書籍目録

『3年間のシャム滞在と中国、満州、韃靼沿岸の旅行の報告』『1832, 33年の中国沿岸と朝鮮、琉球訪問記』

ギュツラフ

『3年間のシャム滞在と中国、満州、韃靼沿岸の旅行の報告』『1832, 33年の中国沿岸と朝鮮、琉球訪問記』

(2作品合冊)オランダ語訳版 1833 / 35年 ロッテルダム刊

Guzlaff (Gützlaff), Karel (Karl Friedrich August).

VERSLAG VAN EEN DRIEJARIG VERBLIJF IN SIAM, EN VAN EENE REIZE LANGS DE KUST VAN CHINA NAAR MANTCHOU-TARTARIJE;… [together bound with] REIZEN LANGS DE KUSTEN VAN CHINA, EN BEZOEK OP COREA EN DE LOO-CHOO-EILANDEN, in de jaren 1832 en 1833,…

Rotterdam, M. Wijt & Zonen, 1833 / 1835. <AB2020354>

Sold

Edition in Dutch.

2 works in 1 vol. 8vo (13.0 cm x 22.0 cm), 1 leaf(blank), pp.[I(Title.)-III], IV, [1], 2- 6, 7-10, Half Title., pp.7-10 (i.e. misbound), pp.[1], 2-116. / Half Title., pp.[I(Title.)-III], IV-VI, [1], 2-302, 203(i.e.303), 304-354, plate:[1], folded map: [1], 1 leaf(blank), Modern brown cloth, rebound.
NCID: BA60257949 (first work)

Information

那覇での日本の人々との交流の記述を含め日本についての記述が散見されるギュツラフ渡航記の珍しいオランダ語訳版

 本書は、ドイツ語人のプロテスタント宣教師であるギュツラフによる1831年から1833年にかけて3度にわたる中国沿岸部やシャム、朝鮮半島、琉球への渡航と滞在の記録をまとめたもので、英語で出版された原著刊行の直後にオランダ語に翻訳されて出版されたものです。ギュツラフの渡航先に日本は含まれていませんが、随所で日本に対する言及が見られ、また朝鮮や琉球の記事中にはまとまって日本についての記述や、ギュツラフが実際に交流した日本の人々のことなどが記されていて、日本関係欧文図書としても興味深い書物です。 

 ギュツラフ(Karl Friedrich August Gützlaff, 1803 - 1851)は、19世紀前半の中国沿岸部を中心にキリスト教布教のために熱心に活動したプロテスタント宣教師です。ロンドン伝道教会の宣教師モリソン(Robert Morrison, 1782 - 1834)から大きな影響を受けてアジア伝道を志すようになり、当初はオランダ電動協会に所属していましたが、1828年に脱退して以降は自力で中国での布教活動に精力的に従事し続けました。バタヴィアでイギリス人宣教師で、中国語での聖書翻訳や日英辞書の編纂にも尽力したメドハースト(Walter Henry Medhurst, 1796 - 1857)から中国語などを学んだこともあって、アジア各地の言語学習にも非常に熱心で、メドハーストらとモリソンが中国語に訳した聖書の改訂を行っているほか、福音書の日本語訳の出版も行なっています。

 本書は、1831年、1832年、1832年の3度にわたるギュツラフの中国沿岸部やシャム、朝鮮半島、そして那覇への渡航と滞在の記録を出版したもので、原著である英語版は、当初最初の2回の渡航記だけが出版されましたが、1834年に刊行された第2版(Journal of three voyages along the coast of China in 1831, 1832, & 1833: with notices of Siam, Corea, and the Loo-choo Islands. 2 vols. London, 1834)において、全3回の渡航記として刊行されています。本書は、この3回の渡航記のオランダ語訳版で、第1回の渡航記のみを対象とした『3年間のシャム滞在と中国、満州、韃靼沿岸の旅行の報告』(1833年刊)と、第2回と第3回の渡航記を対象とした『1832, 33年の中国沿岸と朝鮮、琉球訪問記』(1835年刊)が1冊に合冊されています。いずれも同じ出版社からロッテルダムで刊行されていますが、英語訳版の出版からほとんどまもない時期に刊行されていることは注目すべき点でしょう。概ね原著英語版の章立てに従って忠実にオランダ語に訳しているように見受けられますが、原著との異同の有無や特徴については、より正確な照合調査が必要と思われます。

 ギュツラフ自身は日本に渡航することはありませんでしたが、生涯を通じて日本に対して強い関心を寄せており、この3回の渡航の中でも随所で日本について言及しているのを確認することができます。もっとも日本についての記述が集中しているのは、第2回の渡航の際に訪れた朝鮮と琉球の記事(『1832, 33年の中国沿岸と朝鮮、琉球訪問記』第6章245頁〜、第7章277頁〜)においてです。朝鮮に渡航、滞在した際の記事においては、日本と朝鮮との関係について論じており、秀吉(太閤様、TAI-KOSAMA)による1598年の朝鮮侵攻のことなどについても言及されています。また、琉球への渡航、滞在の記事中では、一層詳しく日本と琉球と中国(清)との複雑な関係について論じているほか、那覇を訪れていた日本のジャンク船の乗組員たちと会って、キリスト教関係の書物を快く受け取ってもらえたことなど、実際に彼があった日本の人々との交流の様子を記しています。本書で記されているギュツラフの那覇における日本の人々との交流で好感を得たことが、後年(1837年)に日本からの漂流民を還送する名目でモリソン号で日本との交渉を試みたものの、異国船打払令のために砲撃を受けて撤退するという、いわゆる「モリソン号事件」につながったことは大いにありうることでしょう。

 ギュツラフの3度の渡航記は、1834年に刊行した『中国史概説(A sketch of Chinese history, ancient and modern. London, 1834)』、1838年の『開かれた中国(China opened,...2 vols. London, 1838)らとともに広く読まれ、国内の研究機関においてもこれらの書物は複数の図書館に所蔵を確認することができます。しかしながら、オランダ語訳版である本書は、英語版に比べて発行部数が少なかったであろうこともあってか、CiNii上では、第1回渡航記である『3年間のシャム滞在と中国、満州、韃靼沿岸の旅行の報告』を1機関が所蔵しているのを確認できるのみです。先述の通り、英語版の刊行に敏感に反応してすぐさま刊行されたオランダ語訳版は、当時ヨーロッパ諸国で唯一の日本との交易国であったオランダによる興味深い反応を示すものでもあり、また日本を含むアジア諸国へのプロテスタント伝道の観点から関心を有するオランダ語圏の読者の需要を示す書物としても、少なからぬ意義を有する書物と言えるでしょう。