupferblätern geiert, Denen noch beygefúget Johann Jacob Merckleins Ost=Indianische Reise…

Nürnberg, Michael und Joh. Friederich Endters, 1663. <AB202172>

Sold

First edition in German

Small 8vo (15.7 cm x 9.3 cm), Title., Front., 10 leaves, 1 folded map, pp.1-78, folded plate, pp.79-104, plate, pp.105-132, folded plate, pp.133-154, plate, pp.155-176, plate, pp.177-268, folded plate, pp.269-520, 11 leaves(Register), 1 leaf(blank) bound with another work, Contemporary vellum.
[NCID: BA21622884 / BB2294867X / BB25050906]

Information

カロン『日本大王国志』に加えて、「ゼーランディア城陥落」をいち早く報じた記事や「メルクライン東洋遍歴記」などドイツ語訳版独自の作品を収録

 本書は、17世紀日本研究最大の古典とされる『日本大王国志』のドイツ語訳を中心として、原著オランダ語版にはない貴重な記事を多数収録した作品で、著作全体として17世紀半ばにおけるオランダの東インドや東洋研究の最新成果を集成した濃密な内容となっている作品です。編者アーノルド(Christoph Arnold)による優れた編纂がなされた本書は、日本をはじめとした東インド滞在経験を持つメルクラインによる『日本大王国志』のドイツ語訳やメルクライン独自の注釈、さらにメルクライン自身の「東洋遍歴記」など、本書でしか見ることができない貴重な記事が多数収録されていることが大きな特徴です。さらに、オランダが支配していた台湾の拠点であるゼーランディア城が、国姓爺(Coxcenia)こと、鄭成功によって1662年に陥落させられた事件を、ヨーロッパの読者に驚くべき速さで、しかも図版入りで報じた興味深い記事を収録するなど、ドイツ語で当時刊行された東洋研究の基盤となるような本書独自の価値を有する作品となっています。


1. カロン『日本大王国志』の内容と日本関係欧文図書としての重要性

 本書の中心となる作品である『日本大王国志』は、1619年から1641年までの長きに渡って日本に滞在し、オランダによる初期の対日貿易の基礎を築いたカロン(François Caron, 1600 - 1673)が、日本の政治・経済・社会について、オランダ東インド会社のバタヴィア総督の諮問に答える形で報告した著作です。同書は、著者カロンや書誌情報についての詳細な解説を付した邦訳(幸田成友訳『日本大王国志』現在は平凡社、1967年)が刊行されているほか、フレデリック・クレインス氏による詳細な紹介(『17世紀のオランダ人が見た日本』臨川書店、2010年、第4章参照)など、日本研究において広く知られている文献です。

 「カロンの報告は地理・文化・社会など多様な分野を網羅し、同時代の人々に大きな影響を与えたという意味において最も重要である。カロンは東インド会社の船の調理助手としてアジアに赴き、1619年に平戸に渡航した。平戸ではオランダ商館に配属され、そこに長く留まった。滞在中、日本人女性と結婚し、日本語も堪能になった。そのため、次第に通訳を担当するようになり、ついに商務員へと昇進した。カロンは1627年にヌイツの江戸参府に同行した後に、ヌイツと共に長年滞在した日本を出国し、台湾に渡ったが、そこでタイオワン事件に巻き込まれて、人質として再び日本に送還された。しかし、日本では自由の身にされて、事件解決までのすべての交渉に参加している。その際、カロンは日本側の理解者として幕府から厚い信頼を受けていた。その後も、カロンは毎年のように商館長やその代理の江戸参府に同行し、日本各地を観察する機会を数多く得た。また、ヌイツの釈放の交渉のために1633年および1636年に数ヶ月もの間江戸に滞在している。このように日本事情に精通したカロンは、1638年に平戸商館長に昇進し、出島移転までの難しい時期に日本における東インド会社の指揮を取っていた。商館長が1年以上日本に滞在してはならないという幕府の命令が下されたことを受けて、カロンは仕方なく日本を去ることになった。
 商館長に就任する前の1636年にカロンは、バタフィアに着任したばかりのフィリップ・ルーカースゾーン副総督からの一通の書簡を受け取った。ルカースゾーンはアジア貿易の全体像を把握するために各商館にその地域についての地理・統治・軍事・法律・宗教・儀礼・生活・貿易・産業についての質問票を送った。各商館はこれらの質問に対する報告書を提出した。これらの報告書のうち、カロンの日本報告及びヨースト・スハウテンのシャム報告が『東インド会社の起源と発展』に掲載されている。(中略)
 カロンの報告は、ヨーロッパで出版された日本関係図書の中でしばしば引用されていることから推察すると、ケンペルの『日本誌』が出るまで、70年もの間プロテスタント世界で日本についての基本書となっていたことがわかる。」

「カロンの報告は日本を内側から観察して記述していると言える。長期間にわたる平戸での滞在、幕府との交渉、数多くの江戸参府、そして何よりも日本人の妻やその親戚との親交を通じて、カロンは日本の社会や文化に精通しており、ルーカスゾーンの質問に回答するのに最も相応しい人物であった。勿論、報告書は、その性質上、政治・経済的視野の上に立って作成されているが、それでも当時の日本人の生活や文化について驚くほど詳細な記述を数多く含んでいる。」

「結果的に、カロンの報告書は、貿易政策に役立てるためのデータ集というよりも、内から見た日本文化の本格的な分析を提供するものになって、その文化的要素は長い間ヨーロッパの知識人を魅了した。」
(クレインス前掲書、107~110、147頁より)

「同書は、館長代理時代、バタヴィア商務総監のフィリップ・ルカースゾーンによる、以下の31の質問に回答する形で執筆されています。1.日本国の大きさ、日本は島国か、2.如何に多くの州を含むか、3.日本における最上支配者の特質と権力、4.将軍の住居・地位・行列、5.兵士の数と武器、6.幕閣およびその権力、7. 大名とその勢力、8.大名の収入とその源泉、9.処刑の方法、10.何が重罪に相当するか、11.住民の信じる宗教、12.寺院、13.僧侶、14.宗派、15.キリシタンの迫害、16. 家屋・建具、17.来客の接待、18.結婚生活、19.子供の教育、20.遺言が無い場合の相続、21.日本人は信用できるか、22.貿易および貿易従事者、23.内地商業および外国航海、24.商業の利益、25.外国との交際、26.日本の物産、27.貨幣および度量衡、28.鳥獣類、29.鉱泉、30.将軍への謁見、31.言語・写字・計算方法・子孫に歴史を公開するか。」
(国際日本文化研究センターHPデータベース『日本関係欧文史料の世界』図書『日本大王国志』英訳版解説(フレデリック・クレインス執筆)より)


2. メルクラインによるドイツ語訳独自の内容とその意義について

 このように、17世紀における日本研究の最重要文献として知られる『日本大王国志』ですが、本書であるドイツ語訳版は原著オランダ語版にはない独自の興味深い記事を多数収録している点に大きな特徴と意義があります。ドイツ語への翻訳を行ったのは、長年オランダ東インド会社の医師として勤務し、カロンとも親しかったメルクライン(Johann Jacob Merklein, 1620 - 1700)で、彼自身も日本への渡航と滞在経験があったことから、『日本大王国志』の訳者としては最適の人物であったと言えます。『日本大王国志』は、カロンの認可を経ないまま1645年に公刊されて以降、さまざまな版が継続して刊行されましたが、本書は諸版の中でもカロン自身の校閲と改訂が施された決定版(1661年版)を底本としています(『日本大王国志』諸版の変遷については解説末尾参照)。

 メルクラインは単に本文のドイツ語訳を行うだけでなく、自身による注釈も新たに執筆(141頁〜)しており、この記事は原著オランダ語版にはない、メルクライン自身の日本滞在経験に基づいた独自の日本関係記事となっていることから注目に値する記事です。また、『日本大王国志』決定版(1661年版)では、それ以前の版には収録されていたハーゲナール(Hendrik Hagenaar)による注釈が削除されていますが、メルクラインはこの注釈をあえて翻訳してこのドイツ語訳版に欠かせない記事として収録(151頁〜)しています。ハーゲナールはカロンよりも日本滞在歴が浅かったにもかかわらず、オランダ東インド会社内の序列ではカロンの上司にあたる役職にあり、カロンとの関係が良好でなかったとされていています。この不和のため、カロンは『日本大王国志』決定版のための校閲の際に、ハーゲナルの注釈を「とんでもない誤りに満ちた」ものとして削除してしまいましたが、ハーゲナールの注釈は、カロン『日本大王国志』の註釈として優れた内容で、カロンにはない独自の視点からの考察も加えられていることから、メルクラインはあえてドイツ語訳版のために訳出して収録したものと考えられます。


3. ドイツ語訳版収録日本図と図版の特徴

 また、『日本大王国志』決定版(1661年)は、折込の日本図をはじめとして、それ以外にも3枚の図版を初めて収録した版として知られていますが、このドイツ語訳版では、原著収録の日本地図に地名の追加等を施して地図情報の質を高めた改訂版日本図を新たに収録しています。この日本図は、同時代の西洋における日本図に類例を持たない独特のもので、その不正確さを批判されてもいますが、そもそもこの地図は正確に日本の輪郭を表現するためのものではなく、当時から問題となっていた蝦夷、ならびに本州がユーラシア大陸と切り離された島であるか否かを簡略的に示すためのものだったと言われています(この点については、ルッツ・ワルター編『西洋人の描いた日本地図』社団法人O・A・G・ドイツ東洋文化研究会、1993年、92頁参照)。このドイツ語訳版では、このユニークな日本図をサイズを縮小しつつ輪郭を忠実に再現し、その上で新たに多くの地名を追記している点に特徴があります。

「カロンが知り得た報告によると”津軽(Sungaer)とエゾのあいだの水域は、通り抜けできるような海峡でなく、西側が閉じている湾と考えられていた。しかし、本州とエゾのあいだには山岳と荒地が広がり、陸路での通行は不可能と思われた。したがって、交通手段は船で津軽湾を越えるほかない。その距離は英国マイルで120マイルと言われていた。日本人もまた、エゾ地の探検を何度も試みたがうまくゆかず、最果てまで行き着いていなかったと言われていた。同様の問題は『日本誌(The History of Japan…)』の中でケンペルとショイヒツァーも議論している。」

「地名はドイツ語に翻訳され、次の地名が加えられている。本州にNagata(長門)、Osakij(大坂)、Meaco(京)、Iedo(江戸)、Hizumi (淀川?;引用者追記)、四国に Samaki(讃岐)、Hijo(伊予)、Tonsa(土佐)、Ava(阿波)、九州に Cocora(小倉)、Umbra(島原?;引用者追記), Nagesaky(長崎)、Bungo(豊後)、Fiugo(日向)、Arima(有馬)。致命を増やしただけでなく、地理学的な必要性より装飾的効果をねらって陸上全般に山脈を描き加えることで、原版では海図のように見えたものを地図らしく変貌させた」
(ジェイソン ・C・ハバード / 日暮雅通訳『世界の中の日本地図』柏書房、2018年、238, 239頁, 239頁(地図番号033番)より)

 地図以外の図版については、原著収録の3枚の図版を忠実に再現しつつ本書のために新たに版を起こして図版を作成して収録し、さらに原著では1枚の図版にまとめられていたキリシタンの拷問と処刑の場面を描いた3つの場面をそれぞれを独立させた図版として新た製作して収録しています。これらの図版の解説は冒頭にまとめて収録されており、図版中に記されたアルファベットに従って、図版の意味と内容を読者が理解できるように配慮されています。これらの図版は、イエズス会士トリゴー(Nicolas Trigaout, 1577 - 1628)による『日本におけるキリスト教の勝利(De christianis apud Iaponios Triumphis…München, 1623)』などの書物に収録されている図版も参照したのではないかと思われます。


4. 原著収録の4つの附論とドイツ語訳版独自の日蘭貿易についての注記

 本書は上記のようにドイツ語訳版独自の記事、図版を追加しつつも、原著「カロン校閲版」に付録として収録されている下記の記事も全て訳出した上で収録しています。

ハイスベルツ(Reyer Gysbertsz)
「日本においてローマ・カソリック京都であるがゆえに恐るべき耐えがたい苦難を加えられ、殺された殉教者たちの歴史」(173頁〜)

クラメール(Koenraet Krammer)
「1626年10月20日、内裏が日本皇帝陛下を訪れた際に京の町で挙行された極めて豪華の祝典についての記述」(217頁〜)

「日本貿易に関してインド総督から東インド会社本社理事会に送付した報告書抄録」(238頁〜)

カンプス(Leonart Camps)
「日本におけるオランダ東インド会社が中国貿易を獲得した際に受けるであろう利益と有用性、その効果についての概説」(242頁〜)

 上記のうち最後のカンプスの記事には、メルクラインによる独自の註釈が追記されており、この記事もまたドイツ語訳版独自の日本関係記事として注目すべきものです。この註釈では日本において1640年以降ポルトガルが追放され、西洋諸国中オランダのみが日本との交易を許されることになったものの、平戸(Firando)の商館から長崎(Nangasacque)の小島である「出島(Kisma)」へと移らされ、日本の皇帝に敬意を示すための訪問を強いられるなど、各種の制限が設けられるようになったことを解説しています。


5. 驚くべき速さで報じられた国姓爺(Coxcenia)による「ゼーランディア城陥落」事件

 さらに、このドイツ語版において初めて掲載された注目すべき重要な記事が本書には収録されています。それは「1662年7月5日に中国の人々の支配下に帰した美しきフォルマサ、台湾島での出来事の速報」と題した記事(263頁〜)で、1624年にオランダが支配していた台湾の拠点であるゼーランディア城が、国姓爺(Coxcenia)こと、鄭成功によって陥落させられた事件をいち早くヨーロッパに伝えたものです。本書が刊行されたのはゼーランディア城陥落の翌年である1663年のことですから、これは極めて早い時期に同事件を報じた記事ということができるでしょう。しかも、この記事には、ゼーランディア城が鄭成功によって包囲されて攻め込まれる場面を、台湾の小地図とともに描いた折込図版が収録されていて、同時代の視覚資料としても大変興味深いものです。

6. スハウテンによる「シャム王国志」

 また、本書後半には、スハウテン(Joost Schouten)「シャム王国における政治、権勢、宗教、風俗、商業その他の特記すべき事項に関する記事」(271頁〜)が収録されていて、これはオランダ語原著にも収録されているシャム王国に関する情勢を報告した記事です。カロンが日本におけるオランダ東インド会社の商館長であったように、シャムにおけるオランダ東インド会社の商館長であったスハウテンが、国内情勢や貿易の見通しなどを報告したもので、同時代のシャム研究においても大変重要とされている作品です。


7. 本書において初めて公刊されたメルクライン「東洋遍歴記」

 これらに続いて本書の最後には、メルクライン自身の旅行記である「東洋遍歴記」が収録されています。この「東洋遍歴記」も本書ドイツ語訳版でしか読むことのできない貴重な記事として注目に値します。この記事は、メルクラインによる1644年から1653年にかけて行った東洋各地への旅行に際して記していた日記を元にしたものとされていて、実際に各地を訪ねて実見を重ねた著者による旅行記、航海記として非常に高い価値を有すると考えられるものです。先の「ゼーランディア陥落記」と同じく本書において初めて公刊された記事で、このドイツ語訳版だけの独自記事として大変重要なものです。中でも日本滞在中にメルクラインが観察した日蘭貿易やオランダ商館の様子を記した箇所(417頁〜420頁、452頁〜458頁)などは、これまであまり知られていない日本関係記事として興味深い記述と言えるでしょう。また興味深いことに「東洋遍歴記」冒頭には、編者アーノルド(Chrisitian Arnold)による本書を称える詩が掲載されていて、その中ではカロンについても言及されています。


8. 本書の意義

 本書はこのように、カロンの普及の名作である『日本大王国志』を、最も信頼できる「カロン校閲版」に基づいて翻訳した上で、新たに注釈を付し、図版を新たに追加したり、地図に改善を加えるなど独自の意義を有する改訂を施したという点で重要な版と言えることに加え、原著オランダ語版にはない「ゼーランディア城陥落事件」をいち早くヨーロッパの読者に図版とともに報じた貴重な記事や、メルクラインによる東洋遍歴記を収録している点で、同時代のオランダ人による東洋研究を代表しうる、極めて重要で魅力的な作品となっていると言えるでしょう。なお、本書のタイトルページは、実質的に『日本大王国志』のラテン語訳とも目されることもあるヴァレニウス (Bernhardus Varenius or Bernhard Varen, 1622 - 1650)の『日本伝聞記』(Descriptio regni Iaponiæ...Amsterdam, 1649)のタイトルページをほぼそのまま転用したものですが、これには、本書が当時の日本研究書としてベストセラーであったヴァレニウスの著作をより発展的に充実させた作品であることを、当時の読者にアピールする狙いがあったのかもしれません。本書は近年の古書市場で流通することが滅多になく、しかもこのユニークな口絵や折込日本図や図版などを完備している点に鑑みても、本書は大変貴重な書物ということができるでしょう。


*『日本大王国志』各版の変遷について

 前述の通り「日本大王国志』は、その書誌情報の複雑さでも知られており、原著であるオランダ語だけでも数多くの版が存在するだけでなく、ヨーロッパ各国語に翻訳されており、しかもそれぞれの内容に相違があることから、いずれの版を用いるかが極めて重要な書物であると言えます。これらの書誌情報については、前掲書のいずれにおいても紹介されていて、それらの記述と、両書で参照されているティーレ(Pieter Anton Tiele, 1834 - 1889)による『オランダによる航海記に関する書誌的覚書(Mémoire bibliographique sur les journaux des navigateurs nérlandais. 1867)』(257-262頁)、またティーレに依りつつより詳細に書誌情報を整理したボクサー(Boxer, Charles Ralp, 1904 - 2000)による『日本大王国志』の注釈つき英訳版((A true description of the mighty kingdoms of Japan & Siam. 1935)の補遺(169-180頁)を頼りにオランダ語原著の書誌情報を整理すると下記のようになります。

1645 / 1646年
A)『強大な日本王国の記録(Beschrijvingen van het machtig Coninckrijck Iapan,…)』
→コメリン(Isaac Commelin, 1598 - 1676)による『東インド会社の起源と発展(Begin ende Voortgangh van de Verenigde Nederlantsche Geoctroyeerde Oost-Indische Compagnie. 1645 / 1646』に収録されたもの。カロン自身は出版に関与せず、校閲も許可もしていないが、広く読まれた。

1648年〜1652年
B) 『強大な日本王国の記録』
→A)を独立させて単著として初めて出版したもので、内容は概ねA)と同一だが、一部(大名の氏名と石高を記した目録の大部分)省略された箇所があり「極めて不完全」(前掲幸田訳書、76頁)とされる。カロン自身の校閲、許可も得ていないが、A) と同じく広く読まれ、すぐに再版された。タイトルページは亀の背に両翼を携えた砂時計と骸骨が載せられた図。この版には、①1648年の初版、②49年の再版、③52年のタイトルページの図を帆船2隻に変更した再版、の合計3種類の異刷が存在する。

1661年〜1662年
C) 『強大な日本王国についての「正しい」記録(Rechte Beschryvinge Van het Machitigh Koninghrijck van Iappan,…)』
→A)B)諸本がカロンの許可なしに出版されたものであるのに対して、カロン自身による増補訂正と許可を経たもので、「カロン校閲版」などとも呼ばれる最も重要な版。図版3枚と日本地図を新たに加えた(ただし日本地図についてはカロン自身は掲載の意図がなかったされる)ほか、新たに「第30問」を追記。A)B)に付されていたハーゲナールによる注釈をすべて削除したほか、一部記事をカロンの判断で削除。タイトルページは文中に関連する「切腹の図」。この「カロン校閲版」には、①1661年の初版、②1662年の再版、③刊行年表記のない再版、の3種の異刷が存在する。前掲幸田訳書が底本とした版はこの版で、同版を基に翻訳版を含む諸本を参照しながらチャールズ・ボクサーが英訳した現代版も大いに参照している。

刊行当時のものと思われる装丁。
タイトルページ。原著オランダ語版にない作品が追加されていることも記されている。
特徴的なタイトルページは、実質的に『日本大王国志』のラテン語訳とも目されることもあるヴァレニウス (Bernhardus Varenius or Bernhard Varen, 1622 - 1650)の『日本伝聞記』(Descriptio regni Iaponiæ...Amsterdam, 1649)のタイトルページをほぼそのまま転用したもの。
編者アーノルドによる序文冒頭箇所。カロン『日本大王国志』の訳者がメルクラインであることが記されているほか、本書の内容と構成が一覧できる。
本書に収録されている図版の解説がまとめて掲載されている。図版中に記されているアルファベットを頼りに、図版細部の意味と内容を理解できるようになっている。
出版社から読者への序論冒頭箇所。
カロン『日本大王国志』冒頭箇所。31問の質問に答える形で日本についての様々な情報を簡潔に報告する構成となっている。
日本が島であるのか否かについて答える第1問冒頭箇所。
原著オランダ語版の地図を縮小して踏襲しつつ、原版にはなかった地名の追加や、地形の描き込みなど地図としての地図を高めている。
原著に収録されている図版はいずれも忠実に再現している。上掲は切腹を解説したもの。
原著オランダ語版では3つの場面が一枚の図版にまとめられていたキリシタンの拷問と処刑の図をそれぞれ独立させて3枚の図版として収録している。上掲は穴吊の図。
江戸城における将軍との謁見の場面を描いた図。
メルクラインは単に本文のドイツ語訳を行うだけでなく、自身による注釈も新たに執筆(141頁〜)しており、この記事は原著オランダ語版にはない、メルクライン自身の日本滞在経験に基づいた独自の日本関係記事となっている。
原著オランダ語決定版(1661年版)では、カロンによって「とんでもない誤りに満ちた」ものとして削除されてしまったハーゲナール(Hendrik Hagenaar)による注釈だが、ドイツ語訳版では重要な記事としてあえて収録している。
磔刑の図はここに収録されている。
本論の付記として収録されている、ハイスベルツ(Reyer Gysbertsz) 「日本においてローマ・カソリック京都であるがゆえに恐るべき耐えがたい苦難を加えられ、殺された殉教者たちの歴史」(173頁〜)
上掲本文冒頭箇所。
ここでは火刑の図が収録されている。
クラメール(Koenraet Krammer) 「1626年10月20日、内裏が日本皇帝陛下を訪れた際に京(Meaco)の町で挙行された極めて豪華の祝典についての記述」(217頁〜)
上掲に続いてさらに3つの付論が収録されている。うち冒頭2論は原著オランダ語版にも収録されているが、メルクラインが原著にはない独自の註釈を加えている。3つ目の「ゼーランディア城陥落記」は、原著になく本書において初めて公刊された注目すべき記事。
「日本貿易に関してインド総督から東インド会社本社理事会に送付した報告書抄録」(238頁〜)
カンプス(Leonart Camps) 「日本におけるオランダ東インド会社が中国貿易を獲得した際に受けるであろう利益と有用性、その効果についての概説」(242頁〜)
カンプスの記事には、メルクラインによる独自の註釈が追記されており、この記事もまたドイツ語訳版独自の日本関係記事として注目すべき内容。この註釈では日本において1640年以降ポルトガルが追放され、西洋諸国中オランダのみが日本との交易を許されることになったものの、平戸(Firando)の商館から長崎(Nangasacque)の小島である「出島(Kisma)」へと移らされ、日本の皇帝に敬意を示すための訪問を強いられるなど、各種の制限が設けられるようになったことを解説している。
「1662年7月5日に中国の人々の支配下に帰した美しきフォルマサ、台湾島での出来事の速報」と題した記事(263頁〜)
1624年にオランダが支配していた台湾の拠点であるゼーランディア城が、国姓爺(Coxcenia)こと、鄭成功によって陥落させられた事件をいち早くヨーロッパに伝えた記事として注目に値する。
鄭成功の軍によって包囲されて攻め落とされるぜーランディア城を描いた貴重な折込図版も収録されている。そもそもゼーランディア城を描いた図版自体が非常に少ないことからも興味深い図。
スハウテン(Joost Schouten)「シャム王国における政治、権勢、宗教、風俗、商業その他の特記すべき事項に関する記事」(271頁〜)
カロンが日本におけるオランダ東インド会社の商館長であったように、シャムにおけるオランダ東インド会社の商館長であったスハウテンが、国内情勢や貿易の見通しなどを報告したもの。
本書の最後には、メルクライン自身の旅行記である「東洋遍歴記」が収録されている。
冒頭には編者(Chrisitian Arnold)による詩が収録されている。
詩の中ではカロンにも言及されていて興味深い。
「東洋遍歴記」は、メルクラインによる1644年から1653年にかけて行った東洋各地への旅行に際して記していた日記を元にした作品で、実際に各地を訪ねて実見を重ねた著者による旅行記、航海記として非常に高い価値を有する。中でも日本滞在中にメルクラインが観察した日蘭貿易やオランダ商館の様子を記した箇所(417頁〜420頁、452頁〜458頁)などは、これまであまり知られていない日本関係記事として興味深い。
巻末には索引が設けられている。
索引最終部裏面には、製本時の注意点が記されている。
なお、本書末尾には全く異なる著作が合冊されている。