書籍目録

「日本についての記述」ならびに「日本(地図)」

[ランジェーヌ] / [オルテリウス ]

「日本についての記述」ならびに「日本(地図)」

(それぞれ『(ランジェーヌ版小型地図帳』『オルテリウス小型地図帳』より抜粋) [1598年] [ミデルブルフ刊] / [アントワープ刊]

[Langenes, Barent] / [ Ortelius, Abraham]

Beschryginghe van Iapan (text) / IAPAN (map) / IAPONIA INSVLA (map)

[Middelburg] / [Antwerpen], [Barent Langenes / (and fo sale at) Cornelis Claeszoon] / Plantin, [1598]. <AB202147>

Sold

(Extracted from Caert-Thresoor, Inhoudende de tafelen des gantsche werelts Landen met beschryving en verlicht / tot lust vanden Leser nu alles van nieus met groote costen en arveyt toegereet & Epitome Du Theatre Du Monde...)

2 maps & text leaves. Oblong (11.5 cm x 16.8 cm), 2 leaves(pp.45-48) / 1 leaf (numbered 108), Disbound.
[Hubbard: 008 / 009]

Information

ヨーロッパで最初に制作された小型独立日本図とオランダ語で書かれた最初期の日本情報記事

 本図は、ヨーロッパで最初に制作された小型の独立日本地図で、1598年に異なる出版社から異なる形で出版された2枚の興味深い日本地図です。そのうちの1枚は、1598年にオランダのミデルブルフで刊行されたものです。ランジェーヌが刊行した小型地図帳に収録されていたもので、同年にオルテリウスが刊行した小型地図帳に収録された独立日本図とならんで、17世紀ヨーロッパにおける小型日本図として最も強い影響力を有しました。また、本図と合わせて残っている日本関係記事は、オランダ語における日本を本格的に紹介した最初期の記述で、その内容も非常に充実していることから、日本関係欧文史料として大変重要な記事と思われます。本図が収録されていたランジェーヌの小型地図帳初版(1598年版)は、その現存数がわずか9部とも言われており、日本図のみならず、日本関係記事が完備して残っているのは極めて貴重と言えるものです。

 ヨーロッパの地図帳において、独立した日本図が最初に登場したのは1595年のことで、地図帳出版の始祖の一人と目されるオルテリウスの(Abraham Ortelius, 1527 - 1598)の地図帳『世界の舞台(Theatrum Orbis Terraum)』の改訂版の「第5補遺(Additamentum Quintum)」に、「Iaponiae Insulae Descripto(描き記された日本諸島)」と題された日本図が掲載されました。オルテリウスが収録したこの日本図は、イエズス会士の地図製作者でスペイン王室に仕えていたテイシェイラ(Luís Teixeira, 1564−1604)から1592年ごろに入手したものと考えられていて、その名をとって「テイシェイラ型日本図」とも呼ばれています。ただし、この図は、テイシェイラ自身が作成したものというよりも、イエズス会士の情報網を通じてテイシェイラが得た地図、という方が正確ですが、オルテリウスは彼に敬意を表してか、テイシェイラ作として刊行しています。また、この図は天正遣欧使節がもたらした情報に基づいているとも言われていますが、いずれにせよそれまでの西洋製日本図にはない正確な日本図として、17世紀前半における代表的な日本図として、広く長く影響力を保ち続けました。

 一方、16世紀後半に入ってオルテリウスらが革新的な企てとして精力的に出版した、フォリオ判のような大型の地図帳は、その巨大さと重量のゆえに携行できるものではなく、実用性の面では少なからず不都合もあったことから、より小型で傾向もできる小型地図帳の出版も盛んに行われるようになっていきます。オルテリウスが手がけた最初の小型地図帳は1577年に刊行され、フランドル地方を代表する版画家であったハレ(英語読みだとガレ、Phillp Galle, 1537 - 1612)が手がけた極めて精巧な小型地図が収録されたこの小型地図帳は高く評価さました。オルテリウスの小型地図帳は瞬く間に好評を博し、1598年までの間に少なくとも11もの版が刊行されたと言われています。

 一世を風靡したオルテリウスの小型地図帳に単独の日本図が登場するのは1598年に出版されたフランス語版においてのことで、この版はアントワープの名門出版社であるプランタン社が手がけた版(Epitome du Theatre Du monde D’Abraham Ortelius…Antwerpen, 1598)としても知られています。この小型日本図は、オルテリウスの大判地図帳に収録されたテイシェイラ型日本図を範にとって新たに製作されたもので、小型地図帳が好評を博して何度も版を重ねていくのに合わせて幾度も改訂と再版がなされ、大型地図帳に収録された日本図と並ぶ、17世紀ヨーロッパにおける代表的な日本図となっていきました。大判の地図帳に収録された日本図が現在では広く知られているのに対して、こうした小型日本図が辿った変遷や最初期の姿については、これまであまり注目されてきませんでしたが、大判の地図帳と小型地図帳との用途の相違や、読者の違いに注目するならば、大判地図帳に収録された日本図と並んで、当時の西洋諸国における日本の地理情報の普及に大きな影響を与えた地図として、改めて注目されるべきではないかと思われます。

 ところで、このオルテリウスの小型地図帳に初めて独立した小型日本図が登場した1598年には、実はもう一つの重要な小型日本図が登場しており、この図はオルテリウス小型日本図とよく似ていますが、よく見ると日本の輪郭や地名表記、表現方法などかなりの相違点があり、オルテリウス版の小型日本図とは独立して制作されたことが明らかなことから、最初期の小型日本図として注目に値すべき日本図です。このユニークな価値を持つ小型日本図を含む、独自の小型地図帳を手がけたのは、ランジェーヌ(Barent Langenes)で、オルテリウスの小型地図帳を参考にしつつも独自のオランダ語テキストと地図を組み合わせて「改良新版」として、自身の小型地図帳(Caert-Thresoor, inhoudende…Middelburuch, 1598)を出版しました。このランジェーヌの小型地図帳は前半が462頁、後半が196頁にも及ぶという、小型地図帳ながらも非常に大部の著作で、オルテリウスの小型地図帳と並んで17世紀以降に何度も版を重ねていくベストセラーとなりました。日本図は、1598年の初版では後半部45頁に掲載されており、細部を見比べるとオルテリウス版の日本図とはかなり異なっていることがよくわかります。このランジェーヌ版小型地図帳に収録された地図は、オルテリウス版に引けを取らない精細で洗練された銅版印刷図として非常に高く評価されており、1598年に初めて登場した2枚の小型日本図の1枚として非常に重要な作品であるといえます。

 さらに、本図がある意味ではオルテリウス版の小型日本図よりも価値あるものと言えるのが、46頁から48頁にかけて掲載された独自のオランダ語日本記事です。この日本記事は著者が不明のものですが、オランダ語で伝えられた16世紀末の日本情報としては、コンパクトながらも非常にまとまった注目すべき内容と言えるもので、注目に値します。

 このテキストは、日本は、マルコ・ポーロによって「ジパング(ZIPANGRI)」と呼ばれた島であること、古代ギリシャでは「CHRISE」と呼ばれており、メルカトールによると、古代の地理学者プトレマイオスが「CHESONESIS」という半島として誤って記した地域のことであると、ヨーロッパにおいて日本がどのように知られてきたのかについての記述から始まっています。そして、日本は単一の大きな島ではなく、幾つもの島々からなる国であり、金の産出が豊富であることが紹介されています。続いて、イエズス会士の報告を引き合いに出しながら、多くの島々からなる日本は、66の国で構成されていて、大きく分けると3つの主要な島で構成されていることが解説されます。第一の島は、53の国々で構成されている島(本州のことを指す)で、この島は、「都(MEACUM)」を首都としており、そのうち24から26の国々を配下に治める「京(MIACO)」と、12から13の国々を配下に治める「山口(AMAGOCO)」という強大な二人の王が存在していると紹介されています。第二の島は「下(XIMO)」(九州のこと)と呼ばれる19の国々で構成された島で、この島には「豊後(BUNGI)」と「肥前(FIGEN)」という主要な都市があるとされます。第三の島は、「四国(XICOUM)」と呼ばれ、4つの主要な国で構成されていると解説されています。

 こうした地理の解説に続いて、日本は中国(CINAE)から東に80マイル隔てた場所に位置しており、山が多く、寒くてあまり土壌が豊かでないという地形の簡単な紹介と農産物などのことについての解説がなされています。ここでは、日本の人々は我々(ヨーロッパの人々)のようにパンを作らず、粥のようなものを食べていること、9月には多量の米を収穫し、これを常用食としていることや、米からワイン(日本酒のこと)を作ることなどが紹介されています。また「茶(CHIA)」と呼ばれる粉末を溶かした飲み物が非常に重宝されていることや、日本には、バターや、オリーブオイルが存在せず、家畜を屠殺して食することを好まず、肉食は狩猟で得られた野生動物の肉が好まれていることなど、かなり詳しく日本の食生活についての記述が続いています。

 山が多い日本にあって、特に二つの最も重要な山があり、その一つは雲にも届くような信じられない高さを誇り(おそらく富士山のこと)、もう一つは、火と炎を吹き出していると言い、ヨーロッパ北部ではあまり見られない特徴的な山々についての記述の後に、日本の人々は、完全な白色ではなく黄色がかった肌色で、知性があり優れた記憶力と稀有な善性をもち、称賛すべき働き手であるこが、その一方で新生児をその後の養育負担を避けるために殺してしまうような残忍さも持ち合わせている、という日本の人々の気質についての記事が続いています。また、言語についは、国中で同じような言語が用いられているが、かなりの違いが見られることや、複数の表意文字の組み合わせで表現されることなどが紹介されています。さらには、日本では鉄の産出が非常に豊富で、日本の人々が用いる武器は、すべて鉄から作られるあらゆる種類の刀であると、戦の絶えなかった当時の日本における武具情報の記述も見られます。このほかにも、(ヨーロッパとは反対に)白色が哀しみを表す際に用いられる色であることや、キリスト教徒が多く存在することなども紹介されています。テキストの最終部では、日本と中国の人々は永続的な嫌悪感を互いに持ち続けており、古くから対立が絶えないという険悪な日中関係について触れられていて、イエズス会士による日本報告を参照しながら、日本の統治者である「関白殿(QUabacondonus)」が、近年になって破滅的な戦を中国に仕掛けたことが紹介されています。

 ここに見られる日本情報は、ランジェーヌの小型地図帳刊行のわずか2年前(1596年)に出版されたリンスホーテン(Jan Huygen van Linschoten, 1562? - 1611)の『東方旅行記』に描かれた日本情報によく似ており、このテキストの著者は同書を参照しながら、他のイエズス会士による日本報告などを組み合わせて執筆したのではないかと思われます。リンスホーテンの日本関係記事については、その情報源の多くがイエズス会士の日本情報によるもので(フレデリック・クレインス『17世紀のオランダ人が見た日本』臨川書店、2010年、第2章参照)、「オランダ人に日本についての第一印象を与えた」(同書54頁)日本関係記事として極めて重要な記述であるとされていますが、そのわずか2年後に独自の日本地図を添えてオランダ語で日本のことを紹介したこのテキストは、非常に注目すべきものと考えることができるでしょう。

 このテキストは、1600年版以降の後年の版では改編されてしまったと言われていることから、ランジェーヌが直接手がけた唯一の版(第2版以降はランジェーヌは直接関与していないとされている)である初版本でしか目にすることができない可能性のある特に貴重な日本紹介記事です。しかも、ランジェーヌによる初版本は、後年版に比べて現存数が著しく少なく、現在その所蔵を確認することができるのはわずか9部に過ぎないともされています。もちろん、このランジェーヌ版小型地図帳に限らず、地図帳に収録された地図の多くは地図帳からバラバラにされて販売されることが多く、本図もまたその例外ではありませんが、その場合、主に残されるのは地図だけであり、テキスト部分は捨てられてしまうことがほとんどのため、テキストも含めて日本情報が掲載された箇所が完全に残っている本図は極めて貴重であると言えます。


*ランジェーヌ小型地図帳については、オランダの古書店Frederik Muller氏から多くのことをご教示いただきました。また、日本関係記事については Marijke Muller氏から英訳をご提供いただきました。重ねて御礼申し上げます。
*なお、小型地図帳の歴史については、下記文献も参照。
Geoferey King. Miniature antique maps: an illustrated guide for the collector. Hertfordshire: Map collector publications ltd. 1996.

オルテリウス版日本図
オルテリウス版日本図
ランジェーヌ版日本図
ランジェーヌ版日本図
「日本についての記述」オランダ語で日本情報を本格的に伝えた最初期の事例として興味深い。
上掲続き
上掲続き
(参考)メルカトル大判地図帳(1595年版)とランジェーヌ小型地図帳(1598年版)のファクシミリ。大きさが全く異なる。
(参考)同じく両書のファクシミリ版のタイトルページ比較。
(参考)ランジェーヌ小型地図帳タイトルページ(ファクシミリ)。同書は世界にわずか9部しか現存しないと伝えられる稀覯書として知られる。
(参考)ランジェーヌ小型地図帳に収録された挿絵(ファクシミリ)
(参考)ランジェーヌ小型地図帳に収録された世界地図(ファクシミリ)
(参考)ランジェーヌ小型地図帳に収録された南北天球図(ファクシミリ)
(参考)ランジェーヌ小型地図帳に収録されたアジア図(ファクシミリ)