書籍目録

『日本少女の米国日記』

朝顔嬢(野口米次郎) / 片岡源次郎(イラスト)

『日本少女の米国日記』

初版 1902年 ニューヨーク刊

Miss Morning Glory (Noguchi, Yonejiro) / Yeto, Genjiro (illustrations).

The American Diary of a Japanese Girl.

New York, Frederick A. Stokes Company, 1902. <AB202171>

Sold

First edition.

Front., Title., 2 leaves, pp.[1-3], 4-261, 1 leaf, Plate: [7], Original pictorial half cloth.
背表紙等に傷み、裏表紙に染みが見られるが、概ね良好な状態。[NCID: BA06937267 / NDLID: 000006489444]

Information

野口米次郎が自身のアメリカ体験も交えてペンネーム「朝顔嬢」で執筆した作品の貴重な初版本

 本書は、野口米次郎がアメリカ滞在中の1902年にニューヨークで「朝顔嬢」(Miss Morning Glory)のペンネームで刊行した小説の初版本です。

 野口米次郎は日本とアメリカの両国で多方面にわたって活躍し多くの作品を残したことが知られていますが、晩年の戦争協力に対する非難もあって一時は忘れられていましたが、近年ではその再評価や研究が活発になされるようになってきています。本書は、1893年に渡米した野口が自身の経験なども踏まえた上で執筆した作品で、「英米文学を愛好する活発な18歳の日本少女「朝顔」を主人公に、日記形式で「朝顔」が鉱業会社勤務の叔父に連れられて渡米し、サンフランシスコ、シカゴを経てニューヨークに行き着くまでの日々が描かれています」(曽木颯太朗「今月の一冊 国立国会図書館の蔵書から The American diary of a Japanese girl 海を渡って描いたものは?」『国立国会図書館月報』第706号、2020年2月より)。アメリカの文化や消費生活といった日常の場面についての生き生きとした考察が軽妙な筆致で綴られており、日米文化論としても読むことができる作品となっていることが本書の大きな魅力です。

 また、本書のもう一つの大きな魅力である表紙や口絵、本文に挿入された挿絵を手掛けたのは、Genjiro Yetoこと片岡源次郎というアメリカで活動していた画家で、日本文化に精通しつつ、アメリカの読者の好みも理解した片岡による美しい挿絵は、テキストを取り囲む飾り意匠と相まって本書の魅力を高めています。

 本書は、アメリカだけでなく日本でも話題になったようで、本書刊行の2年後の1904年には日本でも英文のまま日本版が刊行され、またその翌年1905年には野口自らが日本語に訳して『邦文日本少女の米国日記』と題して刊行しています。英語版については、国内で刊行された1904年版は比較的多くの所蔵や古書市場での流通が見られますが、本書であるニューヨークで刊行された初版本は、これらに比べて希少となっており、大変貴重な書物と言えるでしょう。


「野口は国内外で広く活躍した詩人であり多くの著作を残していますが、青年期には10年以上米英に滞在し、 Yone Noguchi (「ヨネ・ノグチ」)の名で創作に励んでいました。日本から単身アメリカ・サンフランシスコに向かったのは明治26(1893) 年のことです。現地では生活のため使用人や邦字紙の手伝いを務めつつ詩作を続けていました。明治30(1897) 年に発表された詩集Seen and Unseen(『明界と幽界 』)で注目を集めた野口は、明治34(1901) 年に月刊誌Frank Leslie’s Popular Monthly に本作の一部を連載し、翌年その全編を刊行しました。もっとも、非母語での執筆は生易しいものではなく、残された書簡などから2人のアメリカ人女性が協力していたと考えられています。
 本作では英米文学を愛好する活発な18歳の日本人少女「朝顔」を主人公に、日記形式で「朝顔」が鉱業会社勤務の叔父に連れられて渡米し、サンフランシスコ、シカゴを経てニューヨークに行き着くまでの日々が描かれています。」
 
「そんな「朝顔」を生き生きと描き出す表紙絵と挿絵は、画家の片岡源次郎(1867-1924)によるものです。野口同様渡米して、Genjiro Yeto(「ゲンジロウ・エトウ」)の名で活動していた片岡はジャポニスム的な主題の挿絵を多く手掛けており、本書でも和洋それぞれの装いの「朝顔」を活写し、作品に彩りを添えています。
 「朝顔」には野口自身と重なるものがあり、体験談や見解にも野口の経験が映し出されていることが指摘されています。その反面、野口の送った苦しいアメリカ生活と、本書に描かれた「朝顔」の恵まれた境遇は似ても似つかぬものでした。期待しつつも最初は叶わなかったアメリカでの満ち足りた生活を、少女という自分とは異なる存在を通して、空想の世界で実現させようとしたのかもしれません。
 必 ず し も 高 い 世 評 を 得 ら れ た わ け ではない本作ですが、野口は後に続編 The American Letters of a Japanese parlor maid を 執 筆 し て い ま す。 ま た 明 治37(1904) 年には日本でも原文のまま本作を出版し、明治38(1905) 年には自ら『邦文日本少女の米国日記 』として翻訳しています。」
(曽木颯太朗「今月の一冊 国立国会図書館の蔵書から The American diary of a Japanese girl 海を渡って描いたものは?」『国立国会図書館月報』第706号、2020年2月より)。