書籍目録

『1929年11月からの第4回(アジア)旅行』

ライス夫妻 / (日本郵船・浅間丸)

『1929年11月からの第4回(アジア)旅行』

(私家製アルバム) (1930年?)

Rice, Gertrude & Sandord.

Gertrude and Sanford Rice on the Fourth Rice Tour.

1930?. <AB202119>

Sold

(Private album)

Oblong (25.8 cm x 33.0 cm), 36 leaves, 12 leaves(blank), 1 leaf, Black cloth tied.
見返しと36枚の黒い厚紙に写真や記事が貼り付けられている。途中12枚は空白で、最後の1枚と見返しに貼り付けあり。クロス装丁の上部に傷みと一部欠損あるが、内容に損傷なし。

Information

日本郵船が誇る浅間丸の最初機の搭乗客であったアメリカ人夫妻が作成した旅の思い出を綴った私家製アルバム

 このアルバムは、1929年11月から1930年にかけて、アメリカ人のライス夫妻(Gertrude & Sanford Rice)が日本郵船で旅行した際の記録です。夫妻が自身で撮影したと思われるスナップショットの他に、雑誌の切り抜き、購入した写真、チケットやその他、旅行中に入手した記念書類などが貼り付けられたアルバムで、夫妻の旅の記念として個人的に製作されたものと思われます。当時サンフランシスコ航路に就航したばかりの浅間丸や、欧州航路に就航していた賀茂丸、浅間丸についでサンフランシスコ航路に投入されたばかりの秩父丸を乗り継いで旅を続けた夫妻が作成したこのアルバムは、当時の旅の様子を垣間見るできる大変貴重な記録となっています。

 アルバム冒頭の見返し部分には、夫妻が自作したと思われるタイトル(あるいは蔵書票のようなもの)が貼り付けられてあり、そこには「Gertrude and Sanford Rice on the Fourth Rice Tour. NOVEMBER 1929」とあり、この旅行が夫妻にとって4度目の旅行であること、1929年11月から旅行が始まったことを示しています。アルバムは、夫妻が最初に乗船した浅間丸の出港の場面(ロサンゼルスなのか、サンフランシスコなのかについては店主には特定できず)を移したと思われる複数の写真から始まっていて、見送りに港に駆けつけたと知人が撮影したと思われる、夫妻が船内からテープを流す場面を撮影した写真や、デッキの様子、夫妻の記念写真などが貼り付けられてあります。また、航行中の船内の夫妻や船上(甲板)の様子を撮影した写真が続いて貼り付けられています。これらのスナップショットに加えて、浅間丸の船内の豪華設備を撮影した複数の写真や、浅間丸の処女航海の様子を報じた広告記事なども貼り付けられています。前者は、日本郵船が当時発行していた雑誌『ジャパン:海外旅行雑誌(Japan: Overseas travel magazine)』の1929年12月号に掲載された浅間まる特集記事からの切り抜き写真と思われます。こうした雑誌記事の切り抜きの中には、浅間丸の第一回航海時に船内でコンサートを開いたオペラ歌手三浦環の様子を写したものも含まれています。

 浅間丸での往路の航海中の写真や記事に続いては、日本に到着してからの夫妻を撮影した写真や、彼らが訪れた日本各地で収集(購入)した記念写真などが貼り付けられています。貼り付けられている写真などから推察すると、夫妻はまず東京の帝国ホテルに宿をとってから、日光(おそらくここでは金谷ホテルに宿泊か)、鎌倉を訪ねたようです。各地の写真の間には、浅間丸船内を撮影した写真記事(先と同じく『ジャパン』からのものと思われる)が挿入されていて、その中には夫妻らと四宮源三郎船長が一緒に写った記念写真を紹介する記事も含まれています。そのキャプションによりますと、浅間丸の西廻り第2回航海の横浜港入港時に撮影されたもののようで、1930年1月29日であるとされています。ただ、先に触れたように、夫妻がこの旅行を開始したのは1929年11月であると思われることから、もしそうであれば夫妻が乗船したのは、浅間丸の西回り第1回航海ではないかと考えられるのですが、その場合、横浜に到着したのは1929年11月21日となるはずですので、辻褄が合わなくなってしまいます。この点について、今のところ店主には整合性を取ることができる夫妻の旅程を具体的に見出すことができていません。いずれにせよ、浅間丸の最初期の乗船客、しかも実名入りで雑誌に紹介される貴賓客として夫妻が日本へと向かったということは間違いありません。

 続いて夫妻は神戸へと向かったようで、神戸港や、夫妻が宿泊したと思われる北野のトアホテル、神戸大仏を写した雑誌記事の写真の切り抜きが貼り付けられています。夫妻は京都にも足を伸ばしたようで京都ホテルの切り抜き写真もありますが、夫妻の最も印象に残ったのは奈良のようで、奈良の大仏殿など多数の記念写真、雑誌記事が貼り付けられています。夫妻はその後、さらに西へと進み宮島なども訪れているようですが、それほど多くの写真は残されていません。

 アルバムの後半は、日本を離れてからの夫妻の旅の行程をたどっていて、上海、香港、マニラ、シンガポール、スマトラ、プランバナンなどインドネシア各地を訪れた際に撮影された写真や雑誌記事などが貼り付けられてあります。その中には、日本郵船の賀茂丸を撮影したと思われる船内の様子や雑誌記事が含まれています。これらの内容から、夫妻は日本を発ってからすぐにアメリカに戻ったのではなく、引き続き日本郵船を用いて中国や東南アジア各地の地域を訪ねて回ったことがわかります。また、ここには、先に触れた夫妻が横浜到着時に四宮船長らとともに写っている記念写真が貼り付けられてあり、この写真は当該雑誌記事の元写真となったものと思われ、夫妻が記念に船内で入手したものと考えられます。

 こうして中国や東南アジア各地を歴訪した後、夫妻は帰路に着いたようで、当時サンフランシスコ航路に就航したばかりの日本郵船の豪華客船である秩父丸の一等チケットや、秩父丸を写した雑誌記事写真などが貼り付けられています。復路ではハワイ滞在も楽しんだようで、着岸した秩父丸の写真や、ハワイでの夫妻の様子、各地のスナップショットなどが多数貼り付けられています。アルバム末尾には、香港のパノラマ写真や、浅間丸での日本到着時に船内で配布されたと思われる、入国時の注意点を記した案内が貼り付けられているほか、店主にはその内容の趣旨がよく理解できない1929年11月21日付のタイプ打ちの書類が貼り付けられてあります。

 このアルバムに収められた夫妻の旅のルートは、当時アメリカから日本を訪問する観光客にとって人気のあったルートの典型の一つと言えるものですが、それだけに一旅行者の視点から製作されているこのアルバムは、当時の旅の様子を伝えるものとしてとても興味深く、また貴重な資料と言えるものでしょう。


「逓信省(当時)並びにロイド船級協会の特別検査監督の下に建造され、ロイド船級協会の最高級船の資格〈100A1 with Freeboard and L.M.C〉を有する浅間丸は、2本煙突と2本マストの鋼製内燃機船であり、また、船の全長にわたる二重底と上甲板まである10個の支水壁をはじめ、排水、救命、消火、無線電信など海上における人命の安全に関する設備は、当時の最高水準を満たすものでした。船内の換気設備は、最新式の電動通風装置が完備され、各室のパンカー・ルーブル(吹出口)から新鮮な空気を送り出す仕組みになっています。主機関はスルザー社(スイス)製のディーゼル機関4基を搭載する4軸推進式。4基で計16,000馬力、公試運転では最高速力20.71ノットの成績でした。
 船客設備では、浅間丸型の特徴の一つとして公室・船室・甲板(デッキ)の面積の広さが挙げられます。船客1人の使用甲板面積(公室・客室含む)はこれまで最大船であった大洋丸と比較すると、約2倍に達します。また、通風採光の良いプロムナードデッキ(Aデッキ)に、航海中に多くの時間を過ごすことになる一等公室を集中して配置しています。快適な航海と豪華な船内生活を満喫できるように、エントランスホール、食堂、社交室、喫煙室、読書室、ギャラリーはもとより、映写室、児童室、プール、ジム、日本座敷など多くの公室があり、さらには上陸後の旅館の手配、旅行の相談に応じるために日本旅行協会の出張所を設ける一方、理髪店や郵便局、無線電話局、デパート(松坂屋)の販売所はもちろん、住友銀行と特約して日本初の船内銀行も設置され、陸上の生活と比べて少しも不便のないよう設えていました。
 一等公室の装飾設計は、船客の1/3が外国人であることと、当時太平洋航路に就航していたアメリカやカナダの客船と競合できる客船を目指していたことから、イギリス、フランス、ドイツのメーカー10社から設計案を取り寄せ、選考の結果、実績の多いイギリスのウェアリング・アンド・ギロー社(Waring & Gillow)によるイギリスの古典的な装飾を採用しました。(後略)」
(遠藤あかね『周航90周年記念:客船浅間丸〜サンフランシスコ航路をゆく〜』日本郵船歴史博物館、2019年、6頁より)