書籍目録

『教皇と一般(世俗)、カソリックの歴史:第6部』(1623年から1644年にかけて世界で生じた特筆すべき出来事について)

バニョス・デ・ヴェラスコ

『教皇と一般(世俗)、カソリックの歴史:第6部』(1623年から1644年にかけて世界で生じた特筆すべき出来事について)

1678年 マドリッド刊

Baños de Velasco, Juan.

SEXTA PARTE DE LA HISTORIA PONTIFICAL, GENERAL, Y CATHOLICA,…

Madrid, Francisco Sanz, 1678. <AB202153>

Sold

Folio (19.1 cm x 30.1 cm), Title., 8 leaves(dedication & Tabla), pp.1-13, 18[i.e.14], 19[i.e.15], 16-120, 123[i.e.121], 122-132, 141[i.e.133], 134-252, 261[i.e.253], 254-255, 258[i.e.256], 257-327, 324[i.e.328], 329-361, 368[i.e.362], 363-365, 368[i.e.366], 367-376, 371[i.e.377], 378-412, 431[i.e.413], 414-428, pp.[1], 2-14, 17[i.e.15], 12[i.e.16], 17-71, 27[i.e.72], 53[i.e.73], 74-96, 101[i.e.97], 98-104, 103[i.e.105], 102[i.e.106], 107-241, 244[i.e.242], 243-384, 22 leaves(Tabla)., Contemporary vellum
本体の随所に強いヤケが見られるが判読に支障はない範囲。

Information

「世界史」の文脈の中で論じられた日本の殉教に関する夥しい数の記事を収録

 本書は、カソリック教会と歴代教皇を中心として、スペインとその植民地を中心とした世界各地で生じた出来事を編年体で綴った書物で、1623年から164年にかけての出来事を対象としています。100年以上かけて全6巻構成で刊行された歴史書の最終第6部に当たるもので、1678年にマドリッドで刊行されています。本書が大変興味深いのは、キリシタンの弾圧と迫害が苛烈さの極限に達していた日本の状況について論じた夥しい数の記事が収録されていることで、しかもこれらの記述は、いわゆる日本の殉教だけに焦点を当てた作品とは異なり、ヨーロッパを中心とした世界各地での出来事と並行して論じられている点です。

 本書がその第6部である『教皇とカトリックの歴史』(Historia Pontifical y Católica)は、スペインの歴史家で聖職者であったイレスカス(Illescas, Gozalo de, 1518? - 1583?)によって始められ、第1部が1565年に、第2部が1573年に刊行されたと言われています。この『教皇とカトリックの歴史』は、スペイン語で書かれていて、教会史や教皇を主題にした著作は通常ラテン語で執筆されることが常識であった当時にあって、非常に画期的な作品(おそらく同種の著作の中ではスペイン語初とされる)となりました。ラテン語文化圏以外の読者をも対象に据えた同書は、スペインを代表する歴史書として高い評価を受けることになります。このイレスカスの著作を継続する形で、同じくスペインの聖職者で神学者であったバヴィア(Luis de Bavia, 1555 - 1628)は、1572年から1591年を対象とした「第3部」を1609年(初版は1608年か)新たに刊行しました。バヴィアは神学者でありながら、歴史関係の著作を他にも刊行しており、翻訳書も含めて複数の著作を刊行した著述家として活躍したことが知られています。本書の著者であるグアダラハラ・イ・ザビエル(Marcos Guadalajara y Xavier, 1560 - 1631)は、第3部に続く第4部(1591年〜1605年を対象)をバヴィアとともに編纂し1613年に刊行しています。さらに、アダハラ・イ・ザビエルはそれまで「教皇とカトリックの歴史(Historia Pontifical y Catolica)」とあったのを、単に「教皇史(Historia Pontifical)」として、従来タイトルに含まれていた対象年代の表記を採用せず、代わりにスペイン王フェリペ4世に本書が捧げられることがタイトルページに大きく記された第5部(1605年〜1623年)を1630年に刊行しています。

 本書はこうして長年にわたって綴られてきた歴史書の最終第6部として刊行されたもので、1623年から1644年までの20年余りを対象としています。第6部の著者であるバニョス・デ・ヴェラスコは、セネカの注釈書や歴史書、神学書など多岐にわたる分野の書物をのこした当時著名な著述家で、本書は彼の代表作の一つとみなされています。本書が扱う年代に在位していた教皇はウルバヌス8世で、30年戦争の激動に揺れるヨーロッパにあって複雑に入り組んだ利害関係の中で積極的なアクターとして多方面にわたって精力的に活動した教皇として知られています。一方、日本においては江戸幕府によるキリシタン弾圧が苛烈を極めていき、やがて廃絶に至る時期に当たります。こうした時代を扱う本書は、1632年までを扱う前半部(1-428頁)と、1633年以降を扱う後半部(1-384頁)とに分けられていて、両部を合わせると800頁を超える非常に大部の著作となっています。本文に至る前に、ウルバヌス8世在位下における世界各国の君主の一覧表が掲載されていて、ここに日本の君主として、「将軍様(Xongunsama、徳川秀忠を指す)」と「東照宮(Toxongun、徳川家光を指す)」が明記されていることは大変興味深い点です。

 本書には随所において日本の状況を伝える記事が掲載されていますが、そのほとんどが迫害や隼鷹に関するものです。店主が気付きうる範囲で本書に収録されている日本関係記事を列挙してみますと、次のようになります。

* 「日本の迫害と殉教者、並びにいくつかの他の出来事について」:前半第1部(1623年)第13章(47頁〜)
* 「エチオピア帝国の改修とフィリピンにおける伝道、並びに日本の殉教者について」:前半第2部(1624年)第15章(97頁〜)
* 「中華帝国、カタイ、ペルシャ、そして日本位おける出来事」:前半第3部(1625年)第11章(159頁〜)
* 「トンキン王国の発見とエチオピアへの入り口、並びに日本の殉教者について」:前半第4部(1626年)第10章(202頁〜)
* 「日本における殉教並びにヨーロッパ宣教師に生じた他の出来事について」:前半第5部(1627年)第7章(240頁〜)
* 「トルコにおける迫害、並びに日本における殉教についてほか」:前半第6部(1628年)第9章(287頁〜)
* 「キリスト教信者に対する日本、並びにコーチシナにおける迫害について」:前半第7部(1629年)第9章(321頁〜)
* 「引き続き日本におけるキリスト教信者の迫害について、並びに聖性に殉じた様々な人々の殉教について:前半第8部(1630年)第10章(368頁〜)
* 「モスコヴィ、トルコ、ペルシャにおける出来事、並びにポーランド王と日本の皇帝の死について」:前半第9部(1631年)第7章(399頁〜)
* 「日本における殉教書の迫害、ならびにいくつかの賞賛すべき人々の死について」:前半第10部(1632年)第6章(426頁〜)
* 「日本における迫害、並びに徳に満ちた人々の死について」:後半第1部(1633年)第7章(24頁〜)
* 「引き続き日本における殉教ほか」:後半第2部(1634年)第10章(63頁〜)
* 「日本における状況ほか」:後半第3部(1635年)第7章(90頁〜)
* 「ペルシャにおける戦争ほか、ならびに日本の状況と殉教について」:後半第4部(1636年)第4章(110頁〜)
* 「フィリピンにおける出来事とミンダナオ島の征服、並びに日本の殉教について」:後半第5部(1637年)第5章(125頁〜)
* 「トルコのヴェネツィアに対する様々な出来事ほか、ならびに日本での出来事について」:後半第6部(1638年)第11章(168頁〜)
* :「日本からのポルトガル人の廃絶と信仰のゆえに殉教したキリスト教信者についてほか」後半第7部(1639年)第7章(198頁〜)
* 「日本における殉教、ならびに中国における反乱についてほか」:後半第8部(1640年)第10章(237頁〜)
* 「中国における皇帝死後の出来事について、並びに日本の殉教について」:後半第11部(1643年)第9章(377頁〜)

 このように、ほぼ全ての部(年)において、夥しい数の日本関係記事が本書には収録されていますが、そのほぼ全てが殉教と迫害に関する記述で、さながら殉教史の感があるほどです。ただし、本書におけるこれらの記述は、30年戦争をはじめとしたヨーロッパの様々な政治、宗教状況や、日本以外の宣教が行われた地域と並行する形で論じられており、まさに「世界史」の文脈において日本の殉教が扱われていることは、本書の非常にユニークな点であると言えるでしょう。これらの記事は、上述したようにダブル・コラムでびっしりと記されていて、実際のテキストの分量としてはかなりのものとなっています。著者がこれらの記事を執筆するに際してどのような資料を参照したかについては触れていませんが、かなり詳しく年代を追って日本の出来事を解説していることから、各種のイエズス会士やフランシスコ会士による報告等を参照しながら、独自に情報をまとめ上げて執筆したのではないかと思われます。こうした日本関係記事は、当時日本で生じた出来事をスペイン語読者、しかも特に日本に関心を有していない読者も含むより幅広い読者層にに向けて提供した貴重な記事ということができるでしょう。

 本書は、100年以上にわたって継続して刊行された作品の一部で、しかも表題には日本に関する記述が全くないことから、これまで日本関係欧文図書としてはほとんど知られてきませんでしが、上記のように大変豊富で貴重な日本関係記事を収録していることから、注目すべき著作ということができるでしょう。

刊行当時のものと思われる装丁で比較的良好な状態。
タイトル頁。本書は全6部で構成され1世紀余りをかけて刊行され続けた企画の最終第6部にあたる。
献辞文冒頭箇所。
目次の前に、本書が対象とする年代に教皇であったウルバヌス8世在位下における世界各国の君主の一覧表が掲載されていて、ここに日本の君主として、「将軍様(Xongunsama、徳川秀忠を指す)」と「東照宮(Toxongun、徳川家光を指す)」が明記されていることは大変興味深い。
目次冒頭箇所。
1632年までを扱う前半(1-428頁)冒頭箇所。
「日本の迫害と殉教者、並びにいくつかの他の出来事について」:前半第1部(1623年)第13章(47頁〜)
「エチオピア帝国の改修とフィリピンにおける伝道、並びに日本の殉教者について」:前半第2部(1624年)第15章(97頁〜)
「中華帝国、カタイ、ペルシャ、そして日本位おける出来事」:前半第3部(1625年)第11章(159頁〜)
「トンキン王国の発見とエチオピアへの入り口、並びに日本の殉教者について」:前半第4部(1626年)第10章(202頁〜)
「日本における殉教並びにヨーロッパ宣教師に生じた他の出来事について」:前半第5部(1627年)第7章(240頁〜)
「トルコにおける迫害、並びに日本における殉教についてほか」:前半第6部(1628年)第9章(287頁〜)
「キリスト教信者に対する日本、並びにコーチシナにおける迫害について」:前半第7部(1629年)第9章(321頁〜)
「引き続き日本におけるキリスト教信者の迫害について、並びに聖性に殉じた様々な人々の殉教について:前半第8部(1630年)第10章(368頁〜)
「モスコヴィ、トルコ、ペルシャにおける出来事、並びにポーランド王と日本の皇帝の死について」:前半第9部(1631年)第7章(399頁〜)
「日本における殉教書の迫害、ならびにいくつかの賞賛すべき人々の死について」:前半第10部(1632年)第6章(426頁〜)
1633年から1644年までを扱う後半部(1-384頁)冒頭箇所。頁付が前半部とは独立して設定されている。
「日本における迫害、並びに徳に満ちた人々の死について」:後半第1部(1633年)第7章(24頁〜)
「引き続き日本における殉教ほか」:後半第2部(1634年)第10章(63頁〜)
「日本における状況ほか」:後半第3部(1635年)第7章(90頁〜)
「ペルシャにおける戦争ほか、ならびに日本の状況と殉教について」:後半第4部(1636年)第4章(110頁〜)
「フィリピンにおける出来事とミンダナオ島の征服、並びに日本の殉教について」:後半第5部(1637年)第5章(125頁〜)
「トルコのヴェネツィアに対する様々な出来事ほか、ならびに日本での出来事について」:後半第6部(1638年)第11章(168頁〜)
「日本からのポルトガル人の廃絶と信仰のゆえに殉教したキリスト教信者についてほか」:後半第7部(1639年)第7章(198頁〜)
「日本における殉教、ならびに中国における反乱についてほか」:後半第8部(1640年)第10章(237頁〜)
「中国における皇帝死後の出来事について、並びに日本の殉教について」:後半第11部(1643年)第9章(377頁〜)
巻末には目次が設けられている。