書籍目録

『青竜寺:日本の喜劇』(戯曲 / 楽譜)

ダルヴァーノ(ロニー)

『青竜寺:日本の喜劇』(戯曲 / 楽譜)

初版 / 100部限定のうち第17番 1872年 ニース刊

d'Albano, Leone / (Rosny, Léon)

LE COUVENT DU DRAGON VERT: COMÉDIE JAPONAISE. ADAPTÉE A LA SCÈNE FRANCAISE POUR LA FÊTE ANNUELLE DE L'ATHÉNÉE ORIENTAL.

Nice, J. Gay et Fils, 1872. <AB202134>

Sold

Small 4to (9.8 cm x 15.3 cm), 1 leaf(blank), pp.[1(Half Title.)-5(Title.)-7], 8-90, 1 leaf(blank), Contemporary green morocco leather.
三方の小口に金箔押し。状態は極めて良好。

Information

東洋学者ロニーがペンネームで出版した戯曲作品のわずか100部しか刊行されなかった極めて貴重な初版本

「フランスにおける日本学の創始者として知られるレオン・ド・ロニー(Léon Lucien Prunol de Rosny, 1837-1914、本稿では「ロニー」と表記)は、学問の世界だけでなく、演劇の分野でも業績を残した。フランスの1870年代には、ジャポニスムが流行し始めるに伴い、日本をモチーフとした戯曲が次々と制作され上演されたが、記録に残っているその最初の例が、1871年12月に上演された、ロニーの Le Couvent du Dragon vert(本稿では、日本語題名を『青竜寺』(せいりょうじ)と訳す)なのである。」

「『青竜寺』は1871年11月、東洋学会(Athéne Oriental)の年次大会の一環事業として初演を迎えた。ちなみに、東洋学会は民族誌学会の部会として1864年に創立された組織であり、ロニーは本会とも部会とも関わりが深いことが分かっている。
 そのため、東洋学会の主催者らはロニーに日本に関する戯曲の執筆を委嘱した。しかも、ロニー本人がその後に出版された台本の序文で説明するように、彼が委嘱を受けたのは学会開催の一ヶ月前であったため、きわめて限られた時間で戯曲の台本を執筆した。台本の序文において、彼は『青竜寺』創作の経緯について述べているが、特定の原作があるのか、あるいはモチーフを取り入れた原作があるのかについては説明していない。ただ、『青竜寺』の執筆にあたって「東洋の演劇のあちこちから幅広く採取しなければならなかった」ことに言及しているだけである。
 次いで『青竜寺』の出版歴であるが、台本の初版(1872年)と再版(1873年)ではロニーの本名ではなく、レオヌ・ダルバーノ(Léon d’Albano)というペンネームで出版されている。また、この2つの版は台本の本文のみを掲載しており、創作と上演の経緯については何も触れていない。そして、初版からおよそ20年後、1893年に初めてロニーの本名で出版される。この新版は本文に加えて、前書きと序文、詳しい註釈や日本の演劇を紹介する補遺が収録されている。」
(クリス・ベルアド「レオン・ド・ロニー『青竜寺』(1872)の構造と物語:フランス演劇初の「日本」をめぐって」大阪大学フランス語フランス文学会『Gallia』第51巻、2012年所収論文、11, 12頁より)