書籍目録

「日本近海図: 瀬戸内あるいは内海図。第二図:東部」

(米国水路部)(英国水路部)

「日本近海図: 瀬戸内あるいは内海図。第二図:東部」

英国水路部作成海図2875号(1874年版)からの改訂版 1876年 ワシントン刊

U.S. NAVY. HYDROGRAPHIC OFFICE. (British Admy)

JAPAN. SETO UCHI OR INLAND SEA. SHEET II. EASTERN PART.

Washington D. C, (Published September 1874 at the Hydrographic Office, Washington D.C.) R.H. Wyman, Commo. U.S.N. Hydrographer to the Bureau of Navigation, 1876. <AB2017104>

Donated

REPUBLISHED FROM THEBRITISH ADMY CHART No. 2875. 1874. Corrected March '75. Sept. '76.

1 rolling chart. 70.5 cm x 93.6 cm,

Information

開港後間もない神戸と大阪を中心とした瀬戸内海図。珍しい米国水路部版

 この海図は、神戸、大阪両港が開港して比較的間もない1874年に初版が作成された海図を改訂して1876年に出版されたものです。当時の日本近海の海図作成の中心的な役割を果たしていた英国水路部のものではなく、それを元にして米国水路部が出版していたという大変ユニークな海図です。

 幕末期から明治初期にかけて日本に来航した諸外国にとって、日本沿海の水路情報を正確に把握することは、極めて喫緊の課題でした。ペリー来航以前の19世紀はじめから既に複数の外国船が日本近海を航海し部分的な測量を始めていましたが、1858(安政5)年の条約締結以後は、開港の決まった長崎と横浜への安全な航路を把握するために、イギリスを中心とした列強諸国が本格的な日本沿海の測量の必要性を幕府に求めていきます。

 英国水路部が作成した海図は、こうした要請に基づいて作成、改訂されていった海図の中で最も中心的な役割を果たしたことが知られており、英国の海図、並びに測量技術の大きな影響、協力なくして日本の海図作成の歴史は語ることができません。水路部作成の海図には、その対象地域ごとに番号が振られており、当時の日本の主要領土であった本州(当時外国ではNiponと呼ばれていました)、九州、四国を中心に、朝鮮半島沿岸を含めた広域全体を示した2347号と呼ばれる海図は、幕末から明治初期にかけて作成された海図の中でも最も有名な海図の一つです。

 瀬戸内海はいうまでも海上交通の要衝として早くから海図の整備の必要性が認識されており、英国水路部は伊能図を元にして、幕末の1862年に「瀬戸内海図」を2875号海図として完成させています。この2875号海図は、その後も神戸、大阪の開港という重要な背景があったことから、幕末、明治初頭にかけて新たな測量による改訂版が出され続けたようです。

 本図は、この英国水路部による瀬戸内海図(2875海図)を、米国水路部が再版したものです。当時から海図は公共情報として各国間で広く共有されることになっていましたので、英国水路部がリードして作成した日本近海図は他国にも共有され、それぞれの国が自身の水路部で海図を再版していました。ただし、この米国水路部による瀬戸内海図は、よく知られる1862年の英国水路部作成の瀬戸内海図と異なり、神戸、大阪を中心とした瀬戸内海でも東地域だけを重視した海図となっています。両者の相違が、英国と米国によるものなのか、あるいは英国水路部作成の瀬戸内海図が改訂されるに従って、東地域と西地域と二枚の海図に分かれるようになっていたのかは、店主には判然としません。おそらく、後者の可能性が高いと思われるのですが、当初からの2875海図の名称を維持していることに鑑みると、米国水路部が独自に手を加えた可能性も捨て切れません。

 いずれにしましても、神戸、大阪という欧米諸国の貿易にとっても軍事にとっても西日本最重要の地域の一つであった開港場周辺地域の正確な海図は、必要不可欠のものであり、米国水路部がこの地域の海図を発行し、自国民に周知することは極めて重要な任務の一つであったと考えられます。

 幕末から明治初期に作成された日本近海の海図は、歴史上極めて重要な役割を果たしているにも関わらず、常に最新情報に改訂されていくという性質上、国内外の研究機関でも所蔵数が乏しいため、研究が比較的進んでいない分野とされています。本図と幕末1862年に作成された瀬戸内図とを比較してみることは、幕末から明治初期にかけての測量情報の変遷や、重視する地域の変化を知る上で、大変興味深い示唆を与えてくれるものと思われます。

英国水路部が1862年に伊能図を元に作成した瀬戸内海図と異なり、神戸、大阪を中心とした海域に限定して作成されている。
1862年の英国水路部版と比べても情報量が増している。
英国水路部が作成した1874年版の瀬戸内海図(2347号海図)を再版した旨が書かれている。英国水路部による1874年版の瀬戸内海図がどのような海図であったのかについては、店主は未見のためわからず。
1874年の初版刊行以後も、1875年、1876年と毎年改訂されていることがわかる。
米国水路部として549b号という番号を振っている。