書籍目録

『健康的な飲み物についての論集』

スカッキ / (慶長遣欧使節)

『健康的な飲み物についての論集』

1622年 ローマ刊

Scacchi, Francisco Fortunato.

FRANCISCI SCACCHI FABRIANENSIS DE SALVBRI POTV DISSERTATIO.

Roma, Alexandru(m) Zannettum, M.DCXXII(1622). <AB202157>

Sold

8vo (15.0 cm x 20.4 cm), 1 leaf(blank), (illustrated)Title.,4 leaves, pp.1-84, 87, 88, 85, 86, 91, 92, 89, 90(binding error), 93-235, 6 leaves(index), Later(c. 19th?) card board.
本体と製本が剥離しており、一部の折丁の綴じが外れかけていて修復が必要だが、本体の状態は良好で修復は容易と思われる状態。

Information

慶長遣欧使節とローマで面会した著者が、絵入りで紹介した日本の「熱燗の道具」やお茶

 本書は、どのような飲み物が人の健康にとって良い飲み物であるのか全22章にわたって論じたユニークな著作で、大変興味深いことに、慶長遣欧使節として1615年にローマを訪れた支倉常長の一行と著者は実際に面識を得た上で、彼らがローマにまで持ち込んでいた茶や酒といった日本の飲み物とその飲み方について詳しく論じています。使節が携行していた「熱燗」を作る道具に至っては、その詳細なメカニズムが解説されるだけでなく、それを描いた図版まで収録しており、本書の読解を通じて、慶長遣欧使節がヨーロッパに与えた影響の意外な側面を知ることができます。

 本書の著者であるスカッキ(Francisco Fortunato Scacchi, 1573 - 1640)は、ローマを中心として古代史や神学を教授していた学者、著作家で、本書は、スカッキの古代史の知識も活かして執筆された代表作の一つのようです。『健康的な飲料についての論集』という一見奇異に見えるタイトルを持つ本書ですが、こうしたテーマが論じられる背景には、大航海時代以降にヨーロッパに次々ともたらされるようになった、日本や中国を含む「インド」や、アメリカ大陸周辺の「新世界」の飲食物の存在があったのではないかと思われます。特に、茶、コーヒー、チョコレートの3つは、それまでヨーロッパ人が知らなかった三大嗜好食品として、当地の食文化に大きな影響力を持ったことが知られています。それと同時に、こうした新しい嗜好食品の是非をめぐる議論や、そこから派生して、従来のヨーロッパの食生活や習慣を再考するような議論が引き起こされるようになっていきました。こうした議論においては、これらの嗜好品の効能や、現地での嗜まれ方が紹介され、そこにはしばしば日本や中国の喫茶習慣についての解説が含まれています。また、こうした東西食文化の比較考証と合わせて、古今の食文化の比較も行われるようになり、こうした論考には、古代の食習慣についての議論も、頻繁に登場しています。

 本書は、こうした大航海時代以降にヨーロッパにもたらされた「新しい嗜好品」が当地に与えた大きな影響と議論の興隆を背景に執筆されたものではないかと思われますが、主に飲料に焦点を当てている点が非常にユニークで、しかもそれが「熱い」のがよいのか、それとも「冷たい」のが良いのかを主題に論じるという、大変興味深い作品となっています。本書は、慶長遣欧使節がローマ教皇を訪ねた際の枢機卿の一人であったバンディーニ(Ottavio Bandini, 1558 - 1629)に捧げられており、著者はこの枢機卿との関係を通じて、支倉ら日本の使節一行と面会する機会を得たのではないかと思われます。著者は、序文においてどのような飲み物が人の健康に寄与するものであるのか、あるいは害となるのかについては、これまでしっかりとした議論がなされて来ず、多くの誤った習慣が続けられている現状に警鐘を鳴らしています。その上で、古今東西の飲料に関する習慣についての考察を駆使しながら、彼の主張を論証していく手筈で本書の記述を進めています。簡単に本書の目次を列挙してみますと次のようになります。

1. 冷たい飲み物と熱い飲み物、あるいはぬるい飲み物のいずれが健康にとって良いのか
2. 古代の人々が飲んでいたのは冷たい飲み物か、それとも熱い飲み物か
3. 冷たい飲み物と、熱い飲み物、膨張した飲み物(炭酸水か?)、いずれの飲み物がより一般的と言える飲み物なのか
4. 健康的な飲み物は冷たい飲み物である
5. どうすれば夏場に飲み物を冷たくすることができるか
6. どのような方法で飲み物を冷たくすることが健康にとって良いのか
7. 冷たい飲み物がもたらす外から身を守るためにはどうすれば良いのか、またどのような場合には冷たい飲み物を避けるべきか
8. 水とワインとでは、いずれの飲み物の方が冷やすことによる害悪が少ないのか
9. 極端に冷たい飲み物や熱い飲み物は人の健康にとって良いのか、また夏場に冷たい飲み物を摂取することを間違いであると主張する人々がいること(に対する反論)
10. 夏場に冷たい飲み物を摂取することが暑さを和らげることに寄与するかどうか
11. 水とワインは健康的な飲み物ではない
12. 水の良い点と悪い点
13. 品質の劣る水を浄化することについて
14. ワインの起源と多様なワインの種類について
15. 年齢、気質、習慣、運動量、季節、身体的特徴に応じたワインの用い方
16. ワインの効能と害悪
17. ワインは栄養的な飲み物かどうか
18. 健康な人々の喉の渇き方と、そうでない人の喉の渇き方
19. 昼食と夕食の度にどのくらいワインを飲んでも良いのか
20. 酩酊することに対しては避けねばならぬこと
21. 一般にピカンと呼ばれる刺激の強いワインが健康にとって有益かどうか
22. ワインや水は食後に摂取すべきでないこと

 このような構成を取る本書において、支倉常長ら慶長遣欧使節がローマにもたらした日本の茶と酒についての記事は、第2章と第6章において見ることができます。第2章の記事については、『仙台市史特別編8:慶長遣欧使節』(仙台市史編纂委員会編、2010年)に第264号史料327-328頁)として翻訳がなされており、図版を含む解説(251頁)が高橋あけみ氏によってなされています。

「今日、国民全体で健康を維持するために一年を通して暖かいものや冷たいものを飲んでいる人々がいる。すなわち、それは中国人と日本人である。このことはキリスト生誕から1615年、および教皇パウルス5世の在位11年目に、そのパウルス5世のもとに日本の奥州 Voxu の王から派遣された使節から私が聞いたことである。これらの国民には2種類の飲み物がある。その一つは米から作られるもので、赤い色をしており、テーブル・ワインのように用いられる。中国人にはチュウ Chiu(酎)、日本人にはサケ Sacche(酒)と呼ばれている。他の一つは食卓を離れてたびたび飲まれており、チャ Chia(茶)と呼ばれる一つの植物の葉から作られる。」
(同書327頁)

 また、同書では訳出されていませんが、本書第6章では、使節一行がローマまで携行していた「熱燗」を作るための道具の構造について非常に詳細に解説しており、寒さが厳しい地(仙台のことを指す)において、どのように暖かい飲み物を作る工夫がなされているのかについて論じています。同時代の茶について論じたヨーロッパの著作では、日本の茶について言及した作品も少なくありませんが、スカッキのように実際に日本の人々が茶を飲み、熱燗を用いる様子を目の当たりにして、彼らから話を聞いた上で、日本の茶や酒を紹介した作品は、おそらく本書の他にはないのではないかと思われますので、これらの記述は大変貴重なものと言えます。本書に収録されている日本の熱燗の道具を描いた図の上下には、これを具に観察した著者が自作したと思われる、熱燗の道具と、反対に「冷や」を作るための道具の図が並んで掲載されており、これらの器具がそれ以降のヨーロッパでどれほど用いられるようになったのか、あるいは類似の道具が既に存在していたのかについてなども、東西文化交渉研究の興味深いテーマと言えるでしょう。

 上記の目次を見てもわかるように、スカッキ自身は、どちらかというと茶のような熱い飲み物よりも、冷たい飲み物の効能を強調する立場に立っているように見受けられますが、そうでありながらも、支倉ら日本の使節一行の茶や熱燗といった熱い飲み物について詳細に論じていることからも、彼が日本の茶や酒、熱燗を作る道具によほどの興味を持ったことがよくわかります。また、こうした態度は、良い飲み物とは何か、という問題を文化の垣根を越えて考察しようとする学者としての真摯な態度の表れとも言えます。もちろんスカッキは、冷たい飲み物の効能を強調する立場を撤回したわけではなく、支倉ら日本の使節一行について「たとえ彼らのローマ滞在期間が夏ではなく秋から冬にかけてであったとしても、ほとんどいつも雪で冷やされた飲み物を飲んでいた」(前掲書327頁)として、日本の人々は、熱い飲み物だけでなく、冷たい飲み物も大いに好み、またそれによって「いつも健康であり、全員が怪我や病気に無縁で元気であり、さらにそれまで以上に太って力強くなった」と自説を補強することも忘れていません。その上で、体が弱い人や病人などにとっては、冬季に温かい飲み物を摂取することが必要であるとして、そのために日本の熱燗の道具に大いに注目したようです。

 熱い飲み物と、冷たい飲み物のいずれが良いのかという問題の結論はともあれ、本書のこうした記事や図版は、慶長遣欧使節がヨーロッパにもたらした意外な形での東西文化交渉を物語る貴重な記録として、大変興味深いものと言えるでしょう。なお、本書はヨーロッパでスパークリングワインを初めて本格的に紹介した書物としても知られているようです。

19世紀頃のものと思われる厚紙装丁。
本体と表紙が外れてしまっているため修復が必要だが、比較的容易に可能と思われる。
タイトルページ。
慶長遣欧使節がローマ教皇を訪ねた際の枢機卿の一人であったバンディーニ(Ottavio Bandini, 1558 - 1629)に捧げられた献辞文冒頭箇所。
目次① 本書は全22章で構成されていて、そのうち第2章と第6章で日本についての記事が掲載されている。
目次②
序文冒頭箇所。どのような飲み物が人の健康に寄与するものであるのか、あるいは害となるのかについては、これまでしっかりとした議論がなされて来ず、多くの誤った習慣が続けられている現状に警鐘を鳴らしている。
本文冒頭箇所。
第2章では、著者が支倉常長ら使節一行に会って聞いた話と自身が目にした日本の人々の喫茶の様子が紹介されている。
第6章では、日本の使節一行がローマにまで持ち込んでいた熱燗の道具について、その仕組みなどを非常に詳細に解説している。
真ん中に見えるのが日本の熱燗の道具。上下に掲載されているのは、これを具に観察した著者が自作したと思われる熱燗の道具と、冷やをつくための道具。
上掲図の解説。
巻末には索引が掲載されている。